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所長コラム

所長コラム 2024/11/14

「測ってみたいもの」と「測ってはいけないもの」
〜釜石でわかったこと〜

2024年の11月9日と10日、岩手県釜石市で「海と希望の学園祭in Kamaishi」が開催された。東京大学社会科学研究所が大気海洋研究所、生産技術研究所、先端科学技術研究センターと協力して、釜石市とともに行っているイベントも3年目を迎えた。文理を超えた4つの東大附置研の挑戦も、だいぶ釜石市民の皆さんに受け入れられたようだ。

各種のトークイベントや映画上映などで盛り上がる「海と希望の学園祭in Kamaishi」だが、今年は社研独自のブースにも力を入れた。「釜石で社研が学んだこと」と題して、希望学や危機対応学で長く釜石と関わってきた玄田有史さん、中村尚史さんと私の鼎談を映像化し、ショートバージョンとロングバージョンを上映した。

それに加えて行ったのが、「測ってみたいもの」と「測ってはいけないもの」の展示である(写真参照)。これは社研の全所的プロジェクト研究「社会科学のメソドロジー:事象と価値をどのように測るか」を構成するグループの一つである、「測ることの社会科学」班の研究からのスピンオフ企画である。

ある意味で、あらゆることが測られてしまう現代である。あらためて何を「測ってみたい」か、逆に「測ってはいけないか」かを、イベントに参加された釜石市民の皆さんに聞いてみた。それぞれポストイットに好きなことを書いてもらい、それを「測ってみたい」と「測ってはいけない」のコーナーに貼っていただくというシンプルなイベントが、結果としてはなかなか興味深いものとなった。

「海と希望の学園祭in Kamaishi」で集まった「測ってみたいもの」と「測ってはいけないもの」

「測ってみたいもの」には、「宇宙の広さ」、「この世に存在するすべての生命の数」、「世界にある木の数」から、「寿命」、「幸福度」、「一生の移動距離」、「地域の民主度」まで、なかなか多様で興味深い内容が書かれていた。小さなお子さんの意見で、「世界にあるかいだん(階段?)の数」などというのも微笑ましい。測るのが難しそうなものも目立つ。「私の存在価値」、「子どもの(精神的)成長」、「教育の成果」、「本音」など、知りたいような知りたくないような気もする。「大学の価値」などというのも考えてしまうところだ。「釜石を思う気持ち」や「湾口防波堤の効果」など、釜石らしい記述も目についた。

対するに、「測ってはいけないもの」は、やや答えるのが難しかったかもしれない。「夫との距離」や「体重」などはユーモア系だろう。「人のやる気」や「人の気持ち」もわかる気がする。測りすぎは禁物だ。「測ってみたいもの」と共通するものも多く、「幸せ」、「自分の寿命」、「学問の価値」などは測ってはいけないという意見もあった。「正しさ」や「正義」というコメントも多く、ここらあたりはぜひ、全所的プロジェクトからの応答が欲しいところだ。「人の悲しみ」というのも、震災で多くの犠牲者を出した釜石らしいコメントであり、印象に残った。

「善意」と「悪意」という回答も多かったが、それを「測ってみたいもの」とするか、あるいは「測ってはいけないもの」にするかは人によって違った。「善意」は測っていいが、「悪意」は測らない方がいいという意見が目立ったが、なかには逆で、「裁判などで「悪意」は測る必要があるが、むしろ人の「善意」は測らない方がいい」というコメントもあった。ちなみに、イベントに参加していた東大関係者からいただいたものである。

ブースに来て、長時間にわたって話し込んでいかれた市民の方も少なくなかった。やはりイベントは双方向的でなければならない。喜んでいただいたと思う。長時間にわたり丁寧に来訪者に対応し、貴重な意見を引き出してくれた社研のスタッフに感謝するばかりである。せっかくいただいた多くの意見を、今後の全所的プロジェクト研究のまとめに活かしていきたい

宇野重規

        
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