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アメリカ財政研究とワシントンDC:回顧と反省(渋谷博史教授最終報告)
渋谷博史(社会科学研究所)

日時:2015年3月10日 14時50分-16時30分
場所:センター会議室(赤門総合研究棟5F

報告要旨

 United States of Americaの首都ワシントンDCは連邦議会の議事堂を中心に据えて形成されている。White House(大統領府)は、議事堂から北西に延びるペンシルバニア通りと西16丁目通りが交わる地点に立っており、外交をつかさどる国務省の住所(2201 C Street NW Washington, DC)は、西22丁目通りと北C通り(議事堂から北に3つ目の通り)の交差する地点を指している。
 その議事堂の正面から西に3キロのところにリンカーン記念堂があり、南北戦争と奴隷解放宣言のリンカーン大統領の像が座しておられる。その中間点あたりの小高い地点にワシントン記念塔があり、その北側にホワイトハウスがみえる。アメリカ財政研究者の私にとって、記念塔の下に立って連邦議会とホワイトハウスを見渡すのが、至福の時であった。
 また、リンカーン記念堂の石階段の上部に腰掛けて、記念塔越しに連邦議会を眺めるのもなかなか良い。私のすぐ右側の石段には、「I have a dream」というキング牧師の言葉が刻まれている。リンカーン大統領の奴隷解放宣言は南北戦争の最中の1863年であったが、その百年後の1963年にキング牧師たちによる「March for Jobs and Freedom」が実施され、「I have a dream」で始まるキング牧師の有名な演説が、このリンカーン記念堂の石階段で行われた。
 その石階段から右前方に位置する朝鮮戦争の記念碑に、気になる言葉が刻まれている。「Freedom is not Free」である。財政学者の私は、「自由のための戦争」の戦時増税による負担のことかと思ったが、そうではなかった。アメリカ合衆国あるいはアメリカ国民にとって至上の価値である自由を守るためには、いかなる犠牲も払うという意味であった。
 キング牧師の演説の2年前の1961年に民主党リベラル派の旗手であったケネディ大統領が就任演説でアメリカ国民に対して、「国家が何かをしてくれるか」ではなく、自分たちが「国家に何ができるか」を考えましょうと述べた。そしてベトナム戦争が始まった。レーガン財政も、経済成長を課題とするものではなく、世界の自由のための軍事拡充と、国内の自由のための福祉削減と、市場経済における自由を回復するための減税であった。

 このようなアメリカ的な論理を念頭に置いて、現代アメリカの税制や軍事支出や福祉国家システムを勉強してきました。詳しい実証的な成果は、拙著『20世紀アメリカ財政史』(全3巻、東京大学出版会)を参照してください。
 社研セミナ―の当日は、ワシントンDCの地図を使って、実感的なアメリカ財政論を展開したいと考えております。例えばアメリカ大統領の予算書は、日本の政府原案とは異なって、連邦議会の審議を通して大幅に変更されることが通例であるが、それは、ホワイトハウスの西隣りのOMB(行政管理予算局)で作成され、ペンシルバニア通りを通って、連邦議会の予算委員会に届けられる。税制改革案は、ホワイトハウスの東隣りの財務省から下院歳入委員会と上院財政委員会に届けられる。
 連邦議会の審議の場には、ペンシルバニア通りの南側のフェデラル・トライアングル地区等にある官庁からお役人が呼ばれることもあれば、Kストリート界隈のさまざまな圧力団体(財界、金融界、労働界、州・地方政府関係の団体、AARP等の種々の政策課題のための団体)や、リベラル系あるいは保守系のシンクタンクからの論客が公聴会に出かけてくる。ホワイトハウスから西へ数ブロックの地域にはFRBやIMFやワールドバンクが点在し、さらにその数キロ先のポトマック川の向こう岸にはペンタゴン(国防総省)が睨みを利かし、その北側には「自由のための犠牲」となった戦没兵士のアーリントン墓地もあり、無言の圧力となっているように思える。
 独立革命も南北戦争も2度の世界大戦も朝鮮戦争もベトナム戦争もイラク戦争も、絶対主義や帝国主義や全体主義や社会主義や独裁主義に対する「自由のための戦い」であったのと同様に、税制改革や福祉改革や規制緩和も「自由のための戦い」の一環であった。場合によっては、世界の自由を守護するはずの連邦政府(中央政府)でさえも、コミュニティや州レベルの自由や自立を維持するための分権システムを脅かす存在として非難され、束縛されることもある。
 アメリカ財政は経済成長やJob創出を最終目的とするものではなく、人間社会の至上の価値を実現するための手段であるという論理構造になっていると思えるが、それも、「昭和の御爺さん」の幻覚であろうか。

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