東京大学社会科学研究所

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自己点検・自己評価報告書

Ⅱ. 社会科学研究所の組織と活動
国際交流

1)国際交流における社会科学研究所の役割

 1980年代後半以降、社会科学研究所にとって"国際化"は最重要の課題の一つになった。もとより、外国人研究員の受け入れなど研究所としての国際交流の実績はそれまでにも積み上げられていたが、この受け入れの状況を含めて後の各論的叙述が示すように、80年代後半以降の国際交流は飛躍的な展開を示すことになった。

 この間、研究所の中で次第に自覚化されてきた研究所にとっての国際化の戦略は、これまでの単線的な国際交流を超えて、研究所をもって日本社会の社会科学的研究の国際的ネットワークの結び目として位置づけ、その役割にふさわしい国際交流のあり方を追求していくということである。ここでは、とくに、欧米における研究及び研究者並びにアジアにおける研究及び研究者との交流を媒介する役割が研究所の固有に果たすべき役割として重視されている。

 研究所のこうした役割の発揮は、1992年度から設置された外国人客員教授のポスト(1996年度から2ポストになる)の活用による人的交流の促進、それと関連させながらの外国の重要な日本研究機関との交流の枠組作り(学術交流協定の締結と人事・研究の交流)、国際研究会議などの開催、さらに日本社会研究情報センターを通じた日本社会の社会科学的研究の成果、実証データ及び研究関連情報の発信とオンラインフォーラムの構築などを基盤として進められてきている。また、社会科学研究所を研究基地として利用する外国人研究者の受け入れ要請も一層大きくなっており、研究所としての受け入れ体制を、必ずしも充分ではないが着実に整備してきたところである。

 「日本社会の社会科学的研究の国際的ネットワークの結び目」としての役割を果たすという研究所の抱負を今後ますます実質的なものにするためには、上記のことに加えて、リーダーシップ支援経費なども活用して日常的な研究交流を深めること、国際共同研究を発展させること、アジアの日本社会研究と欧米のそれを交流させる意識的な取組を進めること、また、研究機関相互の交流の枠組みを一層活用すること などが必要である。さらには、国際交流ネットワークの発展に寄与するスタッフ人事のあり方も重要な検討課題であろう。

2)外国人研究者

(1)客員教授

 外国人客員教授は、1992年度に1ポストが認められ、1996年度の日本社会研究情報センターの設置にともない振替分1ポストに加えて1ポストの増が認められ、センターに外国人客員教授2ポストが配置された。外国人客員ポストの運用のために1994年9月の教授会において「外国人客員部門の運用について」の規定を決定し、さらにセンターへの2ポスト配置にともない運用規定を改正した。外国人客員教授の招聘は、これにしたがって行っている。所長が、スタッフからの随時の推薦に基づき、ほぼ2カ年間を見通した招聘計画を作成する。具体的な招聘については1件づつ、招聘候補者の履歴及び業績目録及び推薦者による推薦理由が教授会に提出され、承認の手続が踏まれる。招聘期間は、原則として3ー4ヶ月であり、この間少なくともスタッフセミナーでの報告及びDiscussion Paper Seriesの執筆が要請されており、また紀要「社会科学研究」、英文雑誌SSJJへの投稿、さらにSSJJの編集へのアドバイスなどが期待されている。

 このポストは学術交流協定の相手機関との人的交流にとくに活用されている。1992年4月から1999年7月までに招聘した外国人客員教授は23名であり、相手方機関の国別内訳はアメリカ7、ドイツ5、フランス2、イギリス2、オーストリア2、イタリア1、ロシア1、中国1、台湾1、イスラエル1である(資料10)。 今後アジア地域の研究機関からの招聘を増やしていくことが必要である。

 外国人客員教授制度については、制度上三つの問題がある。第一に招聘する相手方が外国籍でなければならないことであり、その結果外国研究機関に所属する日本国籍の研究者を招聘できないことである。第二に、招聘期間が最短でも3ヶ月を超えなければならないことである。相手方がこれより短期の都合しかつかない場合には、招聘自体をあきらめざるをえない。 第三に、招聘期間中の外国出張が認められず、客員教授に不便な場合がしばしば生じることである。これらについては制度のより柔軟な運用が可能になることを望みたい。

(2)客員研究員

 社会科学研究所では1950年代の半ばから「外国人研究員」を受け入れはじめ、以後一貫して彼らの研究上の便宜をはかってきた。その数は、1999年7月1日現在で、のべ490名に上る(ただし受け入れ決定後にファンドの問題等で来日中止となったものが28名おり、複数回在籍した者が63名いる。それらを引いた受け入れ実数は399名である。以下では技術的な理由からのべ人数で計算する)。

 年代的に見ると、1955年から1979年までの約25年間に受け入れた者の数が計97名であるのに対して、1980年代には10年間だけで117名と急増し、さらに1990年代には、現在までにすでに276名に達している。これは80年代の2・36倍の数である。日本の重要性の高まりが背景にあるとはいえ、近年の社研がいかに国際交流に大きな力を注いできたかを、この数は如実に示している。

 受け入れ数を国籍別で見ると、多い順に、アメリカ合衆国132、ドイツ58、韓国51、中国45、イギリス36、日本24(受け入れ時点で海外研究機関に在籍していた日本国籍の研究者)であり、以下、10名の台で、オーストラリア、フランス、インド、ロシア(旧ソ連を含む)が並んでいる。一桁台ではカナダ、インドネシア、スイス、フィンランド、イスラエル、タイ、ヴェトナム、台湾などがある。受け入れ先国の総計は37カ国で、うち20カ国は1ー2名の受け入れ数である。アメリカが圧倒的に多いのは、日米関係の重要性とアメリカにおける日本研究の層の厚さを反映しているだろう。ドイツ、韓国、中国、英国が多いのも同様の理由に基づくと思われる。なかでもドイツが多いのは、ベルリン自由大学東アジア研究所と社研との間の学術交流協定による面が大きい。なお中国からの受入数の増大は、いわゆる改革開放路線採用後の近年の顕著な傾向である。また同じく近年の傾向としてアジア地域からの受け入れ数が増える傾向にある。

 外国人研究者の専門分野としては、経済、政治、法律、労働など社会科学の諸分野に及び、日本近現代史を対象とするものも少なくない。アンケート調査への回答によれば、社研の図書資料は彼らの研究に大いに役立っており、また社研スタッフの人脈によって、外部での調査は著しく助けられている。

 「外国人研究員」について研究所は、受け入れに関する規則を設け、それに則って運営している。現在の規則によれば、これには二つのカテゴリーがある。一つは大学など海外研究機関に研究者として所属する者(またはこれと同等の研究能力のある者)で、これを「客員研究員」とよび、二つは海外大学の博士課程在籍者(またはこれと同等の研究能力のある者)で、これを「客員研修員」とよんでいる。

 いずれの場合も希望者は、本研究所で行おうとする研究題目、研究計画、研究期間、研究に必要な経費の出所を所定の申込用紙に記入し、履歴書、研究業績一覧、本人の研究能力を評価しうる者による推薦状を添えて所長宛に提出しなければならない。所長は、教授会の議を経て受け入れを決定する。同時に受け入れ担当教官も決定し、社研在籍中の相談や指導にあたることとしている。

 受け入れ期間は通常1年以内であるが、特に延長を必要とする場合は、教授会の議を経てさらに1年を限度に延長できる。研究所の事情が許す限りで、研究上の便宜をはかっている。近年は希望者が多く、数量的な規制の必要が生じている。このため原則として、スタッフ一人あたり3名まで、また研究所全体で総数26名を受け入れ数の最上限としている。

 この「外国人研究員」制度は、とくに海外における社会科学的な日本研究の担い手を養成し再生産する上で、非常に大きな役割を果たしてきた。また現に果たしつつある。この点は、これまで社研に在籍した「外国人研究者」(外国人客員教授も含む)へのアンケート調査への回答がよく示している(付属文書Ⅱ参照)。

 かつて社会科学研究所に若手研究者、もしくは博士候補生として在籍して研究に従事し、具体的な成果を刊行物の形で発表した人、あるいは博士論文を完成して博士号を取得した人は、相当の数に上る。とくに若い博士候補生(客員研修員)にとって、受け入れ担当教官の助言や示唆は、研究遂行上、非常に有益だったとされている。またいまやその国の指導的な日本研究者となって、後進の育成に当たっている人も少なくない。

 こうした約半世紀をかけて作られてきた層の厚さと人脈が、社会科学研究所の国際交流の実を支えている。それはまた多くのアンケート調査へのコメントで特記されているような、社会科学的な日本研究者の間での世界有数のネットワーク作りを可能にしたといえよう。外国人客員教授のポストは、「外国人研究員」制度による実績が前提としてあったから認められた面がある。またこのポストの運用の成功が、日本社会研究情報センターの発足を可能にした面がある。そしてセンターの活動がどこまで成功するかは、「外国人研究員」制度が培ってきた内外研究者間のネットワーク作りの推進と不可分であろう。この意味でこの制度は、研究所の自助努力的な国際貢献の試みとして、今後も力を注いでゆくべきものである。

3)研究ネットワーク

(1)SSJ Forum
 英語を共通語とする日本社会研究に関するネットワーク・フォーラム SSJ Forum を運営している。電子メールを利用したディスカッション・リストの方式をとり,本研究所スタッフがモデレーターとなって参加者から送られてくる情報を取捨選択し、参加者全体に送付している.国内外 約600 名がこのフォーラムに参加している.また,内外の有力研究者によるエディトリアル・ボードを設け,フォーラムの質の維持向上をはかっている.日本の政治経済全般について,様々な議論が闘わされ,また学会・研究会情報,文献情報など,研究者にとって有用な情報が配布・共有されている.

(2)国際シンポジウム等
 社会科学研究所が組織した国際シンポジウムは、1988年の「先進国社会の混迷と選択」が最初である。これは、3日間のかなり大規模なものであったが、研究所の創立40周年の記念事業の趣旨を含むものであった。このように、かっては、国際シンポジウムは一つの大きなイベントとしての意味をもたされていた。

 現在では、国際交流の基盤が拡大し、国際的な研究交流も日常化してきており、とくに1997年度から導入されたリーダーシップ経費の制度によってシンポジウムの企画などの機動的なファイナンスも可能になり、1997年度及び1998年度には、次項で述べるように、外国研究機関との学術交流協定の枠組を活用しながら、実質的な国際的研究討議を深める場を設定することができた(1997年度「日本社会研究国際ネットワーク会議」、1998年度「国際コロキウム・グローバライゼーションと日本社会の変容」)。

 今後は、全所的プロジェクト研究の進行に国際的な研究討議を組み入れるために、国際シンポなどを活用することが一つの課題である。

(3)学術交流協定

 社会科学研究所が外国研究機関と学術交流協定を締結したのは、1981年のベルリン自由大学東アジア研究所(OASと略称)との協定が最初である。 1985年には、中国社会科学院と東京大学の全学交流協定が研究所の中国関係スタッフの努力によって成立した。この段階での学術交流協定は、相手方の要請に応じて散発的に対応するものにすぎなかった。1992年にはOASとの交流協定が、ベルリン自由大学と東京大学間の全学協定の切り替えられて、両大学間の学生の交流もはじまった。同年に、研究所のイニシアチブによって、ミラノ大学と東京大学間の全学交流協定が締結された。研究所は世話部局として実質的にミラノ大学との交流を担当している。

 90年代後半に入って、日本社会研究情報センターの設置にともない外国人客員教授に2ポストが配置され、国際交流が積極的な課題として位置づけられて以降、外国研究機関との学術交流協定の締結は、国際的研究交流ネットワークの形成の重要な手段として、計画的に進められるようになった。それらの実績は次の通りである。スイスのサンガレン大学(1995年・部局間協定)、インドネシア大学日本研究センター(1997年・部局間協定)、ドイツ・ミュンヘン大学(1997年・全学協定)、メキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコ(1998年・全学協定)、イギリスのシェフィールド大学東アジア研究所(1998年・部局間協定)及びフランス・リヨン第2,第3大学、CNRS東アジア研究所(1998年・部局間協定)。さらに現在、アメリカのミシガン大学、コロンビア大学東アジア研究所との交流協定締結を準備中である。

 今後は、アジア地域の研究機関との交流を広げていくこと、また、交流の枠組みを活用して、国際的共同研究の実質的展開を図ることが重要である。

4)研究情報の発信

(1)英文ニューズレター(Social Science Japan)

 このニューズレターの目的は、日本の社会科学研究(経済学、政治学、法学、社会学)に関して、主要な研究者の紹介、重要な文献・資料の案内、最近の研究動向など、海外の日本社会研究者の関心事について、簡潔な記事をとりまとめ、広く英文で公開することである。各国の日本研究者・研究機関を中心に郵便による配布 1300 部のほか,ホーム・ページからダウンロード可能にしてあり,幅広い読者層を持っている.センター準備室時代の1994年7月に第一号が発行された。以後、現在までに毎年3号程度刊行されている。4号以降は特集方式をとっている。センターのニューズレター部会担当教官が年間企画をたて、指名された研究大部門教官が各号の内容を分担企画し、ニューズレター担当助手が編集事務・翻訳を担当して刊行している。原稿は、社会科学研究所スタッフのほか、本学の他部局の研究者、他大学の研究者、さらに、海外の研究者や、客員研究員として本研究所に滞在している研究者などが執筆している。各号の刊行状況を示せば以下のとおりである。

 1号(1994年7月)
 2号(1994年11月)
 3号(1995年4月)
 4号(1995年8月)特集内容:日本とアジアの学術コミュニケーション
 5号(1995年11月)特集内容:日本の財政金融
 6号(1996年2月)特集内容:日本の国際関係
 7号(1996年7月)特集内容:官僚制と日本の政治
 8号(1997年1月)特集内容:日本の社会主義国研究
 9号(1997年2月)特集内容:社会科学研究所50周年
 10号(1997年8月)特集内容:日本社会研究情報センター発足
 11号(1997年11月)特集内容:1950年代の日本
 12号(1998年3月)特集内容:日本の流通システム
 13号(1998年 8 月)特集内容:アジアの金融危機
 14号(1997 年 11 月)特集内容:沖縄
 15号(1998 年 3 月)特集内容:1960年代の日本

(2)英文出版

 社会科学研究所の研究業績を広く国際的に発信することを目的としている。実績としては、オックスフォード大学出版会より、Junji Banno ed., The Political Economy of Japanese Society,vol.1&2,Oxford University Press, 1997,1998を刊行した。これは本研究所の全体研究の成果『現代日本社会』(東京大学出版会)にもとづき、時間の経過にともなう情報の遅れを補うとともに、外国読者むけに抜粋・編集・翻訳してとりまとめたものである。

5)Social Science Japan Journal

(1)沿革

 日本社会研究情報センターの設立に伴い、日本社会に関する社会科学的研究をめざす国際的な英文雑誌の刊行が計画され、約1年間の準備期間をへて、97年6月にオックスフォード大学出版局(Oxford University Press)と正式に出版契約を結び、98年4月に創刊号(第1巻第1号)を刊行した。SSJJは年2回の定期刊行物で、配布先は2つのグループに大別できる。ひとつは、社会科学研究所が国際研究交流を目的に無料で配付するアジア、ラテンアメリカ、ロシア・東欧諸国などの大学・日本研究機関であり、もうひとつは、オックスフォード出版局が独自に定期購読を受け付ける日本、欧米諸国などの大学・研究機関、個々の研究者である。印刷部数は99年現在、650部。99年10月現在、第2巻第2号(通巻4号)までが刊行されている。

(2)編集体制と特徴

 社会科学研究所は1960年以降、通巻37号に及ぶ英文紀要"Annals of the Institute of Social Science"(年刊)を刊行してきた。SSJJはその実績を踏まえつつ、同紀要の編集体制を抜本的に改組して、国際的な英文雑誌を目標に刊行を開始した。具体的には、①国内外からの自由投稿の推進、②厳格なレフリー制の導入、③社会科学研究所を中心とする編集委員会と海外の日本研究者を含むアドヴァイザリー・ボードの設置、④オックスフォード大学出版局を通じた世界的な流通の4つを柱にしている。また、外国人の 専門編集者(Managing Editor )と翻訳スペシャリストを正規のスタッフとして配置している点も、本ジャーナルの編集体制の大きな特色である。

 SSJJの編集方針としては、次のような考え方をとっている。

  1. 日本社会に関する社会科学的研究であれば、国内・国外を問わず、また欧米諸国に限らず、広く世界から投稿を求める。
  2. 必要に応じて時宜にかなった特集を組む。現在までに「朝鮮戦争と日本」、「日本社会と'共同体'」「規制緩和と日本経済」「日本における政治行政改革」「日本社会とジェンダー」をとりあげており、もしくは編集中である。
  3. 欧米のみならず、アジア諸国などにおける新興の日本社会研究の動きを紹介するサーベイ論文を掲載する。
  4. 書評欄を充実させる。その際可能な限り、日本語で書かれた文献については外国人の日本研究者が、英語その他外国語で書かれた文献については日本人の研究者が書評を担当するように配慮し、ユニークな編集を試みる。
(3)日本社会研究の国際ネットワーク化と拠点形成

 SSJJを他の英文日本研究雑誌から区別する特徴は、日本社会の社会科学的研究、すなわち経済学、政治学、法学、国際関係論、歴史学、社会学、文化人類学などの専門領域を横断した総合的な日本社会研究の国際交流とその拠点(結び目)をめざす点にある。なお、日本文学などを除いた場合、社会科学分野を中心とする英文による総合的な学術雑誌は本ジャーナルが世界で最初であり、大きな期待が寄せられている。

 それ以上に本ジャーナルがめざしているのは、論文の投稿者、書評者、レフリーとの恒常的なコミュニケーションを、社会科学研究所の編集委員がコアとなって進めることで、日本社会研究に関する「知識センター」(knowledge center)を構築することである。たとえば、レフリー制度について言えば、ひとつの投稿論文に対して現在、国内外の当該分野の専門家2-3名にレフリーを依頼している。また、とりあげるべき本や書評者の候補についても、幅広い層から意見を徴集している。さらに、従来あまり注目されてこなかった非英語圏、たとえばアジア諸国の現地語による日本研究のサーベイを英語で積極的に紹介することも企画している。こうした活動を通じて継続的にコミュニケートしている国内外の日本研究者の数はすでに150名を超えるにいたった。この人的資源を生かして、単に日本人による日本社会研究の世界に向けての発信にとどまらず、国際的な人的ネットワークを構築していくことが、SSJJ編集の最大の目標であり、かつ大きな利点であると考える。

(4)外部レビューアーの評価

 オックスフォード大学出版局は、1999年初めに最初の2号分について独自に外部の覆面レビューアーに本ジャーナルの評価を依頼した。回答を寄せた6名のレビューアーの評価結果は、次のように好意的かつ編集・刊行を激励するものが多かった。

  • 世界で最初の日本社会に関する総合雑誌であり、おおいに期待する。
  • 翻訳英文の質、編集の質がきわめて高く、安心して読める。
  • 英語圏に知られていない日本人研究者の研究業績の紹介が多く、参考になる。
  • 書評欄が多様であり、海外では接しにくい本や研究の紹介があって参考になる。
  • 書評の編集方針がユニークであり興味深い。

他方、編集方針については次のような注文も寄せられた。

  • 毎号特集の方式は一般投稿論文のスペースを制限するので、回数を減らした方がよい。
  • 外国人研究者を含め、著者が社会科学研究所や東京大学など関係者に偏らないように留意してほしい(そういう方針はとっていないし、第2巻以降は著者の所属先は広く分布している)。
  • 日本語による日本研究の文献をもっと数多く紹介してほしい。

 以上の点については、編集委員会等で検討したうえで、より多くの人々に受け入れられ、かつ質の高い雑誌であり続けるよう努力していきたい。

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