社研卒業生の現在(いま)

和田春樹さん

長年社研に在籍され、現在、東北大学東北アジア研究センターでフェローとしてご活躍の和田春樹さんに、社研在籍当時や最近のご様子についてお話を伺いました。

和田春樹さん
プロフィール

和田春樹(わだはるき)

東北大学東北アジア研究センター(フェロー)
専門分野:ロシア・ソ連史、現代朝鮮研究

社研在職期間:1960年4月~1998年3月

助手(1960.04-1966.03)
講師(1966.04-1968.03)
助教授(1968.04-1985.03)
教授(1985.04-1998.03)
所長(1996.04-1998.03)

 私は1960年文学部の西洋史学科を卒業するとともに、研究所の経済の助手に採用になりました。助手の期間が終わると、そのままパーマネント・スタッフとして採用され、定年退職するまで、38年間社研に勤務した者です。ですから、ほんとうに社研のおかげで、私は安定した、自由な、幸福な大学生活を送ることができました。

 社会科学者は、学問の枠をこえて、自由な発想で、自由な方法を開発して、重要な社会問題の解明をはかることが求められています。私は、終始経済部屋に属していましたが、全体研究の必要上、近代ロシアの法制度についても、戦後ソ連の対日政策についても論文を書きました。そういうことが私に飛躍のチャンスをあたえてくれたと思います。ソ連を研究している私が、ソ連の北朝鮮占領政策の論文を書いたところから、北朝鮮研究を第二の専門テーマにするにいたったのは、社研でなければ不可能であったことでしょう。最後に私の仕事は、「東北アジア共同の家」の建設を提案するところにまで進みました。社研を退職するときの最終研究会報告で私はこの構想について話しました。だから、近年社研が「東アジア共同体」の共同研究をされているのを知って、とてもうれしかったのです。

ある戦後精神の形成 「平和国家」の誕生

 社研では東大百年史の一環で社研史の執筆チームに入り、戦後史における社研の発足を書きました。私は戦後日本史に強い関心をもつようになり、退職後の2006年、回想『ある戦後精神の形成 1938-1968』(岩波書店 2006年)を書きました。そして、こんどは、自分の経験から出発して戦後史を書くつもりで、『「平和国家」の誕生――戦後日本の原点と変容』(岩波書店 2015年)を昨年末に出しました。「平和国家」という標語は天皇の45年9月4日の勅語で打ち出されたものであり、それを知識人と国民が支持して、非武装・非戦国家という内容をあたえたのだ、46年の書き初めで全国の小学生が平和国家の誓いを立てたというようなことを書きました。6年生の皇太子の「平和国家建設」と一緒に、2年生であった私の「太平の春」も写真で載せています。平和憲法を考える昨年の状況に一石を投じたものですが、同僚だった渡辺治さんにはどう読んでいただけるでしょうか。

書初め1 書初め2

 いまやっているのは、スターリン批判の研究です。社会主義部門は成果の刊行が少ないと批判されていましたが、最初の独自成果は1977年に出た論文集『現代社会主義の諸相』です。私はこれに「スターリン批判:1953-1956」を書きました。現代社会主義の諸相当時は、フルシチョフの秘密報告すら、米国務省公表の英文訳しか知られておらず、内部資料は一切明らかになっていませんでした。それでも、私は、フルシチョフがスターリン批判に対して主導的であり、ミコヤンは消極的であったとのフルシチョフ回想記の記述は正しくないこと、スターリン死後、まずスターリン路線の修正に積極的になったのはベリヤとマレンコフであり、フルシチョフは当初は保守的であったこと、収容所の政治囚が反乱をおこし、スターリン抑圧の犠牲者であった古参ボリシェヴィキがスターリン批判、レーニン復興を唱えて、活動をおこしたこと、これに『歴史の諸問題』誌編集部の歴史家たちが結びつき、指導部の中ではミコヤンが呼応したこと、この力がフルシチョフをして、スターリン批判を進めることを決断させたことを主張したのです。

 ペレストロイカとソ連の崩壊後、おびただしい資料があきらかにされました。それを検討した結果、私がえた結論は、1977年の私の論文の基本線は正しかったというものです。それで、スターリン批判から60周年の今年、77年の論文をもとに本を出そうとしています。いまは再校をおえたところですから、5月中には出版されると思います。作品社から出る本のタイトルは同じ『スターリン批判 1953―56』です。そういう本ですから、これも社研での研究の完成だと思っています。

 社研時代の最後の2年間、1996-98年は、私は所長をつとめたのですが、実はそうなる一年前の95年に日本政府がつくった慰安婦問題解決のためのアジア女性基金の呼びかけ人を引き受けていました。そちらをやめられず、昼間は所長室で執務をし、夜になると、基金の会議にいくというような生活になりました。ストレスの昂じるところ、私は髪をうしない、5月の連休後からは鬘をかぶることになりました。一年後、髪はふたたび生えてきました。私は所長をやめ、退職したあとも、2007年の解散時まで基金の仕事をやりました。

 慰安婦問題が明らかになってから25年が経過しています。この解決がこのところの私の最大の関心事でした。95年年末の日韓両政府の合意が本当に生きるようにさらなる努力がなされることを願っています。

1938年大阪生 静岡県清水市で育つ
1960年 東京大学文学部卒業、社研助手に採用
1966年 社研講師 68年 助教授 85年 教授
1996年 社研所長
1998年 定年退職、東京大学名誉教授
2001年 東北大学東北アジア研究センター客員教授
2005年 同センター・フェロー

 社研在籍中の1977年に書かれた論文を元に、同じタイトルで新たに本が出版されるとのこと、素晴らしいですね。これからも健康に留意されご活躍ください。今日はありがとうございました。

(2016年3月30日掲載)


最近、嬉しかったことは何ですか?
ビール

 社研時代の末期にC型肝炎のウィルス感染が発見され、1994年から21年間定期的に検診をうけてきましたが、昨年末アメリカ製の特効新薬を一日一錠、89日間のみつづけた結果、ウィルスが完全に消えました。ほっとしてビールをのみはじめました。

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