希望、沖縄、危機対応

2016年9月12日
玄田 有史

危機対応と希望学

 今年度からの新しい社研の全所的プロジェクトとして「危機対応の社会科学(危機対応学)」に参加している。4月から毎月所内で危機対応学ワークショップを開催、まずは所内メンバーで問題意識の共有をはかっているところだ。社研のメンバーは、政治学、法学、経済学、社会学を専門にしているが、それぞれがなんらかの意味で「危機対応」という内容に関連した研究をしている場合が多い。危機対応学は社研らしいテーマかもしれない。

 私は社研に在職して今年で15年目になる。その間、一番深くかかわってきた全所的プロジェクトといえば、2005年度から2009年度に行われた「希望の社会科学(希望学)」。希望学は今も関心を頂戴することがあり、「最近はどんなことを?」とか「(希望学の関連で)釜石には行っているんですか」と訊かれたりする。希望学は、所内のグループ研究として現在も継続中で、社研ホームページ内にある「希望学プロジェクト」のコーナーでは、最近の活動状況も適宜更新中だ 。

 危機対応学をやるということになって「希望学はもうやらないんですか」といわれたこともある。でも自分のなかでは、危機対応学は希望学のその先にあるものと思っている。将来の希望ということを考えるとき、何の不安や心配もない状況を想定することは、今や現実的ではないように感じる。むしろ、自然災害であれ、人的なものであれ、将来何らかの危機は、少なからず繰り返し起こるだろうと考えるほうが実際的だ。だとすれば、どんな危機が起こったとしても、なんとかそれなりに対応できる(できそうだ)という見通しや手ごたえの感じられるところにこそ、これからの希望は生まれるのだろう。社会のなかの危機対応について学ぶことは、社会における希望のあり方を考えることなのだ。危機対応学、やります。けど、希望学もやめませんから!

 それに危機対応学というと「リスク管理論ですか」といわれることもある。危機対応学が既存のリスク管理論から謙虚に学んでいくべきことは多い。ただ危機対応学は、リスク管理論とは、どこかで一線を画したいという思いもある。本当の危機とは、管理をはるかに超越した存在なのではないか。しかし、管理がどんなに困難であったとしても、なんとか柔軟に対応することはできるはず。そんな危機対応のあり方を考えてみたい。いみじくも「危機」は、危険(risk)の「危」と、機会(opportunity)の「機」の両方から構成される言葉である。危機に対応するとは、危険を回避したり、極小化するということだけでなく、それによって新たな機会を創り出そうとするものでなければならないはずだ。

 そんな危機対応学に、これから4年をかけてじっくり取り組んでいきたい。

沖縄から始める

 危機対応学は、これまでにない新しい社会科学を目指している。そうはいっても、希望学もそうだったが、新しいことを始めようとすると、何から手をつけていいかが、すぐには分からない。へたをすれば、迷走してしまうこともある。だとすれば、大事なことは何か。新しいことを始めるときに、まず大事なことが二つある。歴史に目を向けること。そして世界を知ろうとすることだ。

 「メリディアン180」というプロジェクトがある 。メリディアン180はアジア・太平洋地域等の多様な研究者、実務家、政策担当者など、約650名から構成される国際コミュニティだ。東日本大震災をきっかけに、希望学でもお世話になってきたコーネル大学のアナリサ・ライルズさんの呼びかけで結成された。「太平洋を繋ぐ対話を促進し、その本質を変える」「分野の垣根を越えて専門性を集積し、アジア・太平洋地域における重要な課題に取り組む」という二つの理念に基づき、これまで高齢社会、中央銀行などをテーマとした国際会議などを、米国、中国、韓国などで行ってきた。

 その2016年度の会議が、7月8日から10日にかけて、沖縄糸満市においてDeveloping Proposals for Risk Mitigation in the Asia-Pacific Regionというテーマで開催されることになり、私自身もその企画にかかわることになった 。直接のテーマはリスク減殺のための発展的提案ということだが、世界中から集まる知見は、社研の危機対応学にもきっと多くのヒントを与えてくれるはず。社研からは、有田 伸、伊藤亜聖、宇野重規、玄田有史、スティール若希、中村尚史、藤谷武史、保城広至、マッケルウェイン・ケネスが参加した(敬称略)。前日には台風が沖縄を直撃し、開催も一時危ぶまれたが、台湾からの数名を除く約60名が予定通り糸満に集まった。

 まずは、よかった!ときに危機対応とは、幸運を祈ることでもある。

イメージの共有

 メリディアン180は、インターネットを用いたバーチャル・コミュニティで、通常の会話は電子メールのメーリング・リストが中心だ。そのため、参加者の大部分が、初めての出会いということになる。住んでいる国や地域が違えば、専門的な知識や経験も異なる。危機という、いささか抽象的な面も含まれるテーマについての対話は、はたして成り立つのか。

 さらに企画では、自然破壊的なリスクや地政学的なリスクについての対処とならんで、危機(crisis)のうち、まだ認識が共有されていない「未知(unknown)」の危機を、考察のポイントに掲げた。未知の危機をいかに察知し、その上で適切に行動していくかについて、議論しようという呼びかけを会議前から行ってきた。言い出したものの、未知の危機について認識を共有しようなんて「言うは易し、行うは難し」。どうしようか。

 そこで会議では、すべての参加者に対して、事前に次のお願いをした。
Snapshots of the next crisis: To prepare for the conference, we request that every attendee immediately submit a photo and no more than two sentences capturing what the next crisis looks like to you: what most concerns you? What do you see as the crisis to come from the point of view of the world you inhabit, or work in?

 あなたにとっての次の危機とは何ですか?手前味噌ではあるが、危機についての一枚のスナップショットと手短な説明を持参するという「宿題」は成功だったと思う。言葉だけではなかなか共有できない認識も、一枚の「絵」があることで想像は大きく膨らんでいく。質問も出しやすいし、お互いの問題意識も明確になる。テーブルを同じくした人同士でスナップショットの紹介をし合った後、各席の議論はプロジェクタに画像を投影し、全体で共有した。危機対応には、言葉だけではないイメージの共有が重要なのだ!

 私自身が提供したスナップショットは、震災での津波被害を逃れた釜石の小中学生を描いた絵本『つなみてんでんこ はしれ、上へ!』(指田 和・文、伊藤秀雄・絵、ポプラ社 )にある1コマの絵。そこにこんな言葉を添えた。
All school students saved their lives from tsunami, according to just the three disciplines: "Do not be caught by supposition," "Do all what can be done," and " Be the first to do."
『学校の生徒たちは、たった三つの約束ごとを守って、自分たちの命を守った。「想定に囚われない」、「つねに最善を尽くす」、「率先して行動する。」』これから各地で起こる、津波などの自然災害に対し、世界のすべての子どもたちに身につけてほしい危機対応だ。

 議論の盛り上がった一枚が、宇野さんの紹介した「茹でガエル」の描写。宇野さんは "We are like a frog in a boiling water. The most serious crisis is the fact that we are too much accustomed to crises."という言葉を付した。危機という言説に馴れてしまうことが最大の危機。大事な指摘だ。

 スナップショットを通じたイメージの共有。また今度どこかで試してみよう。


グループでのスナップショット議論を紹介するマッケルウェインさん。全体を終始盛り上げてくれた。

話して動いて

 国際会議というと、2日とか3日にわたり、会場となったホテルに缶詰になり、延々と会議や報告会に参加するということも珍しくない。というか、大体がそうだ。最終日などに観光ツアーが行われることもあるが、参加はあくまで希望者のみ。

 今回の沖縄会議では、会議の2日目ど真ん中に、全員で沖縄の町に飛び出すワークショップを行うことにした。ワークショップのタイトルは「Talking to Strangers (見知らぬ人との会話)」。数名のグループに分かれ、観光地で有名な那覇市内の国際通りの他、戦争の記憶を残す旧帝国海軍司令部棟、平和祈念公園、地元の人の日常生活を垣間見る糸満市内の道の駅やアウトレットモールを一定時間歩き、そこで初めて出会った人たちとの会話を試みた(各グループに一名は日本語の話者が付いた)。危機についてストレートに質問する人もあれば、もっと日常的な生活のなかで感じていることを深くたずねた人もいたようだ。沖縄は、日本で危機を考えるための最も大事な場所であるということは、参加した多くの外国人が実感したはずだ。

 危機、特に未知だった危機に遭遇すると、そこでは何らかの意味でのストレンジャーに出会ったり、ときには自分がストレンジャーになったりもする。ストレンジャーとの対話には、一定の緊張や戸惑いが生じる。危機に対応できるかは、そんな見知らぬ人たちといかにかかわりあえるかにかかっている。そんなことを、Talking to Strangersという奇妙な名前のワークショップを通じて、多くの参加者が再認識したように感じた。

 ワークショップから会場のホテルに戻ってからも、すぐに会議とはならない。アナリサ・ライルズさんのコーディネートにもとづき、「人間彫刻」プロジェクトが始まった。人間彫刻の目的を端的にいえば、ワークショップで感じたことを、グループごとに身体を使って表現することだ。ポイントは、けっして言葉を用いないこと。リスクや危機について感じたことを、あくまでそれぞれの身体の動きとその組み合わせで表現する。そしてその表現が意味するところを、観ている人たちが、自由に想像し言葉で言い表していく。どの言葉が正解であるかといったことなどは、一切問わないのも、ポイントだ。

 こういう身体表現など、馴れていない人には、実に照れくさい。特に大学の先生などの「知識人(?)」にとっては、けっこうハードルが高い。けれど今回は、ライルズさんのテンポと歯切れの良い見事なコーディネートにも促されて、多くが躊躇なく人間彫刻に参加していた。途中、多くの笑いにも包まれた。参加した国際会議、これだけ笑い声があふれた経験は出会ったことがない。この段階で、もう地域や専門の違いなどは、完全に取り払われ、お互いが自由に表現する準備が完全に整えられていた。

 最善の相互理解の方策は「いっしょに何かをやってみること」。それに尽きる。


「人間彫刻」に挑むメンバーと楽しそうに見守るメンバー。ほとんどが前日初めて会った仲間。

シナリオと段階的対応 

 ここまでは、スナップショットとか、人間彫刻とか、言葉の力だけにできるだけ頼らずに、リスクや危機への対処について思いをめぐらしてきた。でも危機を認識し、共に対処していくには、やはり言葉による理解や確認は、ぜったいに欠かせないはずだ。

 そこで続くワークショップは「来るべき危機のためのシナリオの創出」とし、これまでの考察を、言葉に落とし込むことに注力した。用いたのは、いわゆるKJ法の応用だ1

 ワークショップは、いっしょに各地を訪問したり、人間彫刻を行ったグループごとに行った。各グループのテーブルには、大量の付箋紙、数本の色とりどりのペン、そして一枚の模造紙が配られている。参加者は、未知の危機に対処するために重要と思うキーワードを、おもいつくままに付箋紙にペンで書いていく。それを模造紙の上に適当に貼っていく作業を併行して続ける。大事なのは、とにかく数多く書き込んでいくこと。そしてお互いの書いた内容を否定しないことだ。

 ある程度、付箋で模造紙が一杯になると、みんなで議論しながら、言葉のグループ化のため、付箋の位置を張り替えていく。何か足りないと思うコンセプトがあれば、新たに付箋に書き込み、言葉の間の隙間を埋めていく。同時に言葉のグループ全体を象徴するメタ・キーワードを模造紙に書き入れ、さらにメタ・キーワード同士を結ぶ言葉、線、さらにはイラストなどを適宜書き入れながら、それぞれのシナリオを作っていく作業にしばらくの間、没頭した。このような方法に馴れている人、そうでない人と、いろいろだったが、ほとんどの参加者が共同作業を楽しんでいるように見えた。

 8つのグループからは、それぞれユニークなシナリオが示された。あるグループは、数々のキーワードを分類整理し、危機への事後対応に関する5段階シナリオを導き出した。危機対応の第一段階は、まずは危機の起こる(起こった)という「認識(recognize)」だ。その後に恐怖や怒り等の感情を伴う「反応(reaction)」が自然に伴う。それからほどなく、困難を主体的・意図的になんとか取り除こうとする「適応(response)」が続く。適応の後には、より良い方向への移行を意図する「転換(change)」という局面が生まれる。そして最終的に、危機の経験全体を振り返りつつ、何らかの「更新(renewal)」という状況にたどり着くことになるのだという(注:5段階の名称(日本語・英語)は筆者による)。

 この危機対応の5段階説から私は、E・キューブラー・ロスによる「死に至る過程の諸段階説」を想起した2 。多数の末期患者との対話から、ロスは死の過程を「衝撃」「否認」「怒り」「取引」「抑鬱」「受容」「虚脱」と表現した。その上で怒り以降の段階に共通するものを「希望」と呼んだ。危機対応の諸段階で共通するものも、やはり「希望」なのか。それとも別の大事な何か、なのか。危機対応の諸段階に通底する原動力を探し当てていくのも、危機対応学の重要な課題なのかもしれない。

 


来るべき危機への対応シナリオの一例。よく見ると伊藤さん提案のfestivalというキーワードも。

即興と日常

 会議の最終日、朝食を終えた参加者の多くは、チェックアウトの時間ギリギリまで、部屋に閉じこもり、それぞれのPCに向かっていた。朝10時を締め切りに、危機対応について会議を通じて考えた個々のメッセージを英語200ワード以内(日本語、中国語、韓国語でも可)で、メールで提出することを求められていたのだ。結構、タフな沖縄会議!!

 社研メンバーの感想として、有田さんはTalking to Strangersでの体験などを踏まえつつ「考えや志向がまったく異なる人々と対話し、彼らを理解しようとする、時にuncomfortableな経験を、われわれは引き受けていく必要と責任がある」と述べた。中村さんは沖縄の歴史にも言及しながら「人々は誰も、現状が大きく変わるとは思っていない。危機は、その油断につけ込む。「後悔先に立たず。」私たちは、この諺を何度噛みしめただろうか。」と記している。他のメンバーも、スティールさんの"critical 'outside the box' thinking can point us towards the democratic exchanges, tools and processes that will be key to future practices of 'crisis-overcoming."、伊藤さんの"there is no outsider in the festival."など、それぞれが「らしい」ユニークで深い意見を寄せている。送られたメールは即座にすべてプリントアウトし、会場に掲示・共有された。それらの意見を踏まえて、あらためてキーワード探しや今後の展開など、最終的な議論と整理などを行いつつ、沖縄会議は閉幕した。

 最後の議論のなかでは、新たなキーワードとして、危機対応におけるimprovisationの重要性を指摘する声もあった。Improvisationとは、日本語では「即興」を意味する。2日目には、危機に対する「シナリオ」が練られたのとは対照的だ。危機には綿密に段取りを踏んだ「シナリオ」がモノをいうのか。それとも予測不可能な事態に対して、その都度臨機応変に対応していく「即興」が欠かせないのか。両方大事だとすれば、シナリオと即興の最適な組み合わせは、いかなる社会的条件とかかわるのか。その解明も危機対応学の課題だろう。

 会議終了後は、その成果や意義を整理しているところだ。その一つが、危機対応学ホームページの「危機対応学とは」のなかにある、最新のキーワードリストになる。キーワードリストは、昨年度に所内で実施した所内アンケートなどを踏まえて、6月のホームページ開設直後から提示している。それに沖縄会議で発信された内容を加えたものに現在は更新されている(黄色で示されているのが、沖縄会議による新規追加分) 。リストからは危機対応学が目指していること、チャレンジしようとしていることが、見え隠れする。スナップショット、シナリオ、200字メッセージ、会議で撮影した写真など、沖縄会議の数多くの成果は、今後、危機対応学のなかで活かしていくつもりだ。

 最後に、私が記した200字メッセージで、このエッセイをおしまいにする。

 私は沖縄会議のために準備したスナップショットとして311の津波から生き延びた子どもたちの絵本を紹介した。子どもたちはシンプルな3つの原則を守り、自分の命を守った。それは「想定に囚われない」「つねに最善を尽くす」「率先して行動する」ことだった。

 会議の経験を通じて、危機に対応するために必要なのは、危機ではない状況、つまりは日常における原則なのではないかと思った。日常で重要なのは「将来を想定するための道具と習慣を持つ」「疲弊しないための「遊び」を確保する」「行動する人を支援する」だ。

 日常と危機における対応策は、正反対である。だからこそ、危機において、日常と正反対をすることで対応ができるのだ。

1川喜田二郎『発想法 創造性開発のために』(中公新書、1967年)、『続・発想法 KJ法の展開と応用』(中公新書、1970年)
2E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』鈴木 晶訳、中公文庫、2001年