社研卒業生の現在(いま)

広渡 清吾 さん

社研には36年間ご在籍、その間、所長、総長特別補佐、副学長・附属図書館長を歴任され、現在は専修大学法学部でご活躍の広渡清吾さんに、社研在籍当時や最近のご様子についてお話を伺いました。

広渡清吾さん

オーストリアのハルシュタットという湖畔の村のホテルにて

プロフィール

広渡 清吾(ひろわたり せいご)

専修大学法学部(教授)、
大学共同利用機関法人・人間文化研究機構(監事)
専門分野:ドイツ法・比較法社会論

社研在職期間:1973年4月-2009年3月

助教授(1973.04-1991.03)
教授(1991.04-2009.03)
所長(1998.04-2001.03)
総長特別補佐(2001.04-2002.03)
副学長・附属図書館長(2002.04-2003.03)

 「社研卒業生」として思い出を語って下さい、という注文です。ぼくの社研在職期間は、36年になります。あるとき、おとなりの社会情報研究所の若い先生と話していて「そんなに長くいて飽きませんか?」と問われ、ちょっと返事に困った覚えがあります。「飽きる」なんて、感じたことも考えたこともありませんでしたから。36年は数字でみれば、長い年月ですが、振り返るとあっという間で、要約するとたった5文字で言えます。「色々あった。」

 「色々あった」ですむところから何かを取り出そうとすると、これは難しそうです。そこで、社研退職の際の最終研究会報告で使ったやり方で、社研で過ごした時代を、徒弟時代、職人時代、ポスト職人時代に分けて三題噺にしたいと思います。ドイツの伝統的なプロフェッショナル養成システムによると、徒弟、職人の次の地位は、「親方」(マイスター)ですが、この親方にまで辿りつけなかったので「ポスト職人」時代というわけです。

 徒弟時代は、研究も一生懸命しましたが、楽しかったのは課外活動で、とくに野球です。70年代には、社研野球部があり、毎年夏季に総長杯争奪のリーグ戦がありました。もちろん、”Shaken” とロゴの入ったユニフォームを着ていました。“S”マークのついた帽子だけは、いまでも手許にあります。ぼくは、三塁手で、二番手ピッチャーでした。エースの「福ちゃん」は、球が速いけれども一本調子で、打たれ始めると止まらないので、ぼくの出番になります。といっても、「抑え」などという立派なものではありません。先発も時には回ってきました。「笠原さん」がキャッチャ―で、試合開始前に一応それなりにサインの確認をします。直球、カーブ、「シュートも投げるよね」ということでシュートのサインも。試合が進むと、サインなどどこかへ、一塁手の「櫛引さん」がぼくのところにやってきて、「わざと打たしているの」。必死で投げているにもかかわらずです。とうとう、勝利投手の美酒を知らずに引退しました。

 職人時代で面白かったのは、「現代日本社会」の全体研究プロジェクトです(1985-1992年)。運営委員会には、社研の論客が揃い(一応ぼくを除いて)、なにしろテーマがテーマだけに、談論風発の委員会で、合宿研究会もやりました。バブル崩壊前の、それゆえ、世界に冠たる現代日本資本主義を丸ごと分析することが課題でした。「会社主義」と規定した日本資本主義成功の条件は、同時に、日本社会の「問題」でした。「働くおとこ」と「おんな、こども、としより」の光と影のコントラストが浮かび上がりました。

 全7巻のうち、ぼくが担当した第6巻の最初の題名は「諸問題」でしたが、あまりに芸がないので、少しだけ恰好をつけて「問題の諸相」としました。「現代日本社会」という題名に魅かれて、高校の社会科の先生たちが買って下さったのではないかという噂の中、比較的によく売れました。第6巻に書いた「序論 いま、何が問題か」は、執筆者の一人、社会学者の富永健一さんにほめられましたが、その最後の文章はこうです。「必要なのはユートピアではなく、『問題』に立ち向かい、認識し、解決に向かう力である」。いまは、ユートピアが違った形で必要だと思っています。

 ポスト職人時代、所長に就いたとき、外部評価の実施と事務合同化が課題でした。そういえば、望外のプレゼントとして、総合研究棟が補正予算で認められました。外部評価は2年がかりで、社研ではじめての取組みでした。その成果は、いまの社研のホームページにもアップされていますね。外部評価委員会の第1回の会合で、所長としての説明を終わって質疑応答に入ったところ、石井紫郎座長の第一声、「広渡さん、社研はいつから変わったの?」。社研のこれまでを知る石井先生にとって、「あの社研がよく外部評価を」という感想だったのでしょう。

 事務合同化は、恒常的な定員削減対策として本部が打ち出したもので、当初は、文系8部局(4学部4研究所)の事務統合案がまとまりかけ、これが崩れたあと、「4研究所合同事務部案」を概算要求で出しました。全学のトップを切った事務合同の概算要求で、本部は喜んで文部省にもっていったところ、こんな小さなものだけでは大蔵省にいいようにされるから駄目だと突き返されました。事務局長と総務部長は、4研究所長の集まった社研所長室に「来年度よろしく」と釈明にきましたが、「本部はあてにならない」とぼくは相当に憤然としました。次年度、事務統合の概算要求は出しませんでした。本部の概算要求ヒアリングでは、事務局長や部長さんたちにさんざんいじめられました。他の3研究所の所長さんたちも同じようにやられる可能性があったので、「この件は社研所長が説明するからと言って下さい」と連絡し、事前に覚悟していましたので、馬耳東風、ああいえばこういう、と対応しました。こうして、3研究所(社情研が抜けましたので)の事務室は、結果において、いまも健在です。

 所長に再任され、その任期を1年残して佐々木毅新総長の下で特別補佐・副学長を務めることになりました。ここでも色々ありましたが、いま残る仕事は「東京大学憲章」です(2003年3月制定)。法人化が予定される中で、法人化を超えて普遍的な東京大学のあり方を示す、という目的をもちました。21世紀にちなんで、憲章は21カ条と洒落ました。東大のホームページで見ることができますが、法人化後の東大の運営において重要な役割を果たしているようで感慨深いものがあります。

 長くなってすみません。これで終わりにしますが、社研で最後のプロジェクト研究は、「希望学」への参加でした。専門家が誰もいない、アイディアをだしあう研究がとても魅力的で、責任者のリーダーシップが抜群でした。「希望に関する11のテーゼ」をものしましたが、この「11」の含意にひそかな楽しみを仕掛けました。専修大学に移ってからは、「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を心に刻むこと」と唱えながら、教育のマイスターを目指しています。

楽しく、また貴重なお話をありがとうございました。もっともっと「色々あった」ことをお聞きしたいですが、今日はこの辺で。ところで、最新ニュースが入ってきました!ドイツから勲章が贈られたとのこと、おめでとうございます!(*)
これからもご健康に留意されますますご活躍されますようにお祈りしています。

(2015年3月31日掲載)

最近、嬉しかったことは何ですか?

15年前に家を建てたとき、連れ合いの希望で庭に白梅を植えました。愛でていましたが、病気で枯れてしまい、昨年、新しい木に植え替えました。いま、ちょうど季節で新参の白梅が花をつけ始めました。(2015.2.24)

(*)専修大:広渡清吾・法学部教授にドイツから勲章


2015年03月06日(毎日新聞大学支援センター監修)

 ドイツ法を専門とする専修大学法学部の広渡清吾教授に、ドイツ政府から功労勲章一等功労十字章が授与された。2月27日、ドイツ大使公邸 (東京都港区)で伝達式が行われ、ハンス・カール・フォン・ベアテルン大使から勲章が贈られた。

 広渡教授は日本ドイツ学会理事長などを歴任し、現在は若手研究者のドイツ留学を支援する日本フンボルト協会の理事長を務めている。また、ベルリン自由大学、ミュンヘン大学で客員教授を務めるなど、ドイツ国内での実績も数多い。

 伝達式でベアテルン大使は「日独両国で研究を行うとともに、特に若手研究者の支援に尽力した」と広渡教授の功績をたたえた。

 広渡教授は「この勲章は私個人ではなく、同僚の皆さんと共同での授賞です。 戦後70年を迎える今、日独の学術交流をさらに発展させたい」と感謝を述べた。

 式には坂本武憲・同大副学長や大西隆・日本学術会議会長、濱田純一・東京大学総長ら35人が出席し、広渡教授を祝福した。

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