外国人増加は日本の危機か

2018年12月13日

鈴木 伸枝

 グローバル化の進展に伴い日本国内でも外国人が増加している.国勢調査によると,戦後40年間ほど総人口の0.6%前後で推移していた外国人比率は,1990年頃から急速に上昇し,2015年には総人口の1.4%に相当する175万人になった(総務省統計局 2005年,2015年).そんな中,日本人と外国人との共存は順調とは言い難い.今年に入ってから新聞やテレビでたびたび報道されるようになった公的医療保険の不正利用や医療費踏み倒しの問題には,もともと対外国人感情の良くない層ばかりでなく,さほど対外国人感情の悪くない日本人や不正をしていない外国人もが顔を曇らせる様子が見られた.

 医療制度の悪用に対しては防止策が必要で,実際に厚労省も現状把握や改善に乗り出しつつある.しかし,犯罪から路上喫煙やごみ出しのルール違反,電車内でのマナー違反に至るまで,外国人不信の種は他にいくらでもあり,医療制度のみを修正したところで根本的な懸念解消にはならないだろう.『平成28年の犯罪情勢』(警視庁 2017年)によると2016年の人口1万人あたりの検挙人員は日本全体が17.8人に対して在留外国人に限定すると35.0人で,外国人の方が犯罪率は高いとはいえ,大多数の外国人は無害なことがわかる.その他の迷惑行為に関しては適切な資料がみつからなかったが,習慣の違いによるマナー違反は目立つものの悪質なのは一部にすぎない印象である.

 外国人の大部分が「悪くない」ことは理解し,差別をしないよう心がけているが,「悪い外国人」がこれ以上増えるのは困る.「悪い外国人」ばかりが得をして,日本人は損をするのではないか.このような懸念を,程度の差はあれ多くの日本人が持っているように感じられる.しかし,従来の日本社会が「悪い人」を出さないために皆が過度に牽制し合うものだったのなら,「悪い外国人」を含む外国人の流入は日本にとってかえって利となるかもしれない.本エッセイではこれに関連した近年のゲーム理論の知見を紹介する.

 相手がズルいことをしたり,自分勝手に振舞ったりすると自分は損してしまう.人間社会のあちこちで見られるこのような状況を,ゲーム理論では「囚人のジレンマ」と呼ぶ.囚人のジレンマとは,「協力」「非協力」の二つの戦略があり,(1)お互いに協力すればお互いに非協力よりも双方にとって有益だが,(2)相手が協力している時に裏切って非協力を選べば自分にとってはさらに有益で,(3)相手が非協力の場合にも自分だけ協力するよりは自分も非協力の方がまだマシ,という利害関係になっているゲームである.医療制度へのただ乗りや犯罪・迷惑行為の多くは囚人のジレンマにおける「非協力」に相当する.

 ゲーム理論で最もよく用いられる解概念のナッシュ均衡とは,他の人の戦略を所与として,誰も自分の戦略を変更したがらないような状態を指す.囚人のジレンマでは,社会的には双方が協力を選ぶのが望ましいにもかかわらず,双方が非協力を選ぶのが唯一のナッシュ均衡となっている.近年の行動経済学の隆盛の中で,現実の人間が必ずしも伝統的な経済学が想定してきたような合理的な意思決定をしないことが強調され,ナッシュ均衡分析は無意味とする風潮がある.しかし私が共同研究者とともに2012年に東京で行った実験1の中で,1回限りの囚人のジレンマを,毎回相手を変えながら6回実施したところ,80名の被験者のうち9割が初回に非協力を選んだ.実験を続けるうちに協力率はさらに下がり,6回目に協力を選んだ被験者は1名だけであった.囚人のジレンマに関しては,少なくとも日本においては,ナッシュ均衡の分析は有用と考えてよいだろう.

 1回限りの囚人のジレンマでは協力はナッシュ均衡にならないが,同じ相手と十分に高い確率で囚人のジレンマを繰り返す状況が続くなら,ナッシュ均衡で相互協力が可能となる.このことは「無限回繰り返し囚人のジレンマのフォーク定理」の一部分としてよく知られ,長期的関係における協力のゲーム理論的な説明に使われてきた.しかし現実には,理論の想定通りに自動的に同じ相手と繰り返すのではなく,続けるか関係を断つかは多かれ少なかれ当事者の意思による.狭い範囲の人間関係に全てが集約されていたムラ社会の時代とは違い,見知らぬ相手と出会い,友好的かつ長期的な関係に発展することもあれば,どちらかがズルをして行方をくらますかもしれないといった状況は,現代では格段に増えている.そこで,同じ相手と繰り返すか離れるかを当事者の戦略として扱ったのが,「自発的継続囚人のジレンマ」の理論である.

 自発的継続囚人のジレンマにおいては,皆が出会った最初から協力するようなナッシュ均衡は存在しない.無限回繰り返し囚人のジレンマでは最初に協力して相手が裏切るまでは協力を続けるトリガー戦略が有効だが,自発的継続囚人のジレンマでは裏切られた次期以降に処罰しようにも逃げられてしまうため,裏切られた側にできるのはせいぜい自分から関係を断つことである.自分以外の皆が出会った最初の期に協力するなら,自分も同じことをするよりは毎期相手を変えながら裏切り続ける「悪い人」として振舞う方が得なので,全員が最初の期に協力するいかなる戦略分布もナッシュ均衡にはなりえない2

 同じ相手と相互協力を続けると今の相手との関係を断った場合以上の利得になるなら,その期以降の協力は可能である.Carmichael and MacLeod (1997)はゲームの構造を少し変え,もらう側にとっては全く価値のない高価な贈り物を出会った最初に交換することを考えた.この無駄遣いの慣習が根付けば新規ペアの利得は低いので,わざわざ今の相手を裏切って別れてまた新しい相手と組むインセンティブはなくなる.他方,Datta (1996)は,ゲームの形は変えずに,最初の一定期間は全員が非協力を選ぶ「信頼構築」戦略を用いた協力の可能性を示した.非協力期間には誰も協力しないため「悪い人」に付け入られる隙がなくなるし,協力期間に入れば裏切って別な相手とやり直すのは得策ではないとお互いにわかっているので相手を信頼できる.この分析をさらに発展させたFujiwara-Greve and Okuno-Fujiwara (2009)の信頼構築均衡が,自発的継続囚人のジレンマの主要な理論的均衡と見なされるようになった.この信頼構築均衡を国内外の学会で説明すると,たまにセッションが終わってから「あれはとても日本的なやり方だね」と声を掛けられる.

 誰も「悪い人」にならないように全員で足並みを揃えて非協力から始めることは,場合によっては無駄が大きい.Eeckhout (2006)は,相手が自分と同じ人種なら信頼構築を省略して最初から協力し,異なる人種なら信頼構築から始めるような均衡を考えた.この均衡が存在する場合には,全員が非協力から始めるよりは効率性は改善するが,多数派に比べて少数派の利得が低くなってしまう.これに対して,Fujiwara-Greve, Okuno-Fujiwara, and Suzuki (2015)の共存均衡では,最初から協力し相手が非協力ならすぐに別れる「協力者」と協力せず相手を変え続ける「悪い人(非協力者)」が共存する.「協力者」は「悪い人」に会ってしまった場合には搾取されるが,協力者同士で長期的協力関係を築いた場合には高い利得を享受できるので,均衡では両者の利得は等しい.そればかりではない.囚人のジレンマの利得パラメータ次第では,全員が「信頼構築者」である均衡に比べて,「協力者」と「悪い人」の共存する均衡の方が高い利得が実現できる.つまり,「悪い人」が社会に存在することを受け入れ,「信頼構築者」であることをやめ「協力者」になることが,効率性の改善をもたらすかもしれない.

 ここで囚人のジレンマの利得パラメータが問題となる.相互協力の便益に比べて裏切りの旨味や裏切られた時の損害がさほど大きくない,というのが信頼構築均衡よりも共存均衡が効率的となる条件である.被害者の損害が大きくなりがちな犯罪については,当事者のみならず政府や大企業といった規模の大きな第三者が関与した「裏切りを防ぐ仕組み」が必要で,そのような仕組みはゲームの構造そのものの変更を意味する.逆に,自発的継続囚人のジレンマの均衡理論が現実の社会に関係があるのは,いちいち第三者が介入しない日常的な比較的小さなやり取りの場合であろう.Fujiwara-Greve, Okuno-Fujiwara, and Suzuki (2015)によれば,こうした小さなやり取りでは,共存均衡が信頼構築均衡よりも効率性の観点から見て望ましい.

 これまでの日本の社会で皆が「信頼構築者」だったなら,外国から「協力者」が流入するだけで効率性は向上する.たとえ「悪い人」が一緒に流入してきても,日本人が「信頼構築者」から「協力者」へと変わることにより,むしろ従来よりも平均的には協力水準は高くなる.「悪い外国人」が得をして日本人が損をするのではなく,「悪い人」も「協力者」も同じ利得で,しかもその利得は皆が「信頼構築者」だった頃と比べて増加することが予想される.国際化は日本社会を改善するチャンスである.

 なお,本エッセイはあくまでも囚人のジレンマ問題に着目したゲーム理論的な考察で,外国人居住者・旅行者の増加が日本に与える影響を包括的に議論するものではない.また,「外国人の大部分が無害だと理解しつつも,悪い外国人の増加を懸念する」日本人層をターゲットに書かれたものであるが,実際に共存を成功させるためには現在対外国人感情が悪い層による協調も重要となる.田辺(2011)の調査によれば生活満足度と排外主義の負の相関は顕著で,まずは生活満足度の低い層の待遇改善が必要かもしれない.

参考文献

  • 田辺俊介(2011)「ナショナリズム--その多元性と多様性」田辺俊介編『外国人へのまなざしと政治意識』第2章,勁草書房.
  • Carmichael, L. and MacLeod, B. (1997) 'Gift giving and the evolution of cooperation' International Economic Review 38:485-509.
  • Datta, S. (1996) 'Building trust' London School of Economics Discussion Paper TE/96/35.
  • Eeckhout, J. (2006) 'Minorities and endogenous segregation' Review of Economic Studies 73:3153.
  • Fujiwara-Greve, T. and Okuno-Fujiwara, M. (2009) 'Voluntarily separable repeated Prisoner's Dilemma' Review of Economic Studies 76:993-1021.
  • Fujiwara-Greve, T., Okuno-Fujiwara, M. and Suzuki, N. (2015) 'Efficiency may improve when defectors exist' Economic Theory 60:423-460.
  • Okuno-Fujiwara, M., Nishimura, N., Suzuki, N. and Fujiwara-Greve, T. (2018) 'Voluntary Partnerships, Tolerance and Cooperation: An Experimental Study' mimeo.
  • Shapiro, C. and Stiglitz, J. (1984) 'Equilibrium Unemployment as a Worker Discipline Device,' American Economic Review 74:433-444.

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1 Okuno et al. (2018)のためのパイロット実験.

2 摩擦があり,誰かと別れてから次の相手に会うのに時間がかかる場合にはこの限りではない.これはShapiro and Stiglitz (1984)の効率賃金理論で失業が労働者の規律付けの役割を果たすのと同じ原理である.Shapiro and Stiglitz (1984)のモデルにおいて,怠けているのがみつかって解雇されても次の期からまた別な企業で同じ賃金で働けるような状況では,労働者は真面目に働こうとしない.そこで企業は市場清算賃金よりも高い賃金を払い,労働者に解雇されて他企業で働くのは損だと思わせようとする.多くの企業が同様に賃金を上げると,市場全体の賃金水準が市場清算賃金を上回り失業が発生する.均衡では,労働者は「他社で雇われると賃金が下がること」ではなく「失業して賃金が得られないこと」を恐れて解雇されないよう真面目に働く.同様に,自発的継続囚人のジレンマにおいて,誰もが出会った最初の期から協力していても,「自分が誰とも出会えない」可能性が十分に高ければ,今の相手との協力関係を続ける方が裏切って別れるよりも得策であろう.