コラム

「英語の本を出版するコツ」シンポジウム:納富信留先生(人文社会科学研究科教授)基調講演

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話題提供:英語の本を出版するコツ・How to Publish a Book in English

人文社会系研究科、文学部哲学研究室の納富と申します。基調講演というと、少し堅苦しい印象があるかもしれませんが、そんなに重々しい話ではなく、話題提供のような形で、皆さんのご参考になればと思い、お話しさせて頂きます。パワーポイントの画像を示しながら、写真も見せながら話します。

「英語の本を出版するコツ」という題は、今回、宇野先生・馬場先生から頂いた、こういうことを喋って下さいというテーマなのですが、最初に、少しだけ自分の言い訳のようなことを言わなくてはなりません。これが今日、私がまず紹介する自分の本で、今、先生からご紹介があったCambridge University Press(CUP)から1999年に出した本です。実はこれは20年前に出した本でして、その時の出版の経験をお話ししますが、20年の間にだいぶ出版状況も変わってきていると思います。私の言ったことがそのまま今当てはまるかどうかは、やや心もとないので、新しい情報は是非、先生方に聞いて頂きたいと思います。もうひとつ、ちょっと特殊な事情があります。私は、ケンブリッジ大学で博士号をとったあともそこに留まって、その地でケンブリッジ大学と交渉してCUPから出版したということで、例えば、日本で本を書いて出版するというのと、だいぶ状況が違うという点です。その点でも私の経験がそのまま皆さんにすぐ役立つとは思いませんが、それでも同じ日本人として、研究している者として、こういうことがあったということをお話ししますので、是非参考にして頂ける部分があればと思います。私の専門は西洋古代哲学、ギリシャ哲学です。当然、人文系、社会系でもそれぞれ、分野ごとで出版事情も違えば研究状況も違うと思いますので、その点も是非ご考慮頂いて、共通する部分と、かなり違う部分を踏まえて、話をお聞き頂ければ幸いです。

写真をお見せしていますが、The Unity of Plato's Sophistというこの本は、哲学者プラトンに後期の主著『ソフィスト』Sophistという対話篇がありまして、その研究書です。非常に重要なものですが、これまで十分に研究されていないその作品についての総合的な研究書で、全部で340~350ページ程の英文の本です。3年後には自分自身で翻訳して日本語でも出しました。「是非日本語で」というお話しを頂いたときに、かなり大変だったのですけど、他の方にお願いするとかえって難しいと思って、私が自分で翻訳して名古屋大学出版会から出版しました。その時、CUPから許可を取って、自分の本の翻訳の許可を自分でとったのですが、許可を頂いて出版したわけです。

では、この本をどんな風に形にしたかということですけれども、出版までの経緯を少し具体的にお話ししたいと思います。私は東大の修士を出た後で、ケンブリッジ大学のPh.Dコースに入りました。当時は、マスターコースがありませんでしたので、日本の修士を出た後で、いきなりPh.Dコースに入って、4年ほどでPh.Dを書いて卒業したことになります。私が所属したのは、University of CambridgeのFaculty of Classicsというところで、古典学部。日本には存在しませんが、西洋古典を哲学・文学・歴史・考古学・美術史など、あらゆる領域から研究する学部です。私の指導教授は、最初はGeoffrey Lloyd先生。日本でも有名で日本語訳の研究書が何冊か出ていますが、ギリシャ科学・ギリシャ哲学の専門家です。その後、主にMyles Burnyeat先生につきました。ここに写真が出ているのは、2010年に東京で、私が国際プラトン学会を開いたときに先生においで頂いた時のものです。この右側の男性がBurnyeat先生です。残念ながら、去年お亡くなりになりましたが私の恩師です。左側の先生はヒデ・イシグロ。石黒英子先生で、海外で日本の哲学者を知っていますかと言うと、かならず「ヒデイシグロ」という名前が出てくるという素晴らしい先生で、もう引退されていますけれども、ロンドン大学、コロンビア大学で教えられ、ライプニッツについての国際的にトップレベルの本をCUPから出された先生です。先生はどちらかというと外国で教えていらしたので、英語で出すのはもちろん普通でした。逆に時々すこしおかしな日本語を喋られていましたが、外国で活躍する日本人の先生で、私も非常に尊敬する女性の哲学者です。そういう先生方に習ってきて、石黒先生は直接の先生ではありませんでしたが、Burnyeat先生らに習いながら、3年半、4年弱かけてPh.D thesisを書きました。ケンブリッジ大学では大学院生は基本的には授業にはほとんど出ないで、とにかく、博士論文を書くことに集中していて、最低期間は3年でした。私の場合は3年半で書きました。これはかなり速いペースで、通常4~5年くらいかかるということになっていましたが、外国人でお金もなかったので、一生懸命集中して書きました。そのPh.D thesisは"The Appearances of the Sophist"といって、『ソフィスト』篇を主題にして、「ソフィスト」とはどういう人たちなのか、哲学とどう違うのかということの考察をした論文です。それを提出して、2~3ヶ月後にVIVAと呼ばれる口頭試問を受けました。ケンブリッジ大学の場合は2人しかExaminerがおらず、Internal ExaminerがMalcolm Schofield教授で、彼はあとで教授になりましたので、その当時はDr. Schofieldです。もう一人、External Examinerは『ソフィスト』についての世界的な権威である、亡くなってしまいましたけれども、オックスフォード大学のMichael Frede教授に来ていただいて、3人で4時間くらいかな、みっちりと議論をしました。だから人数は少ないのですが、ものすごく、密度の濃い、大変な口頭試問を受けて、おかげさまで無事パスしたというのが元の論文であります。

そして、その後どうしたのかということが今回のテーマですが、私自身はイギリスに留学して博士論文を書いたということで、是非それを本として出版したいという意向を持っていました。その動機には、それまで日本人でそういうことをやられた方がまだいなかったこともありました。石黒先生の本はありましたが、それ以外では無かったということで、私は是非モノグラフとして出版したいと思っていました。ケンブリッジでの友人たち、イギリス人、アメリカ人の仲間たちと同じように、最初に私は自分のPh.D thesisをコピーして出版社に送ったんです。こういうのを書きましたよ、いかがですかと。CUPに送ったら、2週間くらいですぐに返事が来て、あなたのPh.D thesisはなかなか面白いけれども、何本かの論文として出版するのは良いかもしれませんね、といった感じの返事でした。多分、中身はきちんと読んでなくて......というのは、出版社には世界中からそういう原稿が山のように送られてくるわけです。そういうことで、おそらくざっと見て、まあまあ良いかもしれないけれど本には出来ませんという、そういう返事をもらいました。それで、私はどうしようかなと考えて、Burnyeat先生に相談したら、彼は、それは当然だと、Ph.D論文を出した人たちは皆出版社に送ってるんだから、そんなすぐに出版できるわけないだろう、と言われました。Burnyeat先生もCUPの返事と同様に、Ph.D論文をいくつかに分けて、ジャーナルに投稿するというのが普通だというお考えでした。これは、日本の大学院での研究とは逆でして、日本では先にジャーナルに載せたいくつかの論文をもとにPh.D論文にするわけですが、イギリスの場合は、学術雑誌に投稿する前にまずPh.D論文を仕上げるのが義務でした。そのため、私が書いたPh.D論文には公刊した部分がありませんでしたので、書いたもののうち一部をジャーナルに投稿したらどうかという風に先生も仰ったんですね。私は、それに強く反対しました。私の本は、タイトルを見たら分かる通り、The Unity of Plato's Sophistで、この対話篇の議論を全体でひとつだと統一的に捉えるのが趣旨でしたので、バラバラにして論文を発表してもあまり意味がありません。とにかく単行本として書きたいと強く先生に申し上げたら、先生は笑って、ああそうかと、じゃあ頑張ってこうやってごらんなさい、とアドバイスをくださいました。それは、特定のシリーズに直接申し込むのが良いということです。それが私のこの本の、この下に書いてあるCambridge classical studiesです。このシリーズでは、表紙も以前から全部ずっと同じなんですが、半世紀以上もずっと出ている。もっとかな。一世紀くらい出版されている由緒あるシリーズなのですが、ケンブリッジ大学を中心にして、古代哲学、古典文学などのモノグラフを出すシリーズです。このシリーズで出すのなら、まずCUPに直接ではなくて、そのエディターに相談しなさいとBurnyeat先生が仰ったんです。Burnyeat先生はその時エディターではなかったので、それで、同じケンブリッジ大学にいらっしゃって、もちろん私も教わっていたDavid Sedley先生と、それからラテン文学の教授だったMichael Reeve先生という二人の先生にそれをお見せして、これを本にすることは出来るかという相談をしました。すると、まだこのままでは本にすることは出来ないけれども、色々と改善をして最終的に原稿を見たら、我々としては、本にすることを推薦できるかもしれない、というようなお返事でした。

そこで私は、1995年の10月に全て終わって学位も貰っていたのですが、さらに1年間ケンブリッジに留まって改訂作業を行いました。そのままでは本が出せないということでしたから、例えば就職するとかで日本に帰ってしまうとなかなか時間が取れないと判断して、少しお金を工面してケンブリッジにそのまま滞在して、ほぼ1年、1年弱をかけて改訂作業を行いました。その時の改訂作業というのは、これは私のケースですけれども、全6章で出来ていた博士論文に、2章分を付け足したという形式です。第1章と第7章を追加しました。これは、さきほど申しました口頭試問VIVAの時の2人の先生たち、この写真に出ているのはMalcolm Schofield先生、私のExaminerですが、その先生たちのアドバイスによるものです。まず、全体の見通しと序論にあたるものを、きちんと書く必要があるだろうと考え、それが第1章になりました。それから、私が専門研究上の理由で省いた部分があります。あまりにも細かい議論がたくさんあるので、あえて触れないという形で省いた、実は重要な部分をきちんと入れないと本としては成り立たないというアドバイスによって、第7章を追加しました。これは結構大きな章です。ということで1年間弱、7~8か月かけて先生方の助言を踏まえながら、博士論文を増補改訂、つまり増やして改訂しました。私の仲間、一緒にPh.Dコースで議論した仲間も皆そうですけれども、博士論文をそのまま出版するというのは非常に難しくて、CUPでもOUP (Oxford University Press) でも、私の友達でPh.D thesisを本として出版した人は半分くらいだと思います。なかなかそのまま出版できないというのは通例でしたので、私もその意味では他の人たちと同じで、色々と手を加えなくてはいけないと考えていました。そして、1年間の改訂を経て、96年の8月に日本に帰国して九州大学に勤めることが出来たのですが、その前に、先生方、つまりBurnyeat先生、Sedley先生、Reeve先生のところに、その時点での完成原稿をお送りして、これをケンブリッジ大学、CUPから出版して頂くというお約束を頂きました。これだったら推薦するという評価をいただいたわけです。その時点で、出版が決まったので、ああ良かった、嬉しいなと思って帰国しましたが、実はそれから、実際に出版されるまで2年半ほどかかりました。大変でした。つまり、大手のCUP、OUPのようなところで出す場合には、すぐに出ないというのが私たちのところの常識で、下手をしたら5年~10年かかるという説があるくらい、非常に長いプロセスが必要です。それは、良い意味では丁寧に見てくださるからです。私の場合もCopy-editorという人がついて、非常に細かいところ、表記上の問題だとか、そういったことについてもいちいちやり取りをしながら直していくということがありました。英語を直すというのではなくて、むしろ書き方の問題について細かく見て頂くということで、これは、帰国後もずっと続きました。さらに、Michael Reeve先生から、帰国したあとでさらにいくつか書き直せというEditorとしての指示が出たので、日本に戻ってきて、九州大学で教えながら、そういう作業をしたので、なかなかすぐに対応できないこともありました。最終的に本が出たのは、1999年4月ということになります。これが、私が辿ってきた出版の大体のタイムスパンです。見て分かるように、それなりに大変ではありましたが、ただ、私はまだ、学生を終えたばかりで、九州大学で専任講師にはなっていましたけれども、最初の出版物でしたので、出版する側も慎重ですし、私の側も最善を尽くすということで、このぐらいかかったというのが出版の経緯です。最終的に出来上がったものは、先ほどお見せしたように、2章分足して350ページくらいの本になりましたので、この手の本としてはスタンダードなサイズになっているのではないかと思います。

このCambridge Classical Studiesというシリーズは、ケンブリッジ大学出版会から出しますが、大学のFaculty of Classicsが責任をもって出すことになっており、出身者はその点では有利というか、当然卒業生は比較的出しやすいようです。ただ、ケンブリッジ大学でPh.Dを取ったからと言って、このシリーズから自動的に出せるということではありません。審査もありますし、結構厳しい基準があるので、その意味で言うと、きちんとEditorの判断を頂いて、ようやく出せたという形です。ただし、このシリーズから出すということで、多分、単独で出版することに比べると、かなりスムーズに行ったのではないかと考えています。逆に、シリーズから出したので、版権がFaculty of Classicsにあって、著者である私に版権がありません。だから、翻訳するときに許可が必要になったりとか、それから、印税もありません。それは仕方がない。そういうシステムで出しました。

それで、ここからは、少し自分の考察も含めて、日本人が英語で出版する価値についてお話ししますが。私の場合、やや特殊だったのは、今申しましたように、私自身イギリスの大学で学位をとって、場合によっては外国で教えても良いかなと思っていた身なので、英語で出版するのは当然だったのですが、結果として日本に帰ってきて、その後日本で教えています。その観点から、英語でこの本を出したことがどんな意味があったのかと振りかえると、やはり、こういう形で本を出したことによって、世界中に読者がいることが大きいです。これはもう、英語圏だけではなく、中南米だとかアジアとか、場合によってはアフリカとか、そういったところの方々もこの本を読んでくださっています。時々、質問とかコレスポンデンスが来ることもあります。プラトンの『ソフィスト』という非常に難しい本が対象で、世界中に本当のコアな専門家は10人くらいしかいない分野ですので、そういう意味で、私のこの本は、幸い必読文献、必ずビブリオに入って、皆さん読んでくださるようになっています。やはりこれは、英語でこのような形で出版しないと、なかなかそうならなかったのではないと思います。国際的な場でこのテーマで議論する場合には、いつも非常に多く言及して頂いています。

ここからは、その後の経験も踏まえてのお話になりますが、私はたまたまケンブリッジ大学に居たということもあってCUPから本を出して、その後も、色々な海外の出版社から編著や本の章などを出していますが、やはり、大手学術出版というところのメリットは非常に大きいと感じます。これは、流通という面もありますし、それから、やはり受け取る側の水準への期待の問題もあります。それから先ほど言ったように、CUP、OUPは昔から丁寧に本を作ってくださるってことは信頼度が高いという点もあったので、その辺り、どこからでも本は出せるかもしれませんが、やはり、英語圏で出すのなら、アメリカかイギリスのUniversity Pressが良いのではないかと、私自身は今でも思っております。ただし、私の経験でもそうですが、すこし難しい点もあります。論文として学術雑誌に出す場合は、同じ専門の人たちに向けて書くので、あまり詳しく説明しなくてもいいわけです。これは、日本語で書く場合でも同じですよね。東大出版会でも同じですが、本として出版する場合には、もう少し広い読者が必要になるので、前提になるような事柄の説明も必要になり、細かいところにも説明を加えなくてはいけないという点があって、読者層の設定ということはやはり注意しなくてはいけません。つまり、Ph.D論文は本当の専門家が読むものですけれども、それを本にして出す場合にはかなり手を入れて、読者の想定を広げて書かなくてはいけないという注意です。この辺りは、そもそも書き方が違ってくるので意識した方が良いと思います。多くの若い方々は、自分の学術論文、Ph.D論文を出版するということが、まず目標になると思うので、そのままではなかなか出版できないし、たとえ出しても広く読んでもらえないということがあるのは、日本語で書く場合も英語で書く場合も同じでしょう。私は今でも、書いているものもレクチャーや学会発表も日本語と英語半々で、どちらでもやっていますが、どちらも大事だと思っています。つまり英語だけで研究をするつもりもないし、日本語だけでやるつもりもありません。それぞれオーディエンスも違うし、議論の場も違いますので、場合によっては同じことを日本語と英語で議論することもあります。私はイギリスで勉強したとはいえ、やはり日本語のネイティブなので、哲学をする場合に日本語できちんと考えるということが重要なのです。ただ、それをさらに英語で書くことによって、もう一回自分の考えをきちんと表現したり、外国の人と議論することはとても役に立ちます。それらは両立そして相補的と考えているので、両方ともバランスをとって進めていくことが大事だと思います。半々と申しましたが、本当に半々かは分かりません。国際的な場では、逆に英語で学会発表をすることが最近多いので、日本語よりも英語の方が多くなっていますけれども、それはその時のバランスですね。日本で英語発信をする機会も少しずつ増えてきており、私自身が立ち上げて編集をしていた日本哲学会のTetsugakuというオンラインジャーナルもありますが、そんな研究発表の場もあるので、そういうところでまず英語で書くという練習をしてもらうのも良いかなと思っています。

英語で本を出す難しさという点について、このあとは少し最近の話になります。私、今日の話をする前に数えたら、この本以外に、この本の出版後に、英語の論文を40数本書いています。ジャーナルにも書いているし、ラウトリッジやケンブリッジなどのCompanionにチャプターを執筆する機会もいくつかあって、それからFestschriftsで依頼で執筆することも何回もありました。あちこちで論文を書いて出して頂いているのですが、一冊の本を書くことと論文を書くということは大きく違うという印象です。そこで、私は、なかなか一冊の本を書く時間と力がまだ足りないと感じています。私のケンブリッジ時代の仲間は、今はプリンストンとかオックスフォードとかで教えていますが、5年か10年に1冊ずつは本を出していますので、私は非常に遅れているというか、彼らと比べて英語の本が少ないので、頑張らなくてはならないと思っています。編著としては、Dialogues on Plato's Politeiaというタイトルで、日本で開催した国際プラトン学会大会の論文集を私とLuc Brissonというフランスの先生とで編集してドイツで出していますが、これは編著なので研究業績とは少し性格が異なりますね。今言ったように、単独の論文は学会発表など色々なところで出すことが出来るのですが、1冊の本にまとめるということはなかなか難しい。それが今私自身にとって大きな課題です。なるべく早い時期に次の本を出したいと思っていますが、それはまた少し考えてからやらなければならないと思っています。ちなみに、日本でもそうですが、仲間で集まって出す論文集のような形態もあります。ですが、私の感覚では、海外で日本人の研究者グループで本を出すというのは非常に難しい。名前を出せば、オランダのライデンのBrillという出版社が、私の分野ではそういった論文集をよく出してくれますが、どのように出版するかというと、論文集になる原稿を提出した上で、匿名査読でその中の論文が落とされてしまうんです。それは結構きつくて、皆で一緒に論文集を書いても一部が審査で落とされるとすると出版が難しく感じられます。出版側も当然採算の問題もありますので、色々考えています。最近、特にCompanionsとかGuidebookとかいうのが結構流行っていて、私もそういうところに頼まれて書く機会が多く、それはそれで良いのですが、やはり自分の研究は、それとは異なる形で進める必要があります。

最後に、今後の出版を一緒に考えるということで、ご質問を受ける前に、日本から発信する意義とかアピールということについて、私の考えをもう少しお話しします。これは私たち自身の研究をさらに高めるという意味で、英語で書くことは、私は絶対必要だと思っています。私自身も試みていますが、「日本から」という特徴をどうやって打ち出すかは難しい点です。日本のことを書けば、当然海外の読者は読んでくれます。Japanese PoliticsとかHistory of Japanese ...とか、そういうテーマは外国の方々は大いに知りたいのですぐ本を出してくれるはずですが、私のように、Plato's philosophyとかを扱っていると、何故日本人がわざわざ出すんだということになるのです。その場合に、私は必ずしも日本だからという点は強調しませんが、やはり、イギリスでプラトンを議論する、あるいはフランスで議論する、あるいは中南米で議論するというのとは違って、アジアのバックグラウンドの中で、私がプラトンやギリシャ哲学について議論するということがどんな意味があるかということは考えています。だからそこは、あまり強くは出しませんけれども、その側面はむしろ私たちのメリットになるのではないかと思います。むしろ、読んでくださった方がそういう風に感じてくださると面白いなと思っています。ですから、どの国の人が本を出しても同じだし、日本もそうだとは思いますが、日本からわざわざ出すということの意味もあるし、その時に「日本」という単語を必ずしも入れなくても良いのかなと思います。人文社会系の場合、日本でもそうですが、論文をジャーナルで出すことは多くても、最終的には単著をいくつかまとめるということが王道だと思っていて、これは英語の場合も同じだと私は考えています。ですから、数十ページの小さな論文ではなくて、ひとつのまとまった200~300ページという規模の本を出すことを考えていくべきです。そんなにたくさんは出せませんが、10年、20年に1冊ぐらいずつ単著を出していくことを是非考えて研究を進めていけたらと思います。それと同時に、日本語でももちろん高い水準の議論が必要ですが、英語で出す場合には期待されるのは最高水準のもの、世界的な水準がスタンダードになりますので、それにチャレンジしていくということが必要になります。私は日本語では新書なども書いていますが、それは一般向けに書くということで、日本独自の良い文化ではありますが、そんな場合は必ずしも最先端の成果を全部入れなくても構わないわけです。けれども、英語で我々が出す場合は専門書になるはずなので、その場合は、欧米と同じ、ないしはそれ以上の水準を目指して出すということになります。

これから後は、私からの漠然としたアドバイスになります。ひとつには、それなりに長いスパンで計画を立てないといけません。来年出しますというのはちょっと難しいわけです。長期計画にすると、それはそれで出なくなってしまうので、中期計画ということです。3年から5年くらいという感じで本を書いていくのが良いと思います。きちんと計画を立てて少しずつ書いていくというようにしないと、なかなか本にはならないということです。出来れば、サバティカルを活用するというのも一案です。サバティカルは2つメリットがあって、1つはまとまった時間が必要だという点で、もう1つは、出来れば外国に行って、日本語ではなくて周りが英語の中で書くっていうことが必要ですので、私も今後、そのようにできたら良いと思っています。ただし、外国に住まなくても海外の学会などに頻繁に行って、レスポンスを見るというやり方もあります。これは、非常に重要です。日本人の仲間や先輩でも、英語で論文を書きましたと言っても、とくに日本語で書いたものを英語にした場合では、海外の人が読んでくれてもなかなか反応が得られないのです。どうしてかというと、ある種、ロジックとかレトリックのレベルで、英語ネイティヴの人たちが上手く一緒に議論してくれない。つまり、日本的な考え方、日本的な議論では、あまり良く分からない、あるいは一緒に議論出来ないということが非常に多いのです。これは、英語の上手い下手ではありません。英語は完璧でなくても、一緒に議論してくれる、そういうロジックとレトリックがあるのです。それを身につけるためには、海外の学会とか研究会とかで自分の書いたものを読んでもらい一緒に議論して、向こうの人たちはどう反応するかということを試していかなくてはなりません。私は、幸い、5年間ケンブリッジでそんな訓練を最初にやってしまったのですけども、そうでなくても、折々に学会などで海外に行くことで、同様の訓練は出来ると考えます。これはぜひ必要です。日本にいて、日本語で日本の環境の中で英語で色々と書いて出したとしても、実は通用しないということの一番大きな原因はそこにあると思うからです。ここは繰り返しますけれども、英語の上手い下手とか、そういう問題ではありません。その学術分野の中での議論の進め方、どういうトピックをどういう風にアピールするかということについての日本的な書き方と、英語的な書き方が全然違うという点の認識です。

最後に、サポート体制が必要です。今日のシンポジウムはまさにそういう趣旨なのだと思いますが。サポートは非常に大事だと思っているので、私も今後是非お世話になりたいところです。以前に本を出したときは、全部一人でやりました。その時は当然でしたが交渉も手探りで、仲間や先生に色々と聞きながら出版社に手紙を書いたりして、あるいは出版社のエディターの人に会って頂いたりと一人で全てこなしたわけですが、それは結構大変です。学生の時はそれでも良いのですが、大学に勤めているときに個人的に進めるのはなかなか難しいので、そこは東大の英文図書刊行事業というものを活用するというのが最善だと思います。私たち皆で、そういう形で、論文も本も是非どんどん発信していければと思っております。

以上、簡単ではありますが、私の話題提供とさせて頂きます。どうも有難うございました。