「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」に埋め込められた記憶をどう活かすのか

2018年9月13日

荒木 一男


スタジアムのメインスタンドからみる鵜住居地区の風景

 今夏、「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」が誕生した。平成31年に日本において開催される「ラグビーワールドカップ2019TM」の会場の一つである。平成21年に日本開催が決定したこの大会の試合誘致を釜石市が表明したのは、震災から9か月後。希望者の仮設住宅への移転がようやく一段落し、市による本格的な入居者支援が始まった頃であった。その後、市は平成26年に正式に立候補し試合開催地に選ばれた。その会場として北部の大槌湾に面する鵜住居地区に整備したのがこのスタジアムである。

 ここに至るまで、市民や市を応援する人々の中には、「"鉄と魚とラグビーのまち"釜石でぜひ実現を」という声がある一方で、「まずは生活の再建を」という声もあった。人々の言葉からは、ワールドカップ開催が生活にどのような影響を及ぼすのか不透明であることに対するためらいも感じられたという1。鵜住居地区は、市の中でも被害の大きかったところだ。そのような場所でのスタジアム建設過程においては、市民や関係者のさまざまな記憶がよみがえり思いがあふれただろう。その一つひとつに市は対応していったからこそ今日の施設の完成がある。

 フランスの歴史家P・ノラは「記憶の場」という考え方を示している。大きく変化しつつある共同体が、技巧と意志をもって、生み出し、作り上げ、維持するもの等のことである。過去より未来に価値があり、帰属集団を見分けるしるしであり、われわれが自らを支える砦であるという2。このスタジアムには、人々が忘れてはいけないとされた何かの記憶が埋め込まれ、「記憶の場」にしようとする市をはじめ関係者の無意識な意図があるのではないだろうか。


 まず、どのような記憶がこのスタジアムに埋め込まれているのかを探ろう。東京大学社会科学研究所を中心とした危機対応学釜石調査チームは8月後半に現地入りし、オープンしたばかりのスタジアムを訪ねた。そこで市職員から伺った施設の形状にヒントがあった。一つひとつ確認してみよう。


メインスタンドに設置した学校の教室風の丸い掛け時計

 鵜住居小学校と釜石東中学校。東日本大震災が発生するまで、スタジアムの建設場所にはこの二つの学校があった。当時の校舎は今から約40年前に整備されたもので、震災前の平成22年には両校合わせて約600人が学んでいた。鵜住居地区にはこの二つの学校があるだけだ。

 平成23年、この地区を襲った津波によって被災する。釜石市は、海に近いこの場所での再建を断念し、南西約800mの高台に移転を決定した。このような中で、この地はスタジアムの建設場所として選ばれた。元の学校は、地区に育った数千人の記憶の場所であり、住民にとっての地域への愛着の根っこである。学校に代わり、住民のアイデンティティーを繋ぎ止める何かを跡地に残すことが必要となった。そこで市はスタジアムのメインスタンドのセンターに学校正面の外壁に掛けられていた時計のイメージを再現することとし、丸い掛け時計を設置した。


メインスタンドにかかる時計

 また、このメインスタンドは、新しい小中学校を望む位置にある。「観客席から遠くに見える小・中学校」という風景をつくったのである。これらも、住民の学校への思いを伝えるものとして、市民は記憶にしていくだろう。


メインスタンドから左方向に見える学校


他の競技場からの寄付による"絆シート"

 復興スタジアムには常設で6000席のシートがある。このうち、最前列の600席は東京ドームや熊本県民総合運動公園陸上競技場、旧国立競技場で使われていたシートである。震災復興やラグビーワールドカップ開催のための支援として他の自治体や民間企業から寄せられたものだ。

 ワールドカップ誘致に名乗りを挙げたとき、市には開催要件を満たすラグビー場がなかった。その建設には多額の費用を要し、将来の維持費も必要となる。議会を中心に市民から市の財政に与える影響を心配する声が少なくなかった3 。このため市は、建設費を抑えるための様々な工夫を考えた。その一つとして各地の競技場の座席の提供を呼びかけ、厚意によりこれらを設置することができたのである。釜石市は、大正9年(1920年)から昭和35年(1960年)の40年間に、人口が33千人から92千人と約3倍増となるなど市外から人口が多く流入してきた開かれた地域である。全国からシートを集めるという方法は、各地から多くの人々を受け入れてきた記憶の残る釜石らしい発想だ。

 また、この競技場は「クッション性を高める天然芝と人工繊維を組み合わせたハイブリッド芝」を用いている。身体への負担が小さく、雨天時でも選手にとってよいコンディションの中で試合ができるようになる。初期投資はかさむものの、芝の傷みが少ないことにより稼働率を高めることができ、維持費の軽減と使用料収入の増加が見込めるという。「絆シート」によるスタジアムの建設費の削減とともに、このスタジアムには、市が議会や市民とともに、釜石が今後も持続発展していくために必要な創意工夫を行った記憶が残っていくだろう。


"絆シート"(メインスタンド手前の水色の座席)と"ハイブリッド芝"


トラック競技が可能となる前列シートの取り外し機能

 絆シートを含め座席の前列部分は取り外しができ、400m×6コースの陸上トラックとして活用できるようになっている。

 このスタジアムは、整備当初から多様な用途での活用を目指していた。サッカーなどの少年スポーツや全国大会のほか、市民の健康づくりやレクリエーション、イベント、コンサートなど幅広く活用することを検討している。

 市は被災前、グラウンドなどの体育施設を市内各地に配置し市民の体力増進の場として活用してきた。しかし、東日本大震災によって一部が被災し、また、震災が影響しなかったところは仮設住宅の敷地等に活用しなければならなくなり、運動の場がなくなった。このため、市民の健康管理と青少年の育成という観点から、これらのスポーツ施設を集約するという目的で大型施設を設けることにしたのである。復興交付金の使途は住民の生活再建を目的とすべきであるとの方針4を示していた復興庁も、市のその説明を受けて、スタジアムの多目的な役割を理解し支援を決めた。スタジアムの陸上競技での活用は、復興庁(あるいは国民)の応援の記憶が原点となっている。


森に囲まれたスタジアム、ピッチに近い観客席

 「ラグビーワールドカップ2019TM」は、全国12会場で開催される。これらのうち、観客収容人数が最も少ないのが釜石鵜住居復興スタジアムである。施設全体を覆う屋根もなく、シンプルなつくりだ。しかしこのような競技場ならではのメリットもある。

 第一に、このスタジアムと自然との近接性である。施設の東・南方向は箱崎半島の麓の山林に隣接しており、北・西方向約800m先にも山々の緑が見える。さらには非常に小さなこの空間の中に鵜住居川が流れる。スタジアムの青々とした芝は、豊かな自然との一体感を引き出しており、ここでの試合は、自然の中で子どもたちが無邪気に行うラグビーに見えるだろう。

 第二に、ピッチがスタンドの間近に迫っている。大規模施設では、ピッチの外側に陸上トラック等が設置されており、選手との距離は遠い。このスタジアムは、記者やフォトグラファーが活動できる最低限のスペース(3.0~4.6m)を設けているにすぎず、選手のステップ、激しいボディーコンタクト、息遣いなどを体感できる。

 被災間もない頃、釜石には、日本代表も経験したゆかりの元ラガーマンが多数訪れた。その中の一人は、「ここの風景は(ラグビー強国の)オーストラリア(の施設)に似ている。ぜひ釜石でワールドカップを開催するべきだ。」と提案したという5

 また、震災直後、釜石市球技場において、ヤマハ発動機ジュビロと釜石シーウェイブスRFCの試合が行われた。避難所等から1700人のファンが集まり、久しぶりに大声を出せる喜びを感じながら大漁旗を振って応援したという6。釜石市球技場も非常に小さな施設である。しかし、かつてラグビー日本選手権を7連覇した日本一のチームを生み出したところでもある。この球技場の選手と観客の距離感は、そのままスタジアムにも引き継がれている。ラグビー関係者や地元ファンのラグビーへの思いが選手に伝わる施設である。


 希望学における釜石調査の知見にあるように、釜石市の歴史と文化の特徴は、外部との関係を重視してきた社会を構築してきた点にある7。鵜住居地区は、人口の増加期に多くの転入者が住んだところであった。元々の在住者と新たに引っ越ししてきた住民の子どもたちが一緒に学び遊んだ学校は、地区住民として両者を統合する役割を果たしたと考えられる。

 ラグビーは、釜石市民の「誇り」と「希望」であり、市民と外の人々とのネットワークづくりに貢献する8。先に見たとおり、「ラグビーワールドカップ2019TM」の釜石開催を提案したのも外部の人である。

 東日本大震災を経て、政府や国民、自治体や民間企業からの復興応援があった。そして、これらの応援を効果的に活かそうとした議会や市民もいた。こうしてみると、このスタジアムが「釜石鵜住居復興スタジアム」という名前になったのは、市が、鵜住居小学校や釜石東中学校、ラグビー、震災復興の記憶を形にしたいとした結果であり必然である。

 釜石市は、1963年を境に急激な人口減少が続き約100年前と同じ水準になった。今後もさらなる減少が予想される。このスタジアムが持つ学校やラグビー、震災の記憶は、「ラグビーワールドカップ2019TM」の釜石開催の成功を通じて、外部との関係をバネにこのような逆境を跳ね返す力として機能する。このスタジアムには、記憶の場となることによりそのような力が与えられたと考えることができる。

 今後、釜石市は、このワールドカップ開催を機に外国人観光客の増加など海外の人たちとの交流拡大を目指す。市民の中には、ワールドカップの二試合を行うことにより住民に「やればできる」という自信を深めてもらい、鵜住居地区を世界のスポーツ拠点として飛翔させたいと考える人もいる。スタジアムに埋め込まれた記憶は、これらのねらいに対しても力を与えるはずだ。そしてこのスタジアムに、新しい釜石の交流の姿を記憶として埋め込んでいくことが必要である。

 さらには、これらの記憶を住民が共有していく必要がある。各々の記憶は相容れない部分も多い。例えば鵜住居小学校の記憶を大事にする住民もラグビーの記憶を大事にする住民も、お互いの記憶をこれまで以上に理解していくことが大事だ。スタジアムを記憶の場として維持していくため、定期異動を繰り返す市職員がこれらの記憶を適切に継承し市民全員で共有する仕組みも必要である。

 戦災、震災、基幹産業の衰退など、様々な危機を何度も乗り越えてきた釜石市の取組みに今後も期待したい。

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1 東京大学社会科学研究所「第2回危機対応学釜石研究会」平成30年6月28日釜石シーウェイブス常任理事浜登寿雄氏からの報告や平成24年6月議会菊池孝議員の質問ならびに当該質問に対する平松福壽復興推進本部リーディング事業推進室長の答弁(平成24年6月20日)

2 ピエール・ノラ,2002,「序論 記憶と歴史のはざまに」谷川稔監訳『記憶の場⦅対立⦆1』岩波書店)

3 平成25年12月議会水野昭利議員の質問(平成25年12月19日)ほか

4 平成24年3月議会予算特別委員会赤崎光男委員の質問に対する嶋田復興推進本部事務局次長答弁(平成24年3月16日)

5 平成30年8月23日、宝来館の女将、岩崎昭子氏へのインタビュー結果

6 平成30年8月22日、釜石シーウェイブス常任理事浜登寿雄氏へのインタビュー結果

7 中村尚史,2009,「記憶の源流 釜石地域の近代史」東大社研・玄田有史・中村尚史編『希望学(2)希望の再生』東京大学出版会

8 宮島良明,2009,「スポーツによる地域再生の可能性 釜石におけるラグビーへの期待と現実」東大社研・玄田有史・中村尚史編『希望学(3)希望をつなぐ』東京大学出版会