平田第六仮設団地の記憶
水上俊太
東京大学大学院工学系研究科 修士課程
仮設住宅の解消は震災復興における象徴の一つと言われることもある3。東日本大震災で建設された53,537戸4の仮設住宅は9,539戸が現存し、入居戸数は319戸(2020年2月現在)5まで減少した。岩手県釜石市内で最大の平田第六仮設団地は2020年3月末に閉鎖され、解体工事を終えるとサッカー場・ラグビー場に戻る予定だ。
居住者における仮設住宅の記憶とは、一体どのようなものであろうか。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、平田総合公園は自衛隊の活動拠点、仮設住宅の建設用地として利用されてきた。公園内には平田第五仮設団地(42戸)、平田第六仮設団地(240戸)が整備され、平田公園まちづくり協議会を中心に住民自治が行われるなど、多くの世帯が協力して生活を送った。発災から5年目に全ての仮設住宅が解消された阪神・淡路大震災と比較しても、居住者は長期に渡り仮設住宅で生活を続けてきたことが分かる。生活再建へと向かう中、仮設住宅で過ごした時間は決して短いとは言えないだろう。
2020年2月9日(日)~15日(土)の期間、釜石市内の青葉ビルを会場に「平田第六仮設団地の記憶」に関する展示を行う機会を得た。社会科学研究所が釜石市で実施してきた「危機対応学」調査報告会に合わせて、研究内容の一つである「社会的記憶の継承」に関連したアート・展示イベントへ出展する声掛けをいただいたことがきっかけであった。展示では仮設住宅の設計意図や居住者の声から、仮設住宅の記憶を振り返ることを試みた。
筆者は平田第六仮設団地の立案・計画を行った一員である、建築学専攻の建築計画系研究室に所属する。文献資料や居住者へのインタビューから、これまで仮設住宅がどのように利用されてきたのかを調査し、修士論文としてまとめてきた。第六仮設が閉鎖される前に9年間の生活を記録し、得られた知見を今後の震災における仮設住宅の計画に生かすことが目的である。展示会では、思いかけず入手することができた当初の設計資料、インタビューで伺うことができた思い出話などを基に、パネル・ポスター・模型等の展示を行った。
平田第六仮設団地(以下、第六仮設)は「医・職(食)・住」の機能を有する「コミュニティケア型仮設住宅」として、岩手県、釜石市、岩手県立大学、東京大学高齢社会総合研究機構が協働で立案・計画・整備を行った。三陸地方の高齢化率の高さ、阪神・淡路大震災で230名を超えた「孤独死」7の抑制、中心部から6km程離れている不便さなどに配慮して、「仮設団地内で居住者ひとりひとりが孤立することなく、コミュニティ内で共に助けあいながら生活し、最低限の医療・介護サービスが外部からスムーズに提供されること」が目指された8。「医・職(食)・住」の機能のうち、「医」は福祉支援が行われたサポートセンターが拠点となった。釜石市から業務委託を受けた民間企業9が、見回り訪問、介護予防教室などの生活支援業務やデイサービスを行い、24時間365日生活支援職員が常駐した。また、地元医師会の協力も得て診療所が初めてサポートセンターに併設された。「職(食)」では、被災した事業者が再開できる仮設店舗(職)、仮設スーパー(職・食)が整備された。「住」は3つに分かれ、一般ゾーン、高齢者等を対象に向かい合わせ住戸に屋根を架けてウッドデッキでサポートセンター等と繋いだケアゾーン、住棟から子供が広場で遊ぶ様子を見守れる子育てゾーンが整備された10。また当初は計画に無かったものの、2012年には建築家・山本理顕氏の提案・設計により、みんなの家(集会所)が建設された。
一般ゾーン11 ケアゾーン11
先行研究では、ケアゾーンが交流の場として使われ入居者同士で顔を合わせる機会が多くなったこと12、ケアゾーンの計画や玄関向かい合わせ型の住棟配置により仮設団地内の顔見知りが多くなる傾向がみられたこと13が報告されている。また筆者が釜石市職員へ行ったインタビューから、第六仮設では市内外の広域から被災者が集まったため当初は居住者間の繋がりが乏しかったことが分かった。
サポートセンター主催の介護予防教室に参加していた10名の高齢者へ仮設住宅での生活を伺う14と、一様に「楽しい」「とても楽しかった」など、高い評価が聞かれた。「楽しかった」と答えた7名は、第六仮設から恒久住宅へ移転した後も介護予防教室に参加するためサポートセンターを訪れていた方々である。「ウッドデッキでしょっちゅうお茶っこをしていた。入れてください、と言うと、どうぞどうぞと言ってくれた。」「みんな良くしてくれて、こんなのは初めてでよかった。」というように、仮設住宅での生活を懐かしむ声が聞かれた。
7名に詳しく話を伺うと、病院が多い中心部へ移転した後もサポートセンター内の診療所を継続利用していた方、退去後にデイサービスの利用を始めた方など、介護予防教室のみならず退去後も利用を継続していたことが分かった。「仮設の方が楽しかった」「ここにアパートでも建っていたらみんなで暮らしたかった」というように、恒久住宅よりも第六仮設での生活の方が評価の高い利用者がみられた。「デッキはバリアフリーのため車いすで行き来できて良かったが、家の中に段差があるのが大変だった」「高齢者に配慮されたケアゾーンといえど、仮設は仮設。隣から話声が聞こえてくる」など、仮設住宅の生活に対する不便・不満を口にする方もいたものの、交流に関する内容は7名全員から肯定的な発言が聞かれた。一方、再建後の生活では「人が集まらないため自治会運営が困難」「被災・未被災世帯で話が合わなくなった」「近所同士で家が近くなり、すぐに噂が広がる」など震災前と同様の生活を送ることは難しく、5名が他者との関係性に不安や課題を感じていた。
また第六仮設に入居していた3名は、周囲の退去が進む中でもサポートセンターを拠点として交流を維持していた。休日は偶然サポートセンターに居合わせた居住者と職員でお茶会を行い、交流を楽しんでいた。「退去後も仮設でできた絆を維持したい」という居住者の発言も聞かれた。
サポートセンターの職員からは、第六仮設全体の傾向として「退去者は震災前と異なる生活に精神的な負担を抱えており、居住者は取り残された感情を抱えている。それぞれが寂しい気持ちで生活している。」ことが聞かれた。10名の事例で明らかになったように、サポートセンターを利用する高齢者は本来の目的である生活支援を受けるのみならず、利用を通して「寂しさ」を軽減させていると推察される。
サポートセンターが閉鎖された2019年3月以降は利用者からの要望もあり、介護予防教室は退去者が多い釜石市中心部の公共施設へ、デイサービスは平田地区内の恒久施設へと拠点を移動し、診療所は中心部に位置する派遣元の病院へ戻った。仮設団地内から恒久施設へと拠点を移動することは、居住者と退去者、退去者同士、居住者と職員が交流維持を可能とする点で、重要な役割を果たしている。
サポートセンター以外にも、仮設店舗の一角を拠点に居住者が主体となってレクリエーション活動等を行ってきた「平田どうもの会」では、仮設店舗の閉鎖後も近隣の公共施設へ拠点を移動して活動を継続している15。高齢者を対象に、健康麻雀、グラウンドゴルフ、食事会等の活動を行ってきた。参加者は釜石市内の各沿岸地域へ移転しながらも、車を乗り合わせる等でお互い気にかけ合いながら、集まることを楽しみにしていた。
また展示会を通して、自治会の拠点であったみんなの家(集会所)も居住者に親しみのある場所となっていたことが確認された。仮設住宅の思い出に関する自由記述を募集したところ、以下のコメントをいただいた(原文ママ)。仮設住宅で形成できた交流関係に肯定的な思い出があることが分かる。
・みんなの家とても懐かしく過ごしました(事を思い出します。)みんなの家、残ってほしい
・みんなの家は残して欲しい、取り壊し反対
・仮設での生活は絆が一番です
・友愛と信義が仮設で大切
第六仮設の生活では日中に仕事の無い高齢者等が、サポートセンター、仮設店舗、みんなの家といった団地内の各施設を拠点に、他の居住者や職員との交流を楽しんでいたことが伺える。居住者によって、介護度を有するためサポートセンターしか利用したくない方、集まりが好きで全活動に参加をした方など様々であったものの、団地全体として特に高齢者においては、仮設住宅で形成された交流を維持することに需要があった。サポートセンターや平田どうもの会の活動では、交流維持が具現化されてきた。
震災復興におけるすまいの変遷では「避難所→仮設住宅→恒久住宅」へと一方通行で進んでいく。しかしながら交流関係では、恒久住宅の交流形成のみならず仮設住宅の交流維持にも需要がある。仮設住宅の解消と共に当時の生活は記憶の一部となりつつも、仮設住宅で形成された交流関係は記憶に留まらないよう、交流を維持できるような体制づくりが重要である。釜石市では閉所後も継続して介護予防教室を事業委託しており、利用者は第六仮設の関係性を維持することができている。このような財源確保や体制づくりの取り組みが今後も拡大・継続されていくことに期待したい。
最後になったが、展示の機会をいただいた社会科学研究所「危機対応学」調査チームの関係者の方々、調査内容の一つである「社会的記憶の継承」に関連したイベント企画・声がけをいただいた法政大学・梅崎修先生、展示にご協力いただいた釜石市職員の方々へ感謝申し上げる。また筆者が調査を実施し記録をまとめることができたのは、調査にご協力いただいた平田第五・第六仮設の居住者、サポートセンター職員、釜石市役所職員の方々、そして東日本大震災以降、平田第六仮設団地の提案・計画・運営等に携わられた東京大学高齢社会総合研究機構の先生方ならびに各研究室の先輩方のおかげである。重ねて感謝申し上げる。
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1 2011年5月21日撮影(建築計画系研究室 提供)
2 2011年12月18日撮影(建築計画系研究室 提供)
3 神戸新聞NEXT:耐えた5年...最後の転出 仮設住宅すべて解消、2000年1月14日付
4 国土交通省住宅局:応急仮設住宅着工状況(平成25年4月1日10:00現在)
5 岩手県HP「応急仮設住宅の入居状況」、宮城県HP「応急仮設住宅の入居状況(東日本大震災)」、福島県HP「応急仮設住宅・借上げ住宅・公営住宅の進捗状況(入居状況)」を基に筆者集計、2020年3月14日閲覧
6 以下の参考文献を基に筆者作成。みんなの家は当初対象団地に建設予定でなく参考文献に未記載であったため、筆者が加筆した。
東京大学高齢社会総合研究機構:笑顔になれる。仮設の「まち」のデザイン~釜石市平田地区コミュニティケア型仮設住宅団地,2012.7
7 神戸市生活再建本部:阪神・淡路大震災-神戸の生活再建・5年の記録-、 p.141、2000.3
兵庫県内において「県警発表によれば233名が県下の仮設住宅で孤独死したとされている」ことが記載されている。神戸市では仮設住宅が解消されるまで、132名のいわゆる「孤独死」を確認している。
8 冨安亮輔、井本佐保里、他7名:コミュニティケア型仮設住宅の提案と実践、日本建築学会技術報告集、第19巻、第42号、pp.671-676、2013.6
9 SOMPOケア株式会社(株式会社ジャパンケアサービスより2018年7月に社名変更,以下SOMPOケア)が釜石市の公募を経て業務を受託し、2011年から支援を行ってきた。
10 以下の参考文献を基に筆者抜粋。
大月敏雄:町を住みこなす―超高齢社会の居場所づくり、岩波新書、pp.143-156、2017.7
11 2018年7月25日 筆者撮影
12 齊藤慶伸、栗原理沙、他7名:K市H仮設住宅団地におけるケアゾーンの空間利用に関する研究、日本建築学会大会学術講演梗概集、E-1、2012.9
13 齊藤慶伸、冨安亮輔、他9名:コミュニティケア型仮設住宅における顔見知りの広がりに関する研究、日本建築学会大会学術講演梗概集、E-1、2013.8
14 介護予防教室参加者10名に対するインタビューは2018年5月~6月の期間に実施した。
サポートセンターを退去後も継続利用した約30名のうち介護度を持たない・軽度である、インタビューの同意を得たなどの条件を満たす7名と、インタビュー時に第六仮設の居住者でサポートセンターを利用していた5名中3名に話を伺った。
15 2018年6月20日、2019年7月24日インタビューより
16 2020年2月16日 筆者撮影