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「英文学術図書の将来」 2023年11月8日開催

東京大学英文図書刊行支援事業のシンポジュウム

「英文学術図書の将来」 

司会者

本日は、英文学術出版界のなかでも格段と著名な方々をパネルにお迎えすることができ、誠に光栄です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、昨年度まで本事業のイベントでは主に大学出版局が対象となっており、より商業的な出版社からの参加も模索してはおりましたが、業界内で高レベルの責任者の方の参加は実現できませんでした。しかし、本日ここに、まさにその肩書をお持ちの方にもおいでいただきましたので、大変光栄に存じます。さらに、昨年度はエージェントの役割についても盛んに議論されましたが、本日は著名なエージェント、つまり文芸著作権の代理人をされている方にもご参加いただいています。英文学術出版業界の将来について討論するには、これ以上ないと言える顔合わせとなりました。

昨日のワークショップの席で、私は「これはこの先5年のうちに英文の本を出版しようと考えている方対象のワークショップです」と申し上げました。本日のシンポジュウムでは、その5年先以降、おそらくこれから10年先を見据えてこの業界はどのように変貌していくのか、その変化に付いてゆくために我々は何をしなければならないのかを検討いたします。

それでは、マヒンダー・キングラさんから始めていただきたく思います。恐れ入りますが、簡単な自己紹介の後、今後5年から10年先の英文学術出版の将来についてご意見をお聞かせください。

マヒンダー・キングラ

喜んで始めさせていただきます。私はマヒンダー・キングラと申します。コーネル大学出版局の編集長を務めております。同時にいくつかの分野での原稿買い付けも担当しており、中世史研究、西洋史、法律関係も少し、文学や文化研究なども対象にしています。本日ここに出席できて大変うれしく思っています。日本は初めてですが、多くの学者の方々と大変興味深いプロジェクトのお話をする機会を得て、素晴らしい経験をさせていただいています。

出版界の将来についてですが、まずチャールス・ディッケンスの言葉、「それは最良の時代でもあり、最悪の時代でもあった」を拝借して話を始めさせてください。最良の時代なのは、我々が携わっている仕事が現在、これまで以上に真に必要とされているからです。つまり、確認・検証された知識、同僚に査読された学術研究、真に深く掘り下げた学術研究が、今日の世界の諸問題に対処できるものだからです。皆さんもご存じの通り、現在はこのような高品質の情報が必要とされ、我々が関わっている環境以外ではそれを見つけることが難しくなっています。

さて最悪の時代なのは、我々出版に関わってきた者の肩にかかるプレッシャーがどんどん膨らんでいるからです。経済的プレッシャーはもちろん、テクノロジーのプレッシャーそして存在意義のプレッシャーもあります。経済的な面では、学術出版の経済モデル自体が劇的に変化したことがあげられます。図書館への販売が減少した一方で、電子書籍販売の増加、あるいは同価格で複数の電子書籍が使用できるようになった現象があります。

テクノロジーですが、電子書籍をはじめとする巨大な変化に順応していくために我々出版人が学ばなくてはならないことが急速に増大し、次にはAIが待ち構えている、という技術革新の嵐にさらされている最中です。

そして我々自身の存在意義への脅威があります。特に北米大学システムの大学に付属する大学出版局は、大学システム自体のいわゆる新自由化が進むなかで、その存在意義を正当化することが次第に難しくなってきています。しかし将来のこととなりますと、我々出版を職業とする者全員が、直面する事態に革新をもたらすことには優れていると自負しています。

我々は、まさに当初から革新を起こさなければなりませんでした。現在の状況では、本の出版自体をどのように行うかについて革新している最中です。異なるフォーマット、異なる印刷技術。プリントオンデマンドの登場で、本の出版は楽に採算が取れるとれるようになりましたし、電子書籍や電子書籍のプラットフォームおよびオープンアクセスを通して、社会科学、人文科学、STEM(科学、技術、高額、数学)にせよ、その知識を広範に伝えることが可能になりました。

また、オーディオブックなどのフォーマットも試用して、我々が作り出すものをより広く伝播できるようにしています。「ショートブックス」の出現も、たとえばオックスフォード大学出版局のVSI(Very Short Introductions)シリーズを見ていただけばわかりますが、学術研究者に対して千ページの専門書を書かなくても、一般市民が知っておく必要があるトピックに絞って120ページの本を書けばよいこと、そしてそのような本は迅速に商品化できることを知らしめました。

このような本は、情報が更新されるにつれて次の版を出版していけるわけです。私は、学術出版社は革新し続け、物事が進む先に向かって挑戦を続けていくと思っています。但し10年先は予想するのは長い時間ですので、今はあまり推測でお話ししたくありません。

5年のうちでしたら、モノグラフやその出版においてオープンアクセスがより一般的に広がり、モノグラフ出版の経済モデルもオープンアクセスになるでしょう。これは資金源が機関投資家であれ、政府系であれ、その組み合わせの場合も同じです。オープンアクセスが何故重要なのか理由を言いますと、このやり方が、我々学術出版社が持っている質問の多くに対して答えを提供できること、そのため我々の親組織に対して我々の存在意義を正当化できところにあります。

例えば、我々はコーネル大学の学長のところへ行き、「確かに当出版局の書籍は冊数は売れていませんが、オープンアクセスにすることによって実際書籍を売ることができないような場所まで広く我々の本を伝播できています。」と説明するわけです。実際、サハラ砂漠より南のアフリカで我々の本が携帯電話にダウンロードされて読まれています。世界中の発展途上地域やアジアの隅々など、我々が本の実物や電子版でさえ販売できないような地域でダウンロードされるのを見ています。これが確実な流れになっていると思います。

新しいテクノロジーは我々の仕事を合理化し続けるでしょう。AIが著者や編集者、査読者にとって代わることはないと思いますが、テクノロジーは、我々がそれを身に着けるにつれて日々の仕事の能率を改善し合理化するために使用し、結果的に我々がもっと得意とする仕事、本のプロジェクトの選定やレビュー、フィードバックをしたり、原稿の整理編集などをするのに使える時間を増やしてくれると考えています。少なくとも私個人としては、現在はまだまだ時間を費やすだけの仕事が多すぎると思っていますので。

私は悲観的になることが多々あります。しかし今の時点では、我々はまだまだ革新し続けて、学者の皆さん、学者のコミュニティー、また読者のコミュニティーとの様々な繋がりを発見しながら、我々の仕事が価値あるものであり続けるよう確保していけるのでは、と希望的になっています。

ありがとうございました。

シニード・モロニー

ありがとうございます。こんにちは、シニード・モロニーと申します。ハート出版で法律と税の分野の委託を担当しています。ブルームスベリー出版のインプリント(奥付)でイギリスのオックスフォードを本拠地にしています。これから申し上げることはマヒンダーさんがおっしゃったことと重なる部分が多いのですが、それは私たちが言っていることが正しいからだと思います。ですので、私はこの先10年間に起きるであろう大きな二つの変化についてお話ししたく思います。

まず一つ目は人工知能、AIです。これは大きな変化をもたらすと思います。しかし、それで何が起きるのかはっきり分かっている人もまだいないと思います。我々が憂慮しているのは、それがある意味で我々の仕事の核心につながっているからであり、既存の知識に基づいて新しい知識を生成するからであり、つまり著作権に対する重大な影響を持っているわけです。著者に対する影響もあります。出版社に対する影響もあります。我々にとってはそれに伴う実務も発生します。契約書を見直す必要が出てきます。ライセンス契約も見直す必要が出てきます。翻訳契約も見直さなければなりません。

我々を少し心配させているもう一つの理由は、それが独創性の核心をついてくるところにあり、これはもう絶対的に重大な問題です。我々は常に独創的な著作を発行する仕事に誇りを持っていると思いますが、AIの問題がその仕事をぶち壊しにしてしまうかもしれません。

我々は皆、どこがAIで生成された本と気づかずに出版してしまう最初の出版社になるのか、密かに恐れているのだと思います。米国では既に実験が行われています。STEM領域のどこかだったと思いますが、学者がAIを使って生成した論文を試すために専門誌の査読に提出したところ、いくつかは認められたということです。

こういうことですので、我々はAIについてもう少し慎重である必要があります。しかしマヒンダーさんがおっしゃったように、確実に利点もあります。誰でも、少なくとも私が出版界に足を入れた頃は、日々の仕事は文章を読むことになると思っていました。でも私の一日はスプレッドシートを眺めて図書目録システムにデータをアップロードすることに費やされています。願わくば、AIがそうした繰り返し作業をこなしてくれると助かります。出版業界を大きく駆動ているのはデータの収集解析だからです。

我々の情報のほとんどはこのようなシステムへのデータ入力によるものなので、これを正確に行うために膨大な時間を費やさなければなりません。AIがこれを助けてくれるなら、何よりです。キーワードや発見可能性のための作業や、広告文などを作ってくれるのも歓迎ですが、AIにすべてを任せるわけではなく、一部を代行してもらう、マヒンダーさんがおっしゃたように、それで我々がより創造的な仕事、当初出版に携わろうと決めた理由になった仕事により多くの時間を充てられるようにするためです。

AIに関してもう一つ興味深い点は、それがより多くの学識の創出に貢献するであろうことです。AIへの対処の方法を説いた様々な本を出版する必要が出てきますが、これは常に学会にとって喜ばしいことです。新たな討論がなされるからです。これらの討論はより学際的に展開されると思います。私も、今日の午後になって考えられるリストを作ってみたのですが、まずAI関係の法律の本がもっと必要になります。そして、これまでAIに関して我々が出版した本はすべて飛ぶように売れているのです。

哲学および倫理学、経済学の分野でも新たな討論の分野が開かれます。これには神経を使う部分もありますが、実際、全体を秤にかけることができて、うまく処理出来たならば、業界にとっても非常に有益な展開となりえます。

二つ目の変化としてお話ししたいのは、もう既に進行中ですが、ディジタル化の圧倒的な展開です。これはすでに過去15から20年は続いてきていたのですが、コロナパンデミックの時期に展開の速度がぐっと速まりました。誰もが全てのことについてオンラインでのアクセスを必要としたわけで、この傾向はこのまま続くとしか言えません。

私が出版業界で駆け出しのころは、印刷本が主役でした。電子書籍が出始めの頃は、我々は無料で配布していた記憶がありますが、それは物理的に存在しない本に対してお金を支払う人などいないという感覚があったからです。現在ではこの状態は完全に反転しています。ほとんどの人はオンラインで本を読みます。収益をもたらすのはオンライン版です。オーディオブックスもかなり興味深いです。10年の間に、オーディオブックスも学術書籍の市場でその地位を築くと思います。耳から聞いて学ぶ方法が主流となり、学生が教科書のオーディオ版を要求しているという研究が多く上がってきています。

欲しいというのなら、我々は作ります。10年後には、教科書のフォーマットはオーディオになっているかもしれません。商業的には既に確立されていますが、これから10年のうちに学術界でもさらに確固としたものになると思います。

オープンアクセスは間違いなく重要です。現在では、公的な資金による研究の場合、その成果は出版と同時にオープンアクセスで公開されることが基本的には法制化されています。英国では業界との話し合いは非常に良好に進展しました。我々は必要な準備調整を2、3年かけて行いましたが、ここでも最初は皆、これは大変だ、業界の存続が左右されるような影響を受けるだろう、と思っていましたが、実のところこれは単に異なるビジネスモデルである、ということだったのです。一旦事態を整理し、折り合いをつけてみれば、皆が新しいビジネスモデルを理解することができて、これを恐れることもなくなりました。本の伝播を助けるものはどんなものでもプラスになるのだし、さらに本の売り上げをあげることもできるのです。実際、非常に興味深いです。今のところは印刷本でもオープンアクセスモデルで成功できており、それが長期的に成功が続くかはわかりませんが、ここまでは真に興味深い展開になっています。

最後に、今からお話しする件ついては北米の同僚の方がもっと詳しく説明してくださるのではないかと思いますが、北米でも本の委託編集をしている私の同僚たちが、当局によって許可されている本のリストおよび制限されている本について心配しています。先週参加したミーティングで、同僚の一人がフロリダ州の法律の話をしていたと思いますが、そこでは承認された本のサプライヤーリストがあるというのです。承認されたサプライヤーでも、一部でもリストの基準を満たさない本を出版した場合、そのサプライヤーの全ての本がリストから落とされるということです。

これは新しく直面する挑戦の一例ですが、このようなことは5年くらい前の話ならありえたかもしれないと思います。どなたかこの件について私より詳しくご存じかもしれませんね。変わらずに続くものは何なのか考えることも重要ではないでしょうか。厳しく査読された学識というものは 常に変わらず必要とされます。

同僚による査読の場は、学術的な討論が行われるフォーラムです。そこで専門分野が発展し、前進するのです。しかしそれは悲しくも、学術研究者を判断する定規でもあります。事実、マヒンダーさんもおっしゃったとおり、AIの登場で知識や専門意見の価値に疑問が持たれるようになるため、同僚査読の要素はより重要になるでしょう。これから先に進むにつれて、査読は一層その重要性を増していくと思います。

ここで当然ながら申し上げておきますと、出版社の必要性は続くと思います。もし一つの主題が慎重に精選された専門家のリストでサポートされており、本が素晴らしく仕上がっていれば、それはグローバルな市場で販売されることになり、一般的にはその分野にとってこれ以上のことはありません。出版の将来について悲観的になるべきかと感じてしまう時、私はいつも締めくくりに使う話があります。

私が出版界で初めての職に就いたのは2004年の9月でした。就職して二日目に、当時その出版社で私の上司にあたる人の講義に出席しました。その講義で、上司は本は10年以内に死を遂げると予測しました。その時私は再教育の必要性を真剣に考えたのですが、今ではそれは20年前の話になりました。もちろん革新は全力で続けますし、進めながら対処しなくてはならないことも多々出てくるでしょうが、明るくいられる理由もあると私は思っています。

アレックス・ペティファー

アレックス・ペティファーと申します。エドワード・エルガー出版社の編集取締役をしております。当社は、英国チェルトナム市を本拠地とする独立した家族経営の会社です。法律と社会科学の分野で年間約600冊の新刊書を刊行しております。

同様に、もう皆さん既にお聞きになられたことを私も繰り返すことにはなりますが、実はこのテーマについては私も相当深く考えておりまして、将来ばかりでなく今現在においても重要なことだと思っています。もちろんこの先5年、10年はより重要さを増すわけですが、もし皆さんが本を書こうと考えておられる、特に直近の2、3年の間に書こうとしておられる場合は、その本をまず最初からディジタルの製品として考えていく必要があります。印刷本が死滅することはありませんが、現在の状態を分かっていただけるように少し数字を提示させてください。15年前私がこの業界に入った頃は、電子書籍の売り上げは収益の5%以下でしたが、今年はそれが60%から65%になります。この先10年をみるならば、おそらく80%以上を占めることになるでしょう。なぜこのことが重要かといいますと、その60%余りの割合の中で、大部分の売り上げは私共のディジタルプラットフォームから得られているからです。

これが学術出版のプロセスに起きた大きな変化であり、印刷された本も電子書籍もこれまでのようにブローカーを通して販売するのではなく、出版社はそれぞれ独自のプラットフォームにコンテンツを擁して、自身の顧客、例えば図書館などに直接そのコンテンツを、大抵の場合は大きくひとまとめにして一度に販売できるようになったのです。私共ではコンテンツを章ごとのレベルで提供しておりますが、その方がコンテンツの発見可能性が改善され、コンテンツが使いやすくなると考えているからです。そしてそのことが次に述べさせていただきたいメタデータの話につながりますが、申し訳ありません、これは実にドライでうんざりするような話題です。

もし皆さんが運悪く出版関連の会議に出席されることがありましたら、メタデータに関するセッションがひしめいているはずです。しかしこのメタデータは、実は発見可能性を推進するものであり、出版プロセスの販売サイドの面に加えて、研究者がどのようにコンテンツを発見して使用できるかという両方の面に関わっているのです。正確な数字は存じませんが、十万以上の単位ではないでしょうか。

学術出版界では毎年刊行される新刊書は、これからの10年間でその数20万冊にのぼるでしょう。メタデータはそれだけ重要で、さらに年が経つにつれてその重要性は増していく一方です。もし出版社が皆さんご自身のメタデータに関わるように依頼してきたならば、著者としての仕事の大変重要な一部であると認識していただきたいのです。なぜならば、皆さんご自身がご自分のコンテンツを一番よく知り尽くしているわけで、ベストなキーワードが何かもご存じで、ご自身の本のブラーブ(広告文)を読むときにも、どのようにしたらこのコンテンツを発見できるかと考えているインターネットのサーチエンジンになり切ることができるからです。この言い回しを使うと私の本がとてもエキサイティングに感じられるだろう、などとは考えないでください。悲しいことですが、皆さんのブラーブを読むのは個人の読者よりは、グーグルやアマゾンのクローラー(インターネット上の特定のコンテンツを探す自動プログラム)であることの方がはるかに多いからです。

オープンアクセスの重要性についても繰り返して申し上げます。ここでは本全体のレベルでのアクセスだけではなく、出版社は個々の章をオープンアクセス化することも可能である点を強調しておくことが重要だと思います。著者にとってオープンアクセス、OAの利点は大きく二つあると考えます。

一つ目は、私共のディジタルプラットフォーム上のユーザー統計を見ていただくとわかりますが、すべてOAコンテンツが最上位に来ています。OAコンテンツの方がOAでないコンテンツに比べてはるかに多く使用され、シェアされ、発見されているのは自明です。

二つ目は、伝統的な商業出版のモデルでは資金援助無しでは成り立たないようなニッチな隙間に焦点を合わせたプロジェクトでも、OAならば商業的に成立させることが可能だという点です。もちろんそのような研究には価値がないと言っているわけではなく、たいていの出版社ではそのような著作を販売モデルに作り上げることはできないという意味です。私共は、強いOA賛成論者だと思っています。現在のところ、著者に課せられている挑戦は非常に複雑化している資金源の状況かと思います。

しかし、これからの10年間は、特に東京大学のような大規模な研究中心の大学においては、個人の著者が中央からの資金源に手が届きやすくなる傾向になると私は推測します。そして願わくば、OA化が必須となっている研究資金によるプロジェクトではない場合でも、著者が自分の本をよりOA化しやすくするべきだと思っています。

最後に、テクノロジーですが、本の制作サイドについては既に述べられたことですが、出版におけるAIはますます一般的なものとなるに違いありません。例えば既に市場に出ている製品の中にも、通常はコピー編集者を雇って行う参照文献の一貫性と正確さを確認する作業をAIに任せている例が存在しています。

これはほんの一例ですが、出版社にとって時間と費用の節約になるのは明らかであり、また研究側と執筆側が同様の恩恵を受けることができるのは自明です。もちろん、私共ではAIに対する会社の方針を用意しており、当社のウェブサイトで皆さんに読んでいただくことができます。今の段階では、私共の著者に対するAIの使い方のアドバイスはかなり注意深く、保守的なものではあります。これは時を経て変化していくと確信しておりますが、その変化は大学側の倫理や政治が中心となり推進していくもので、我々出版社は単にその変化に追従することになると思っております。

メリッサ・フラッシュマン

メリッサ・フラッシュマンと申します。ニューヨークのジャンクロー・アンド・ネスビット社で著作権エージェントをしています。ロンドンにも事務所があります。私は出版界の中でもここにいらっしゃるパネルの方々とは全く異なる部門からきておりますので、まずは私の仕事について、エージェントとは何をしているのかからお話しさせてください。

元々は、ジョンズホプキンス大学で文学専攻の博士課程の学生でしたが、25年前のことでも就職市場を眺めてみて、北米東部の大都市で暮らしたいと思っていた私は、文学は諦めようと決心しました。そして最初はジャーナリストになろうと思い、手始めに出版界の著作権エージェント側の仕事に就きました。出版社で働くのは初めてでした。私の仕事は著者の代理人となることでした。私の著者の多くは学者でした。中にはジャーナリストや詩人、小説家も何人かいましたが、皆、それぞれ理由があって私のところに来ていました。

学者の方々についてざっくりまとめて言いますと、エージェントを使おうとする理由が二つあると思いますが、それはここ20年程の間に学者として社交的または公的な影響を及ぼす力を示す必要性が増してきたことに関連してしています。テニュア委員会(大学で終身雇用職の人選をする委員会)の多くが、当人がこのような影響力を持っているかを秤にかけますし、学部長への昇進でもこの点がものを言います。もう一つの理由は、特に若い学者の場合ですが、博士号取得後の研究職が得られるかわからない、いずれ終身雇用の職が得られるかもわからないといった状態で、現在人文科学系統の求人は皆無に近い状況にあるなか、何か別の形でインパクトを持つ手段を模索しているのです。

全体として、私がこれまで代理を務めてきた学者の方々全員、専門は経済学、歴史学、人類学、考古学、詩、文学など多岐にわたりますが、皆さん世の中の会話の中身や方向に変化を与えようとしている方々です。

それぞれのテーマが知的歴史であれ、歳入赤字、インフレーション、刑事司法であれ、学者たちは、広く世の中で公になっている言葉のやり取り、会話に影響を与えようとしていて、それを達成するためには二つのルートがあるわけです。一つは一般的にエージェントを使って大学出版局の商業出版側に持ち込むルートです。大学出版局の方針も様々で、中には出版目録の80%がこのような一般の読者にも受け入れられるトレード本になっているところもあれば、それは10%に過ぎない出版局もあります。私が代理人を務める本はすべて商業出版側で、わずかな例外を除いては特定分野の研究論文などはありません。

学者である著者の代理人として私が著作を売り込に行くもう一つの場所は、ペンギン・ランダムハウス、サイモン&シュースター、ノートン、FSGといった通常の商業出版社です。多くの場合、私は大学出版局の商業出版部門と商業出版社の両方同時に接近を試みます。これは私が出版業界で働き始めた2001年頃に比べてすっかり様変わりしました。うちの社で詩人や小説家を担当しているもっと年の若いエージェントたちでも、一つの原稿を大学出版会の商業部門と商業出版社の両方に、たいていは同時に提出しています。

大学出版局にも、トレード本で一般読者との対面を増やすよう、ある程度圧力がかかっているのだと思います。おそらく経済的理由からあるいは社会的影響力を発揮できるようにということでしょうが、この圧力がどこからきているのかは定かではありません。私が代理している著者の中には、より大きな経済問題を本の題材とする人も少なくありません。例えば、資本主義の歴史学者であるクイン・スロボディアン氏やバネッサ・オーグル氏、経済学者のステファニー・ケルトン氏は日本の国会やアメリカ議会にもアドバイスを提供しています。

本のフォーマットについてこれまでコメントがありましたが、私の経験では、本の終焉とは全く逆の現象を見ています。私が出版界で働き始めた頃は、電子書籍が印刷本を完全に食い尽くし、若い人はデバイスでしか本を読まなくなるという恐れが抱かれていました。しかし少なくとも私が担当している本は、真面目なノンフィクションがほとんどですが、売り上げの大半は印刷されたハードカバー版で、少し後にペーパーバック版が出るのが普通です。私がかかわっている出版社では、新刊書をできる限り長期にわたってハードカバー版にしておきたいことが多いです。ハードカバーの方が儲けのマージンが大きいからで、一冊の値段が100ドルもすることはありません。これらは、皆さんがチェーンの書店やアマゾンで買うであろう本なのです。

次はオーディオ本で、その後電子書籍が続きます。本のジャンルによってこのバランスは変わってきますが、電子書籍の販売は、印刷版、オーディオ版と三種類の中でたいていは三番目に甘んじています。

AIについては我々を含む多くのエージェンシーで常に話題に上っています。営業や法務のトップを交えたスタッフのミーティングが頻繁に開かれ、一般的な創造性について話し合いを持っています。私の担当の一人は、ジョン・ワーナーという英語学の教授なのですが、英語の書き方の教授法の専門家です。学部生に入門レベルの文章の書き方を教える方法を題材とした本を既に大学出版局から出していますし、またこれをペンギンブックスからも出しているのですが、ごく最近、私は彼がこれと全く同じ題材をAIについて書いた新作で"Writing with Robots"という題名の本を出版社に売りました。彼には言いたいことがたくさんあり、学部生たちに対してもかなり楽観的なようですが、私が担当している他の教授たちの話では、最近新聞に出ているような学部生が試験などにAIを使って不正を働いている件は現実のことであるようです。しかし大局的には私も楽観者なので、学者であれ、青少年向けの小説家であれ、ファンタジーやSF作家であれ、本の著者がロボットで置き換えられることはないと思っていますが、AIについては出版に関わる我々全員が真剣に検討しているリアルな問題には違いありません。

質疑応答

質問 1

オープンアクセスについて大変特定的な質問をさせてください。オープンアクセスの場合でも、出版社はレビュー用のコピーを積極的に配布することを厭わないのでしょうか。私は本をオープンアクセスにしてその支払いをしたのですが、かなりの金額でした。さて、著者がオープンアクセスの費用を支払う選択をした場合、それでも出版社はレビューしてくれるであろう専門誌など十数社に意欲をもってコピーを配布してくれるのでしょうか。実際の本を販売する必要がないわけですから、これ以上レビュー用コピーは配布しなくてもよい、と考えることはありませんか。このことを出版社に質問したことはまだありません。とても限定的な質問で申し訳ありません。実は私は今急いで行く場所がありますのでこれで失礼いたしますが、色々と見識の高いご意見を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。

マヒンダー・キングラ

私共コーネル大学出版会では、オープンアクセスの本とペイウォール(課金制)の本について、各種賞への応募やレビューコピーの配布について、全く同様の扱いをしています。特に区別をしないのは、オープンアクセスの場合でも印刷本を売る必要があるからで、ペーパーバックならば200、300、400冊は販売しますし、当然他の学者たちや査読者たちに本を精読してもらうことは大きな部分であるからです。

印刷本を作ることは多々あります。オープンアクセスの本はプリントオンデマンドですが、我々は印刷した本を学術会議にもっていって展示します。コロナパンデミックの間に専門誌が査読目的に電子書籍を認めるようになって以来、そのやり方は継続しています。電子書籍のレビューコピーを何十冊も配布することはよくあり、それにかかるコストもありません。それを勘定に入れているわけではありませんが、私共では全く区別はしておりません。一旦本を承認したら、それがオープンアクセスやぺイウォールがある本も、コーネルの本であるからです。

シニード・モロニー

はい、私共ハート出版では両方全く同様に扱っています。オープンアクセスではない本に起きることは全てオープンアクセスの本にも起こります。実際、どちらの本も売れ方は似ており、出版の最初のプロセスは全く同様のピアレビューを通します。

ビジネスモデル的にはある程度の差はありますが、我々の扱いは同じです。

アレックス・ペティファー

はい。また繰り返しになりますが、考えられる違いはただ一つ、先ほどもお話ししたメタデータです。例えば、オープンアクセスの本ならばオープンアクセスの本のデータベースに登録します。しかし、それ以外は基本的に同様に扱います。

質問 2

大変興味深いプレゼンテーションをありがとうございました。本の出版は革新しながら新しく変化していく環境に適応しているようですが、これは著者にとってどのような意味があるのでしょうか。ご説明頂いた色々な変化が起きた結果、どのような学術書籍がより歓迎される、または歓迎されなくなるのでしょうか。

アレックス・ペティファー

我々の視点から言わせていただきますが、私が出版業に携わってきた間に起きた一番大きな変化は、モノグラフを執筆しようとする著者を見つけるのがますます難してくなってきたことです。敢えて言わせていただくと、一番大きな要因は、本を書くことに対しての意欲が阻害されていること、第二の要因は増大している講義の時間やアドミンに要する時間など、時間的プレッシャーだと思います。

そのようなわけで、我々もこの期間に出版社として順応するために、全く違った種類の叢書シリーズを提案してきました。我々の方から出向いて個々の著者にこれらの本を書いてもらい、我々が編集するという商品のタイプです。このおかげで、我々の書籍一覧は、15年前に比べて大変多様化しています。しかしこれは、社内的には我々自身が積極的に本を獲得していく責任を持つことにもなったわけで、とても大きな変化です。

シニード・モロニー

ある意味で、これはテクノロージーの違いであり、フォーマットの問題だと思います。コンテンツ、つまり中身はあくまで中身ですから、それが変わるということはありません。(これまで出版されなかった)多くの知識の分野があるならば、既に申し上げた通り、テクノロジーのおかげてそれが表出されていくでしょう。おそらく、私の分野、法律は伝統的に孤立していたのだと思います。テクノロジーが専門分野の境界を開いてより学際的なやり方を促していると思います。法律の分野がこの動きに参加するのは遅れていましたが、今まさにそれが起こりつつあります。

しかし、出版の基本的な部分は同じであり続けると考えます。質の高い研究結果が素晴らしい同僚の査定結果に支えられている、それを人々が求めています。編集者として、これを読みたいと思う人が十分いると判断し、それが通常基準となり、そこを中心として進めます。しかし、学際的な新しい専門分野に関しては、確実に変化が起きており、我々も対応を余儀なくされています。

マヒンダー・キングラ

我々が直面する脅威のなかで私が敢えて触れなかったものがあるのですが、実はこれは北米では非常な大問題だからです。それは、テニュアシステム、大学の終身雇用制度の衰退と潜在的な消滅です。大学出版局の多くは、組織がテニュアを与えるに際して何らかの形で信任状を発行しています。しかし、テニュアを持つ教職員の数はどんどん減少し、テニュアを持たない臨時教職員の数が増加するにつれ、多忙で時間に追われ、研究や史料などを集めるための出張もままならない教職員たちが、本を書き、モノグラフを出版することの理論的根拠が希薄になってきているのす。

これは長期的な問題ですが、20年のうちには、まず人文科学に始まり、社会科学の分野でこれまで著者を発見することに長けていた出版社が、時間と意欲と確固とした信念をもってモノグラフを書こうという著者を見つけるのは困難になるでしょう。

学術研究がより専門誌への発表に偏っていくか、確かにその可能性はありますが、また、短い本やサブスタックが一般的に学識発現の場となりえるか、なども変化を推し進める要因になるでしょう。我々はSTEM分野は扱っていませんが、これらの変化がSTEM出版にもたらす問題の複雑さには想像に絶するものがあります。STEM分野で起きることは何らかの形で隔離されるとは思いますが、それはもともとモノグラフ中心に展開している分野ではないからともいえます。

これは北米の学術界では大きな変化になると思っています。英国や欧州でのことは存じませんが、この先、本の供給元不足の問題が浮上してくると思います。本を執筆する教職員の数が減少すれば、本を読む教職員の数も減り、その本を購入する学生数も減ってしまいます。ですので、これは30年後の問題ですが、私個人はそれまでに引退するので心配する必要がないのかもしれません。

質問 3

皆さん、プレゼンテーションをありがとうございました。

昨日私は自分が書きたいと思っている本の宣伝をさせていただきました。「メタフィジカル・クラブ」や "To The Finland Station" のような一般読者向けの歴史書のようなものなのですが、まだ概念を形成中で、書いてみようかと考えているところです。どのような読者を想定するか、編集者が興味を示してくれるか、などこれを進めるためには非常に大きなコミットメントが必要です。それを乗り越えて、そのようなトレード本を出すならば、そこにつぎ込む時間は膨大ですし、出せても面白いと思ってくれる人がいるかどうかもわかりません。

一方で、例えば今私が学術出版社から契約をもらったとしましょう。すでに類似のモノグラム叢書が出版されており、私はこれを書けば必ず出版されるとわかっています。叢書には既に需要が存在しているからです。しかし、私は一般読者向けの本を書きたい、しかし出版できるかもわからないとなると、これは書こうとする意欲、それに費やす時間のコミットメントなどリスクが大変高いです。このような問題をどう考えて整理していけばよいでしょうか。

メリッサ・フラッシュマン

大変素晴らしい質問です。エージェントがまず考えるのは、これを読みたい読者が広く存在するか、です。小説家のフィリップ・ロスがいつか言ったことですが、真剣な本や小説の真剣な読者は20万人くらいである、と(米国での話です)。そのころから数十年は経っていますから、今では50万人くらいでしょうか。これはどの出版社にとっても大変な量の本です。ニューヨークタイムズのベストセラーリストに載っている本でもとてもこれほどは売れていません。しかし、「メタフィジカル・クラブ」が出版されたとき、著者のルイス・メナンドは既にニュヨーク私立大学大学院センターの上級教職員でした。本が販売されたときはニューヨーカー誌の専属記者でした。この著者が大きな主題の大作を出せば興味を示す読者層が既に存在することがエージェントにはわかっており、つまり商業出版界ではプラットフォームと呼ばれるものを持っていました。

それでは、どうすればこのようなプラットフォームを創出することができるのでしょうか。

これは、ここ20年程で大幅に変わりました。私が担当する若い歴史学者たちは、同僚の査読を経た学術書を既に大学出版局から出版しており、たいていは何らかの賞を獲得しています。さらに、一般読者向けの出版物、ファイナンシャルタイムズ、ガーディアンなどのメジャーな全国紙に記事を書いています。私はイタリアで勉強したのですが、コリエーレ・デラ・セラやラ・レプッブリカなどに相当しますすし、米国ではもちろん、ニューヨークタイムズやワシントンポストです。実際、ニューヨークタイムズのオピニオンページにはほぼ毎日学者による記事が印刷されています。

私が仕事の一部として行うのは、すでに本の契約を得ている著者が、このオピニオンページに自分の本について書くスペースを確保することです。しかし、ニューヨークタイムズを狙っている学者は大勢います。記事の長さは800から2000語程度、大抵は1500語くらいです。通常、本は国内や国際的に話題になっていることに関連している必要がありますが、質問者の本はこれを取り入れることが可能だと思います。つまり、自身が世の中に向かってものを言う人間であることを確立させるわけです。

私の理解では、大学出版局の場合、出版局にコンタクトをとるまでに、本のほとんどが執筆済みであることが多いようです。少なくとも大半の本がそうです。質問者は本のプロポーザルで同僚たちに宣伝していらっしゃいますが、実際には本の原稿は70%、90%、100%とほぼ全部執筆されていることが多いです。わたしが普通代理する本では、学術書でほぼ書き終えられている場合を除いては、本のプロポーザルがあるだけです。

私が探している本のプロポーザルは、大抵は学術書のプロポーザルより長く、15ページから50ページくらいです。長い場合は、章のサンプルが入れてあって、分かり易いレベルで執筆されているかがこれでわかります。プロポーザルは、登場人物やストーリーで展開されていることが多く、これは深い歴史書であれ、知の営みの歴史や経済史であれ同様です。アダム・トゥーズなどは、資本主義の歴史をこのように書いていますね

サブスタックももう一つの手段です。どこの出版社でも、サブスタックまたは貴方が書いたものを読んでいるのはどのような読者がかがわかるようなEメールのリストなどは大歓迎されます。本の出版まで漕ぎつけた時、それがコーネルであれハートでえあれ、スタンフォードであれ、ペンギン・ランダムハウスであれ、貴方がサブスタックやニュースレターを持っていれば、それは一定の読者にアクセスを持っていること、貴方の本を読んでくれる読者がいることになるのです。

このように、既に読者が組み込まれている場合は、非常に魅力的です。また、ソーシャルメディアでの存在感、私は決してソーシャルメディアに出なくてはいけないなどとは言いませんが、ツイッター(現在はXと呼ばれていますが)には歴史学者や経済学者の巨大な学術的コミュニティーが存在しており、新しいところではインスタグラムのスレッドもあります。スレッドに登場する学者は増えています。ブルースカイは離陸するのに少々時間がかかりましたね。

私はブルースカイで米国の選挙についてフォローしていました。そのようなやり取りですね、誰かが私にクエリレター(著者としての売り込みレター)を書いて私の本を出版したいと言ってきます。ニュースレターやサブスタックがあります、と続けば私はソーシャルメディアには出ているかチェックします。全国紙上で一般向けの記事を書いているか。

別にニューヨークタイムズである必要はありません。バフラーやジャコービンのようなより政治的活動をしている人に向けたもの、これらは左翼寄りですが、イーオンのように社会科学的背景のものなど、出版物は星の数ほどあります。大学出版局が、おそらく本を出版したことがない若い学者を獲得しようとするのを見たことがありますが、それは彼らがイーオン、ロンドンレビューオブブックス、LAレビューオブブックス、ニューヨークレビューオブブックス、ガーディアン、ネイションなどに記事を書いているからです。本のレビューを書くのもメディアでの存在感を増すには良い方法です。

質問 4

パネルの皆さん、本当にありがとうございました。私は現在ブラウン大学の博士候補生で、東京大学の客員研究員をしています。

博士論文は書き終えてはいませんが、将来は学術出版社から出版する予定でいます。そこで興味があるのですが、出版社が原稿を出版するかどうか決断する際に、ピアレビューの他に何か要因があるでしょうか。何か前もって準備できることがあるでしょうか。これが私の質問です。

ありがとうございます。

マヒンダー・キングラ

まず、博士論文を書き終えることだと申し上げます。私には出版局で年上のメントルが付いていましたが、その人は博士課程の学生には、博士号が承認されてから2年以上経たないと話をしないのです。学者は自分のプロジェクトから一旦距離を置く必要があり、それには約二年間かかるというわけです。会議では、いつも2年経ったら戻ってくるように言います。ですので今は貴方とお話ししたくありません。

私は、これはとても無情に聞こえると思います。しかし、色々な意味でおそらくこれは正しいのです。博士論文のために費やした努力はその論文にとってはすべて有用ですが、一冊の本にしたときに有用なのは全部ではなくその一部だけなのです。この違いについて考え、ご自分の本に何をさせたいのかを考えなければなりません。博士論文はPhDを得るために必要です。実際博士論文とはそういうものにすぎません。しかし、本は別の読者に語り掛けるものであり、これまでとは異なる片隅も探っていくものですので、貴方が真に必要とするのはそのような作業になります。このプロセスは、博士論文が承認され、PhDを授与された後の時間に行います。

博士論文がしていなかったことで、本にはしてほしいのは何かを考える必要があります。3人か4人の論文審査委員会のメンバーの代わりに誰がその本を読むのか。委員会のメンバーはその本を購入するわけではありませんよね、無料でコピーが手に入るからです。ですので、我々は、貴方の本を購入する200人の読者を見つけなければなりません。

また、ピアレビューは実は精査のプロセスであり、決定権があるわけではないことも考えてください。もっと重要なのは、本の内容に合った出版社、本に真に興味を持ってくれる編集者を見つけることで、見つけたら出版社と編集者にこの本を是非とも出版するうよう確信をもってもらわなければなりません。ピアレビューのプロセスは単に学術研究の質を確認するだけのものです。

時間切れになる前に申し上げておきたいことがあるのですが、AIを巡る議論に追加することとして、特に今回はここ東京大学におりますので、翻訳プロジェクトのことも話に出ていました。私はAIがこれから5年間で一番影響力を発揮するのは、英語以外で執筆された学術研究成果を、英語しか理解しない読者に、今は想像もできないやり方で提供することができるようになるだろう、そしてもちろん、英語のみでしか得られなかった研究成果も世界中で手にすることができるようになるだろうと思います。

過去3年間で、グーグル翻訳がどれだけ洗練されたかには目を見張るものがあります。今の時点で本の翻訳をグーグルに頼って行うつもりはありませんが、出版局で教職員委員会にパッケージを準備する際は、グーグルで外国語のレビューを検索するようにしています。以前はこのグーグル翻訳を苦労しながら訂正するのに二時間はかかっていましたが、最近はほとんどそのまま、必要があれば2、3か所手を入れるだけで十分です。プロの翻訳家たちは職を失うことになるので、申し訳ないと思います。おそらく、詩文や文芸作品には当てはまらないかもしれませんが、社会科学と人文科学の分野の学術研究の翻訳は、かなり容易になるでしょう。

ここで疑問に思うのは、日本語で書かれたモノグラフの本の著者たちが、これを米国の出版社に持っていきたいか、または単純に翻訳プラットフォームに載せて、そこから直接本を読んでもらうようにしたいか、です。言葉の壁を越えて知識を伝達するのはこれまで大きな障害であったので、このことは非常に興味深く、また刺激的な挑戦です。AIはこれを直せると思います。AIについて一つだけ好意的なことが言えるのは、この点です。

シニード・モロニー

はい、すべてについて同意します。特に、タイミングについて、待った方が良いことに同意します。非常に早い時期、特に論文提出前から出版社に話し始めると、博士論文自体を出版社向けに書いてしまう危険があります。本と博士論文はどちらも時間がかかりますが、全く異なるものなので、論文監督者を落胆させてしまうことにもなりかねません。

また、これは本の出版に関わる者としてやや反直感的ではありますが、これは本当に本なのかを自分自身に問いかけてみる必要があります。時には、これは本でなければならないという感覚があり、専門誌に掲載する2、3本の論文にするのは第二のオプションである場合もありますが、実は全くそうでないことの方が多いのです。研究によっては専門誌の論文に向いているものもありますから、自分に正直になって、これは本当に本なのか?と問いかけてみるのです。もしかしたら、かなり強力な論文を2、3本は専門誌に発表できる内容であり、それも、多数の人に読まれる上質の専門誌に取り上げてもらえるかもしれない。モノグラフの本として出版するよりも、より多くの読者に届けることができるかもしれません。

ここで絶対に一番重要ななのは、時間をかけることです。就職活動の前に、面接の前に本の契約を成立させておきたいお気持ちは理解できますので、これは難しいことですが、もし許されるならば、時間をかけるようにしてください。

アレックス・ペティファー

皆さん素晴らしいアドバイスです。私が一つ追加したいのは、これは今週初めの方のセッションでも触れたことですが、皆さんそれぞれのプロジェクトに一番適している出版社を見つけること、そしてプロジェクトに深い信念を持つ編集者を見つけるよう努力するようにしてほしいことです。そうすれば、著者と出版社の間に長い間満足できる関係を築く手始めとなるからです。

編集者として、誰かの博士論文を本にすることができ、引き続きその人を著者として迎え、長年にわたり様々なプロジェクトを手掛けることができれば、最高の満足感が得られます。私の最初の本はどうしてもあの出版社から出したかったなどと決めつけないで、業界を見渡して出版社のリサーチをしてみてはいかがでしょう。出版社は本当に数多くありますから。関連する題名の本を出しているか、どのようなプロジェクトを手掛けているか、知っている本があるか、良い叢書があるかなどご自分の本を持っていく先について、指導教官などのアドバイスを受けるのもよいでしょう。

質問 5

本の市場、学術書の市場に関するレビューについておお聞きしたく思います。日本では、例えば社会科学の本を出版した場合、読者は学者だけには限られません。一般の読者にも読んでもらえるので、私の本は1000冊かそれ以上売れます。しかし英文ではおそらくその半数以下かと思います。なぜ学術書の市場は英文ではこれほど狭いのでしょうか。

シニード・モロニー

おそらく、現在は多数の書籍が出版されているからではないでしょうか。私がハート出版に入った時は、年に100冊ほどの本を出していましたが、現在は180冊ほどになりました。このことは実際個々の本の売り上げに影響しています。出版社自体が多くなったこともあります。

裏付けがあるわけではありませんが、もしかしたら同じ大きさのパイに対してより多くの人がその一切れを求めて競争しているということかもしれません。

マヒンダー・キングラ

米国における図書館向けのまとめ買いサービスでは、図書館用に電子書籍をひとまとめにするので、その昔私がこの業界に入った頃には常に800冊、900冊と売れていた我々のモノグラフ本が、今では250冊に落ち込んでしまいました。その大きな理由は、我々は現在図書館に一冊の電子図書を販売し、そのキャンパス内ではすべての学生や学者がその本に即時にアクセスできるようになったことにあります。このため、例えば大学出版局の主力製品だった講義で指定される本の冊数は驚くほど減少しました。

また、教授が一冊の本全体を教科書として指定することがなくなりました。指定されるのは一章ごとで、それもキャンパス内のすべての学生が最初から無料で手に入れることができるわけです。このことも原因の一つだと思います。しかし、このビジネスモデルは変化を遂げました。さらに、学究的だったり、真面目過ぎるとされた本は読まれない傾向があると思います。我々コーネルの本がたまにニューヨークタイムズでレビューされると、驚きます。レビューしてもらえることは大変うれしいのですが、大抵はの場合、ニューヨークタイムズは興味深いトピックだが、学究的過ぎる、と締めくくります。それで、学術書は避けたいという感覚ががますます強調されてしまいます。

アレックス・ペティファー

私は海賊行為の著作権侵害も挙げておきたいです。Sci-Hubをご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、このウェブサイトでは世界中の研究者が誰でもキーボードの簡単な操作でどの学術研究成果にでもアクセスすることができます。多くの市場では、教職員が図書館司書に書籍を推薦することに学術書の市場は頼っていますが、若手の教職員の場合、Sci-Hubでアクセスする方がずっと簡単なのかもしれません。

図書館に対する書籍の推薦は確実に減少していると思いますし、同時に、図書館の予算が定期刊行物や専門雑誌により多く充てられるようになる傾向はもう長いこと続いています。同時に、出版される書籍の数は年々増えています。個々の本としては、図書館で削られている部分が明らかに大きいと思います。

質問 6

短い質問です。メリッサさんにお伺いしたいことがあります。今日は触れられませんでしたが、ニューヨークでお会いした際にお聞きしたことで、例えば心理学のような分野では、トレード本が非常に大きな存在になっていて、読者が心理学のトピックを読みたがっているわけで、そのような分野では学術書にも手が届きやすくしていく傾向がある、とおっしゃいましたね。このような傾向は、他の分野にも広まる可能性があるでしょうか。

メリッサ・フラッシュマン

はい、おっしゃっていることはその通りです。私はブラウン大学心理学部のジャドソン・ブルワーという著者の代理人を務めていますが、彼はなぜ悪い習慣がつくのかと不安について多く著作しています。ペンギンから"Unwinding Anxiety" (不安の解きかた)という本を出していて、これは大変な冊数のベストセラーになのですが、今回私にこのワークブックの出版を依頼してきました。

彼の場合、独自の研究を行っており、実験室も主宰しているので、学究的な面もあります。最初は「習慣」について大学出版局から本を出したのですが、この本はセラピストや臨床医など開業している専門家はもちろん、一般個人で自分の習慣を変えたいと思っている人にも取り上げられました。このような現象は、他の分野でも起きていると思います。例えば、グローバル資本主義などのトピックには相当な興味が持たれていると思います。

興味深いことに、商業出版社も大学出版局も、big structural system(大きな構造系)と呼ばれるであろうシステムについての本を争いあって獲得しようとしています。つまり、投げかけられる質問に答えることができる、問題解決ができるならば、まったく予測しない分野からその本の著者が現れることが可能なのです。私が担当する著者のうち、ベストセラーを出しているのはロンドンの人類学者と考古学者ですが、この人たちは人類学者、考古学者のみではない読者層を持っているからです。都市計画者、芸術家、劇場関係者、活動家、学部学生たちなど、私たちがその中で生活している大きなシステムを変更することが可能であるという感触を得たいと思っている人々が読んでいるのです。つまり、我々は不運にも同じ過ちを繰り返す、とは決まっていないこと。これが一つの分野だけでカバーできるとは思いません。

これまでは心理学が常に広い範囲の読者に受け入れられてきた分野だということは事実ですが、民間に普及する本はどの分野からでも出てくる可能性があると思っています。、ヴェルソ出版(ここは学術出版からは離れましたがロンドンとニューヨークに事務所を構えています)と話していたのですが、彼らのベストセラーの本はニューヨーク大学出身の評論家だったと思います。彼女は博士号を取得後学会を離れましたが、ジェンダー研究の成果に基づいて9000語の本を書き、たしか4万冊を売りました。このような本は、英文学科からも出てくる可能性があります。心理学に限ったことではありません。

司会者

メリッサさん、ありがとうございました。

これでシンポジュウムは終了です。参加者の方々、お役にたちましたでしょうか。みなさん、ありがとうございました。

こちらの著名なパネリストの方々に、皆さまもう一度拍手をお願いいたします。

(拍手)

それではさようなら。