大阪の都市政治からの危機

2017年10月 3日
森 裕之(立命館大学)

1.大阪の都市政治

 現在の政治は底が抜けたかのように、軽薄きわまりない醜態をさらけるようになってしまった。それはポスト・トゥルース(=真実などどうでもよい)という言葉に集約されているといってよい。政治による嘘やデマが世の中を平然と闊歩し、人々はそのことを重く受け止めなくなっている。

 こうした現象は世界中で起こっているが、その嚆矢といえるのが大阪での橋下徹の政治であった。現在、東京でも類似した政治の動きがある。地域政党から国政へと勢力を拡大し、カリスマ性のある政治家が日本の「リセット」という破壊的スローガンを掲げる。大阪ではそうした政治現象はすでに10年前から経験してきている。大阪では東京よりもさらに先を行っている。現在の日本の国政やアメリカのトランプ政治と比べても、大阪の方がはるかに先駆的であった。

 橋下政治はいまだに終わっていない。彼がつくりあげた地域政党・大阪維新の会は橋下の政界引退後も住民の強い支持がある。大阪維新の会は国政政党・日本維新の会の支部という形をとっているが、その内実とイメージは大阪で展開された橋下政治と切り離すことができない。

 橋下政治とは、大衆扇動による全体主義政治である。彼は大阪府知事・市長に在任中に数々の暴言・失言を行い、そのたびにいったんは物議を醸し出してきた。たとえば、文楽鑑賞後に「演出不足だ」1などとして補助金凍結を行い、沖縄の米軍司令官に対しては「風俗業を活用して」2と進言した。大阪を「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい」3 と紹介し、自分を非難する者に対しては、「バカ○○」「クソ○○」などと罵倒し、「直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」4といって、批判者に対しては「現実を知らない」「選挙に出ろ」と言論を封殺した。批判の発信力のある大学教員に対しては裁判を起こしたり5、「政党」として所属大学の学長宛に恫喝文書を送りつけたり6、国会で問題にしたりした7

 しかし、こうした発言に対して住民は「寛容」「無関心」であり、驚くほど健忘的であった。それどころか、橋下政治に対する批判は大阪全体の敵であるかのようなムードが広がった。そこには論理などはなく、住民のマイナス感情が濁流のように押し寄せるようであった。

 そんな橋下政治が終焉を迎えたのは、2015年5月17日に行われた大阪都構想をめぐる大阪市の住民投票で敗れたからである。大阪都構想は東京都と同じ統治機構改革を行おうとするものであり、具体的には政令指定都市である大阪市と堺市を廃止し、それぞれ複数の特別区に分割・再編するものであった。大阪市と堺市は政令指定都市としての権限と財源を大阪府に吸い上げられ、市税の大部分と地方交付税が大阪府の財源となる。そこから特別区となった(旧)大阪市・堺市にどのぐらい戻ってくるかも大阪府が決定する。大阪都構想は大阪維新の会の唯一の公約といってよい。

 大阪都構想の眼目であった「二重行政の解消」についても、大阪府・市のデータから計算すると多くても2億円程度しか浮かない。その一方で、大阪都構想の整備に必要な初期投資は600億円、毎年のランニングコストは20億円となり、初期投資の回収だけでも300年かかってしまうという代物であった8

 そのような中で実施された住民投票では、信じられない光景が展開されていった。橋下氏らによるタウンミーティングでは、目盛り幅や大きさを意図的に細工したグラフが並べ立てられるようなことが平然と進められた。大阪都構想について「大阪市は無くなりません」と平気で主張した。住民投票の投票用紙においては「大阪市の廃止」という言葉は一切掲載されなかった。

 このような状況の中で、大阪市を残すべきだとする各政党と住民による凄まじい反対運動が行われ、その結果として住民投票では僅差で反対派が上回った。橋下氏はそれをうけて政界から引退することを表明した。

 にもかかわらず、2015年11月に行われた大阪府知事・市長のダブル首長選挙ではいずれも大阪維新の会の候補者が野党統一候補に勝った。彼らの公約は「副首都」であり、その実態は大阪都構想と何ら変わるものではない。とくに大阪市長選挙で大阪維新の会が勝利したことは、住民の中に広がる政治的不安定さを示唆するものであった。大阪府・市共同で設置された副首都推進本部の会議では副首都をつくるためのアイデアとして「大阪城での十万人盆踊り大会」(堺屋太一)や「若者ゲーム大会」(猪瀬直樹)が話し合われた9。 

2.堺市長選挙

 大阪府・市のダブル首長選挙で息を吹き返した大阪維新の会は2017年9月24日に行われる堺市長選挙にも総力を注いだ。堺市は人口83万人であり、大阪市と同じく大阪府内の政令指定都市である。今回の選挙は、これまで市長職を2期つとめた現職と大阪維新の会の候補者(元大阪府議)の争いとなった。

 前回2013年9月の堺市長選挙でも、今回と同じ現職が維新の会の候補者と争った。その際に争点となったのが大阪都構想であった。大阪で圧倒的な人気を誇っていた橋下市長(当時)は連日堺市にやってきて、現職や他党に対してヘイトスピーチのごとく凄んでみせた。

 しかし、現職とその支持者、大阪維新の会を除く全政党は「堺はひとつ、堺をなくすな」というスローガンの下に、広範な支持を集めていった。そして、首長選挙では大阪で初めて大阪維新の会を破った。その流れが大阪都構想をめぐる住民投票によって大阪市を守ることにつながった。堺市長選挙を通じて「大阪都構想とは何か」が大阪市民にもわかりやすく広がったからである。

 では2017年の堺市長選挙では、橋下氏がいない中でどのような戦いが行われたのか。私からみれば、その実態はこれまでになく「ポスト・トゥルース」なものであった。2015年の住民投票のときには大阪市の衰退を理由に大阪都構想が必要であると言っていたのが、堺市長選挙の際には「大阪市は成長、堺市は衰退」を連呼した。実際には、堺市の企業誘致の実績や財政の健全性、子育て世代・シニア世代にとってのトップレベルの住みよさ10など、各種指標で堺市が大阪市を圧倒している。「40%捨てている大阪市の水を堺市が利用すれば水道料金が下がる」(実際には大阪市は水を捨てていない)や「駅の乗り換えが不便なのは堺市長のせいだ」(実際は私鉄の安全性確保のための措置)などのフェイクニュースを大阪市長ら公職者や支援者らが連日のように発信していった。それは、嘘や詭弁による政治が橋下氏のような特定キャラクターの問題ではなく、すでに都市政治の一部として内在されてしまったことをあらわしている。

 選挙戦に関わった関係者らは「市長選の争点は『停滞か、成長か』ではない。『嘘か、真実か』だ」と訴えた。実は、このような嘘が平然とまかり通る政治状況をつくりだしたものこそ、橋下政治にほかならないのであり、それが大阪の都市政治文化を醜悪なものに変えてしまったのである。堺市長選挙でも、現職と維新候補の得票差は2万3千ほどであり、得票率では53.8%と46.2%という違いでしかなかった。

3.再び大阪市へ

 僅差ではあったが、堺市長選挙で現職が勝ったことの意味は政治的に重大である。かりに大阪維新の会の候補が当選していれば、彼らの本丸である大阪市の未来は風前の灯火になっていたことは間違いないからである。

 現在、大阪市は前回の住民投票の結果を無視し、大阪維新の会が公明党との取引の中で、再び大阪都構想(=副首都)の住民投票を行おうとしている。しかも前回とは異なり、今回は大阪市を廃止・分割する「特別区」の設置だけではなく、大阪市の存続を前提として現在の行政区の機能を強化する「総合区」制度についても同時に検討している。これは、公明党が大阪都構想の議論に再び参加することの表向きの理由をつくるためのものである。そして、特別区・総合区のいずれも現行の行政区を合併する「合区」を前提にする案が出されている。さらに合区に関していえば、旧行政区単位で地域自治区を設置し、そこで住民参加制度(区政会議)を運用し、その上で新しい総合区単位でも区政会議を設置するとしている。これを同じ大阪府・市の法定協議会(大都市制度(特別区設置)協議会)で議論しつつ、市民にも説明するという。

 筆者がこれまで取り組んできた運動の経験からすれば、こんな複雑な統治機構改革の話をされても住民がきちんと理解することはほぼ不可能である。住民投票は2018年秋に行うとされているが、そんな短い期間で住民の多くが制度の是非を理性的に判断できるようになることはありえない。この間、私が関心のある住民に対してわかりやすく説明する機会が何度かあったが、彼らは途中から「ややこしいことはわからない。もうどうでもいい」といった反応が垣間見られた。

 住民のこうした状況については当の政治行政は百も承知しているはずである。それでもこのような複雑な手続きを行おうとしているのは、住民の理解などはどうでもよく、いかに情報操作を通じて扇動するかしか考えていないためである。これこそ、大阪を席巻してきた橋下政治の遺伝子にほかならない。

4.アカデミズムの役割

 このような状況において、いったいアカデミズムの役割とは何かを真剣に考え直すことが求められていると思われる。とくに、社会科学においてはそれが切迫した課題として突きつけられているのではないだろうか。

 言論封殺や情報操作といった醜悪な手段に訴える政治が広がる中で、真実と理想をきちんと発信できるアカデミズムの存在は社会の最後の砦である。そこにこそ、戦後勝ち取られてきた「学問の自由」や「大学の自治」の真価が存するといえる。アカデミズムには、政治家のような選挙の心配や企業家・労働者のような仕事の心配がない。勇気と忍耐を備えたアカデミズムによる取り組みにしか、いまの政治危機を打開する方策は見当たらない。大阪都構想の住民投票において反対派が勝る基軸を担ったのは、広範なアカデミズムによる連帯であった。

 私が東大社研と交流ができたきっかけは「希望学」であった。当時、大学院改革の渦中にあった私の研究科では、新しいカリキュラムのモデルを模索していた。そのときに強く惹かれたのが釜石市を対象に進められた希望学の取り組みだった。地域の人々に寄り添い、寝食を共にしながら、これからの社会のあり方を考えようとするアカデミズムの姿勢は、私の所属する研究科においても発信したいと願うものであった。

 「希望学」から「危機対応学」へと移る中で、東大社研のプロジェクトが果たすべき役割は大きくなっていると思う。大阪の経験からいえば、ローカルな政治行政からナショナル、さらにはインターナショナルな危機が招来されるといってよい。現在日本の政治状況はそれを体現している。そしていま、東京が大阪の後追い的な政治を進めている。その破壊力は大阪の比ではないであろう。

 大阪の都市政治の姿からみても、「危機対応学」というアカデミズムのこの分野での取り組みは大きな希望である。 

 
1『毎日新聞』2012年07月26日。
2『朝日新聞』2013年5月14日。
3『読売新聞』2009年10月29日。
4『毎日新聞』2010年1月29日。
5橋下は、精神科医で関西学院大学教授であった野田正彰が『新潮45』で彼の人格について論じた記事に対して損害賠償訴訟を行っている。
6 内閣官房参与で京都大学教授の藤井聡が2012年のネット動画の中で橋下を「ヘドロチック」と評したことをとらえ、維新の党は「限度を超えている」として2015年2月に京大総長宛に見解を求める書面を送付した(『朝日新聞』2015年2月6日)。これに対して京大総長は「職務外での個人の表現活動」「本学としての見解を表明することは、差し控えたい」と回答したが、それに対して橋下は「勘違いしている京大をライフワークとして、しっかり正していく」と恫喝した(産経新聞webニュース2015年2月22日付http://www.sankei.com/west/news/150222/wst1502220049-n1.html)(閲覧日:2017年9月28日)。
7たとえば、第189回国会衆議院国土交通委員会(2015年3月20日)における維新の党の足立康史議員の発言。
8大阪都構想の制度問題については、森裕之「大阪都構想の欠陥と虚構」(『世界』2015年4月号、岩波書店)で詳細に論じている。
9大阪府・市「副首都推進本部会議 第2回会合」(2016年2月9日)。(産経新聞webニュース2016年2月17日付http://www.sankei.com/west/news/150222/wst1502220049-n1.html)(閲覧日:2017年9月28日)。
10日経DUAL・日本経済新聞社「自治体の子育て支援に関する調査2016」、日本経済新聞社「シニアに優しい街総合ランキング」(https://vdata.nikkei.com/datamap/senior/)(閲覧日2017年9月28日)。(閲覧日:2017年9月28日)。