キューバ危機(1962)はなぜ回避できたのか?

2017年1月19日
保城 広至

はじめに

 2016年11月25日、キューバの国家元首であったフィデル・カストロがこの世を去った。これで1962年10月に起こったキューバ危機の主役3人がすべて鬼籍に入ったことになる(あとの2人は、米国大統領であったジョン・F・ケネディと、ソ連の最高指導者であったニキータ・S・フルシチョフ)。

 キューバ危機とは、13日間という短い期間に起きた次の一連の事件のことを指す。(1)アメリカの偵察機U2がキューバでミサイル基地が建設中であることを発見、(2)アメリカが海上封鎖を敢行し、キューバをソ連から隔離(米国側は検疫 "quarantine" という語を使用)、(3)米国がキューバを攻撃しないという条件で、ソ連側がミサイル撤去に同意(さらには、トルコにあるミサイルの撤去も密約として両国間で了解)。

 国際政治上、危機と言われるものは数多くあるが、核戦争の一歩手前まで行ったキューバ危機は、その中でも最も重要なものの一つである。我々にとって幸運なことに、キューバ危機は大国間の戦争に至らなかった。なぜ危機は回避できたのだろうか? キューバ危機に関する研究は膨大な蓄積があるが、それらをいくつか紹介していきながら、私自身の見解も含めて、危機回避の理由を探ってみたい。

米国の対応

 キューバ侵攻といった過激な行動を含む幾つかの選択肢のなかから、米国は「海上封鎖」という手段を採用した。これによってソ連の船はキューバに入れずに足止めを食うことになる。結果的に、この手段は実にうまくいった。このまま手をこまぬいて何もしないでいれば、北米大陸に届く範囲に核ミサイル基地が建設されることになり、アメリカ外交にとって極めて大きな失態となるはずであった。逆にキューバ侵攻、あるいは限定的であれ空爆を行った場合は、すでにミサイルはキューバに持ち込まれていたことを考慮すれば、キューバからの報復攻撃の可能性は大いに存在した。実際のところ、カストロがソ連の反対を押し切って、感情に任せてそのような報復行動に出る確率は非常に高かったのである。

 ではなぜ、アメリカは「海上封鎖」を行ったのだろうか? 先行する研究では、ケネディ大統領の思慮深い判断の結果であると、米国の選択を大統領個人の業績に帰する見解が多い。ただし危機が発生した初期の段階では実のところ、大統領はキューバへ空爆することが最善であると考えていた。大統領が考えを変えたのは、部下の意見を取り入れた結果だった。また大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官はさらに過激に、キューバ侵攻を唱えていたのである。後に出版された彼の『13日間—キューバ危機回顧録』では、ロバート・ケネディはあくまでハト派的に、キューバ危機に慎重に対処したことを誇らしげに語っているが、これは正しくないことが現在は明らかになっている1。その意味で、大統領やその弟個人の業績に還元してしまうのは誤った見解であろう。

 その点で、I・ジャニスの社会心理学的アプローチは注目に価する2 。ストレスの度合いが高い危機下において、できる限り意見を収斂させようとする力が働くことによって、同質な集団が異質な少数意見を抑圧し、自分たちの居心地の良い政策を次第につくり上げて代替案が十分に検討されない現象をジャニスは「集団思考(groupthink)」と定義し、キューバ危機はそのような現象が起きなかった事例と論じた。その理由はいくつかあるが、さまざまな意見を持った個人や立場の異なる専門家が、ExCommという大統領の立ち上げた政策形成グループに情報を与え続けたこと、リーダー(ケネディ大統領)が検討会議にあまり顔を出さなかった事実などを、ジャニスは挙げている。

 また筆者を含む共同研究では、そのExCommでの討議自体に注目し、マルチエージェント・シミュレーションという手法を用いて米政府の政策形成過程を再現してみた3。その結果、実際の政策(海上封鎖)が採られた可能性は、やはり一番高かったという知見が得られている。

ソ連側の事情

 キューバ危機におけるソ連側のプレイヤーは、ほぼフルシチョフ一人だけだったとする研究がある。ミサイル配備を決めたのも、その撤去を決めたのも、フルシチョフの独断であった、というものである。フルシチョフの独断かどうかという論点は、私はやや懐疑的であり、議論の余地があると思う4。ケネディ・テープという第一級の資料が存在しない以上、ソ連の政策決定過程は依然として不明な点が多い。また、例えば危機の最中にフルシチョフの命令を無視したマリノフスキー国防相などの存在は、ソ連政府内が一枚岩ではなかった事実を示している。

 ミサイルの配備に関しては、フルシチョフとその側近は、米国がどのような行動に出るかをソ連の米国専門家に諮ることなく、それを決定したことが明らかになっている。ホワイトハウスがさまざまな専門家を招いて、慎重な討議を行ったのとは対照的である。そしてその決定は、すぐさまミサイルを撤去せざるを得なかった結果から考えると、やはり誤っていたのである。

 ただし逆にその撤去に関して言えば、ソ連の判断は評価できる。海上封鎖の決定を聞いたフルシチョフは激怒したと言われているが、頭を冷やし、部下と対応を練る時間は十分にあった(後述)。さらには、キューバからのミサイル撤去の条件として、キューバを攻撃しないという約束と、自国に突きつけられていたトルコのミサイル撤去(密約)を得ることができた。結局のところ、ミサイル配備を決定した前よりも、ソ連の国際政治環境は改善されたのである。

 

憤怒のカストロ

 カストロは怒っていた。大国間政治に振り回される自国の無力さに、大いに憤慨していた。国際政治は基本的にヒエラルキー(階層的)であり、小国は大国に自律的・強制的に従わざるを得ないという国際政治の冷酷な前提通り、キューバの置かれた状況というのは、まさに小国のそれだった。「キューバを防衛する」という名目でミサイルの設置を持ちかけられたものの、米国の固い意思に屈服したソ連によって何の相談もなくそれを撤去させられた。そこには、大国間政治に踊らされた小国の指導者の怒りがあった。

 カストロは、おそらくこの危機の最大の犠牲者と言っても良いであろう。ただし危機が去った後ですら、国連の査察を拒否したり、ソ連の自制要求に反してU2機への攻撃命令を止めなかったカストロの行動に鑑みると、彼が政策決定の主導権を握っていた場合、結果は全く異なった様相を呈しただろうと予想できる。カストロは犠牲者ではあるが、彼が主要政策形成メンバーに入っていなかったのは、世界にとって幸運なことだった。

危機が回避できた理由

 ここで我々は(最終的に)危機を回避した米国とソ連の政策決定過程に関して、二つの教訓を導き出すことができる。すなわち一つ目は、討議の重要性である。最適な対応を導き出すには、ケネディ政権のように、多様なメンバーによる議論をある程度続けることが好ましい。それによって選択肢も増え、ある政策を採用した場合に生じうる結果の予想頻度も上がるからである。キューバ危機に対するアメリカの政策形成グループは、まさにその成功例と言える。

 そして教訓の二つ目として挙げられるのが、その討議を可能にしたある程度の時間の必要性である。ミサイル基地が発見されてから海上封鎖が決定されるまで、4日という時間があった。この4日間で、ExCommのメンバーはさまざまな意見変遷を経験した。国際危機が生じたときは、即座にその対応をとらなければならず、時間的な余裕はあまりないことが多い。それでもなお、個人の即決によって政策が決まってしまえば、結果は悲惨なことになりかねない。仮にケネディが当初持っていた自らの空爆案を採用していれば、その結果は実際よりも確実に悪化していたはずである。また、米政府による海上封鎖の発表から、実際に封鎖されるまではさらに3日という時間があった。この3日という猶予期間を米国が用意したからこそ—私はこの、ソ連に時間を与えたという事実こそが、最もすばらしい米国の選択であると思っている—、ソ連側はさまざまな選択肢を考慮することができ、最終的なミサイル撤去へと繋がったのである。

 「13日間」というのは短いと思われるかもしれないが、実は国際危機において13日間も考える時間が許されていた両国の政策形成者は、非常に幸運だったのである。

終わりに

 危機が去ってからすでに50年以上経った今でも、この事件に関する研究は次々と発表されている。新しい文書が公開されたり、生存者に対するインタビューが新たに行われたりする限り、キューバ危機の「最新研究」なるものはつぎつぎと現れるだろう。

 本エッセイでは、キューバ危機を事例として、国際危機回避の理由—討議の必要性と十分な時間の確保—を考えてみた。言うまでもなくこれは単一事例から得られた知見であるので、この2つの条件が揃えば国際危機は必ず回避できるというわけではない。討議の時間があれば必ず最善の選択が採用されるという保証もないのである。この条件がどのような場合に有効であるかを判断するには、他の国際危機の研究を積み上げていくしかない。そしてそのような研究の蓄積を行うことは、まさに我々が推進している「危機対応学」プロジェクトの役目の一つなのである。

1なぜそういうことがわかるのかというと、ホワイトハウスの大統領執務室と閣議室に大統領がテープ・レコーダを設置し、会議の内容を内密に録音していたからである。このいわゆる「ケネディ・テープ」は、ヴァージニア大学Miller Centerの大統領録音プロジェクトの下記サイトで聴くことができる(2016年1月現在)。
http://millercenter.org/presidentialrecordings/kennedy

2Janis, Irving L. (1982) Victims of Groupthink: Psychological Studies of Foreign Policy Decision and Fiascoes, Boston, MA: Houghton MifflinおよびJanis (1989) Crucial Decisions: Leadership in Policymaking and Crisis Management, New York, NY: The Free Press.
3阪本拓人・保城広至・山影進(2012)『ホワイトハウスのキューバ危機—マルチエージェント・シミュレーションで探る核戦争回避の分水嶺』書籍工房早山。
4保城広至(2016)書評「ドン・マントン、デイヴィッド・ウェルチ(2015)『キューバ危機—ミラー・イメージングの罠』」『国際政治』第183号。