社研卒業生の現在(いま)

小森田秋夫さん

現在、神奈川大学法学部でご活躍の小森田秋夫さんに、社研在籍当時や最近のご様子についてお話を伺いました。

小森田秋夫さん

カザフスタン・アルマトィ近郊で

プロフィール

小森田秋夫(こもりだ あきお)

神奈川大学法学部(教授)
専門分野:ロシア法・東欧法、比較法学

社研在職期間:1988年4月~2010年3月

       助教授(1988.04-1993.03)
        所長(2005.04-2009.03)
        教授(1993.04-2010.03)

小森田秋夫ウェブサイト
「ロシア・東欧法研究のページ」

 10年過ごした札幌を後にして社研にお世話になることになったのは、1988年のことです。その時の私には4月1日に出勤しなければならないという自覚がなく、2、3日遅れて加藤栄一所長にご挨拶に伺ったら、“思いがけず”叱られてしまったことを思い出します。東京に来るかどうかかなり迷った末の決断でしたので、心のどこかにぐずぐずする気持ちがあったのかもしれません。その後、定年までの22年間を社研で過ごすことになりました。

 1988年は、ソ連のペレストロイカが政治改革へと踏み込む重要な局面を迎えていたときでした。ソ連研究者なら誰しもそうしていたように、次々に思いがけない事態が展開する日々の動きを追いかける毎日でした。89年には、もうひとつの研究対象であるポーランドで一足先に決定的な政治的変動が起こりましたので、ソ連とポーランドとを比べながら、眼前で展開される体制転換の意味を考え、約2年間、毎月雑誌に小文を

最近のワルシャワ旧市街で見かけた路上パフォーマンス

最近のワルシャワ旧市街で見かけた路上パフォーマンス

書き続けるという経験もしました。社研では「現代日本社会」をテーマとする全体研究が進行中でしたが、途中から加わったこの企画の趣旨を咀嚼することのないままに、ソ連崩壊の引き金となった1991年8月のクーデタ未遂事件の法的意味という、いささか視野の限定された論文を提出することしかできませんでした。この時期の社研は、和田春樹・二瓶剛男という先輩ソ連研究者と、近藤邦康・田島俊雄・田中信行という中国研究者が揃う(私を除けば)たいへん豪華な陣容でしたので、所外の研究者をも結集した「ペレストロイカと改革開放」という中ソ比較研究にも取り組むことができました。その後私は、1994年9月から1年間、ポーランドで研究する機会を与えられました。これをきっかけに、ロシア法の研究は結果として縮小し、現場感覚の身についたポーランド法の方に重点が移ってゆくことになります。企画チームに加わることとなった全所的プロジェクト研究「20世紀システム」では、ポーランドの脱社会主義を生活保障システムという観点から考察する論文を書いています。

 以上が社研時代の前半だったとすれば、後半についての記憶を占めているのは、「管理運営」です。2005年度から4年間、所長を務めましたが、その前の5年間も、協議員として社研の運営に執行部として関与していましたので、合計9年になります。当時は、国立大学法人化に向けた議論が展開され、2004年4月からついに実施されるという時期です。法人化2年目という年に所長になったとき考えたのは、積極的に変えるべきことは(外から言われなくても)変える、制度の変更にともなって変わらざるをえないことについては賢く変わる、変えるべきでないことは変えない、という考えで臨むということでした。どのことがらがこれら3つのどれに当たるのかは必ずしも自明ではありませんし、考えどおりに実行できたというわけでもありません。ともかく、生まれて初めて毎日出勤し、所長室に直行するという日々でした。かつてはおおむね1期2年で交替する所長職を、法人化の前後からは2期4年務めるのが当たり前という空気が生まれつつあったので、1期3年限りとする(つまり、2年は短すぎるが4年は辛い、3年にするから選ばれたら諦めて管理職に事実上専念してください)という規則改正を提案し、実現しました。これが最大の、いや唯一の、のちに残る「功績」ではないかと思いますが、いかがでしょうか?

 昨今、学長のリーダーシップが強調されています。学長と所長とでは同じではありませんが、社研というところは、伝統となった独自の気風があり、所員がそれぞれの場所で自律的かつ積極的に活動し、それを信頼することのできる職場でした。したがって、所長が旗を振って何か新しいことをやるということにはあまりなじまない組織ではないかと思います。そういう中で、密かな考えがあって提案し実現したことのひとつが、主として高校教員を対象とする「社会科学を語る夏のワークショップ」でした。「小森田の道楽」と評する同僚もいましたので、どうなるかと思っていましたが、「社研サマーセミナー」として続けられているのを見て、嬉しく思っています。いろいろな考えがあるでしょうが、何とか持続させてほしいと願っています。

 社研生活22年で定年となり、これで大学教員としての生活も終わりと思っていたのですが、思いがけず、神奈川大学法学部に採用していただくことになりました。あれから7年、もう第2の定年を迎えようとしています。

最近のワルシャワ旧市街で見かけた路上パフォーマンス

東欧では不思議なパフォーマンスを見かける:
ウクライナ・リヴィウの旧市街

 神奈川大学に就職した当初、2つのカルチャーショックを覚えました。ひとつは、教授会の議題をはじめ、教員間の関係や話題が、ほとんどもっぱら教育のこと、学生のことで占められていることです。もうひとつは、事務が本部に集中しているため、「教員と職員とが一体となった学部」という感覚に乏しいことです。事務関係のことがらは、そのつど本部の別々のセクションに足を運び、身近にいる図書系の職員は非常勤で、ある日突然、挨拶もなしに交替したりします。前者は当たり前と言えば当たり前ですし、後者も珍しいことではないでしょう。が、社研から移ったばかりのころは、別世界に来たと感じました(むしろ社研の方が別世界だったのかもしれません)。前者については、たまたま法学研究所(私学にはよくある、全教員をメンバーとする組織)の所長に任じられましたので、「研究の復権」を考えました。研究所といっても社研とは性格がまったく異なることは200%承知のうえで、それでも何かできないかと考えて提案したのが、「法学研究所懇話会」です。研究会と言わないのは、研究報告に限らずどんなことでもよいという趣旨からで、在外研究の報告、著書の紹介、定年退職者の回顧など、さまざまです。後者の事務の問題は、基本的には適応するしかありません。早く適応するための手段として新入教員として1年目に自ら作ったのが、「神奈川大学法学部新入教員の手引き」です。

 さて、神奈川大学における中心的な担当科目は、「比較法」です。「比較法」という看板で自分の研究対象である特定の外国法をもっぱら教える、ということもないわけではありません(実は、私にもその経験があります)。が、他に外国法科目があまりない中で事実上「ロシア・東欧法」だというわけにはいかないだろうということで、先学の業績を一から勉強しながら、“まともな”(つもりの)「比較法」の授業を行なっています。5年目の2014年度からは、新入生向けの入門科目「現代社会と法」を担当しています。私は、日本法についての論文を書いたことがなく、教えたこともなく、それどころか、学生時代にまともに法律学を勉強したとすら言えない人間で、そんな人間に大切な法学入門科目を任せるのは無茶ではないかと思うのですが、断ることはできませんでした。採用のときの条件に、「初年次の法学」も教えるということが含まれていたからです。

社研時代のポンチ絵

社研時代のポンチ絵

 というわけで、7年間に2つの新しい教育科目の中味を作らなければならないのは、結構大変でした。が、何を教えなければならないという大枠のある実定法科目と異なり、「比較法」も「現代社会と法」も、そのような制約はありませんので、授業内容作りはそれなりに楽しいものでもありました。「現代社会と法」のレジュメは、教員生活で初めて、ポンチ絵風に作っています。「ポンチ絵」という言葉を知ったのも、作成の技術を覚えたのも社研所長時代です。これが所長を務めた結果として私自身の中に残った唯一の(はやりの言葉で言えば)「レガシー」ではないかと思います。

今日は、いろいろ貴重なお話をありがとうございました。先生ご退官後、ロシア・東欧研究者は社研に復活していませんが、サマーセミナーは今年で6回目、盛況に開催されました。先生が社研に残された「レガシー」はポンチ絵とは比較になりません。お元気でますますのご活躍をお祈りしています。

(2016年12月22日掲載)


最近、嬉しかったことは何ですか?

 最近嬉しかったことは、残念ながらこれと言って思い浮かびません。ポーランドの雲行きが極めて怪しい、かかわっている仕事の場面でやっかいなことが起こっているなど、嬉しくないことならありますが。あえて言えば、1年生の授業のあとで「チェルノブイリ法を福島に応用できるのではないか」と質問してくる学生がいた、今日のゼミのディベートはなかなかおもしろかったなど、ささやかなことのあれこれです。

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