第5章 中林真幸「近世国家の危機対応―適応と管理、自然と制度」
(書評:高島正憲)

高島正憲
関西学院大学経済学部専任講師

 本論文は「危機対応」の具体的あり方とその実践を日本の歴史的経験にもとめ,検討したものである。前近代社会において列島の人びとが直面してきた危機とは,自然由来のものと人由来の危機の2つがあり,前者は不作や災害,それを起因とする疾病であり,後者は他の戦国大名,農村の水利権を争う他村,金融業者といった集団外部からの攻撃・干渉であった。こうした危機に対して,中世社会では個人による自力救済を基本としていたが,戦国期になると公的権力による対応がはじまり,徳川時代には国家(幕府・藩)による危機対応が制度化される。論文では,危機で喪失・損失をこうむる被支配者の権利を保護することは支配者の役割であり,支配者はそれを実行可能であると被支配者によって信任されていることが前提となっている,とある(なお,その制度的なメカニズムについては,本文中に引用された『岩波講座日本経済の歴史』の中世編・近世編に詳しいので,興味をもたれた方には一読をすすめる)。

 なぜ,中世以前の社会は危機に対して自力救済の世界だったのか。論文は,古代中世の支配者である荘園領主は,生産の現場(荘園)から隔離された京に居住していたため,不作や飢饉,疫病といった現場で起きていた危機に対応する経験を積まなかった点をあげている。この指摘は,中世の荘園文書のほとんどに,耕作地から収穫される生産の総量ではなく,領主の取り分である年貢の量しか記載されていない歴史的事実とも整合的である。このことから,生産地から遠く離れた京にいる領主にとってもっとも重要な情報は,自身の消費生活を満足させる年貢の確保であって,生産の現場にコミットし,危機に対応する意思は希薄であった可能性は十分あるだろう。となると,列島各地に多数の荘園を所有することで,ある種のリスク分散型のポートフォリオ的な運営をする規模の大きい荘園領主と,そうでなかった小規模な領主とでは,危機管理の意識・能力にどのように差があったのだろうか,興味はつきない。

 対称的に,生産と生活の現場の双方の当事者である戦国大名にとっては,危機対応の能力をもつことが支配者としての絶対必要条件となる。列島における在地支配の確立が危機対応を制度化する契機となったともいえ,それら大名を束ねた連邦制の形態をとった幕藩体制によって,わが国における危機対応の制度が確立されたのもうなずける。ただし,論文では,統治者が危機対応の知識をもつようになったのは戦国期としているが,実際には,在地に武士が進出し荘園を侵食してくるのは鎌倉期くらいからと考えられるので,そうした傾向はさらに数世紀前に芽生えたと理解してもよかったのではないだろうか。

 本論文が興味深いのは,分析主体は歴史的経験にもとめつつも,その主眼が,国家の危機対応のあり方をフィルターとして,国家が何をもって人びとに信任されるかという命題にかかっていることである。徳川時代における人権とは土地所有権であるという著者の主張についても,列島の大多数を占めた百姓にとっての生殺与奪の権利は,太閤検地以降に所有権を国家から付与された土地によって実体化したともいえるだろう。身分周縁の世界に生きない限りは,彼ら/彼女らは土地にはり付いて生産し,生きていたのだから,それは生存権としての意味合いをもっていたはずである。幕府や各藩が支配地の危機に対峙したときにおこなった対応はさまざまであるが,論文中で具体的に説明されているように,支配者が被支配者の土地所有権を維持するための機構制度を強化/削減するなりして維持したか(幕府),被支配者に委任したか(熊本藩)の差こそあれ,危機対応において統治者が被統治者の役に立つことこそが,統治を承認することとのトレードオフの関係にあることを明確にあらわしている。これを我われが生きている昨今の社会情勢に置きかえたとき,どのように解釈されるのか,そしてその解釈によって我われはどのように国家と向き合うのか,本論文は根源的な問いを突きつけている。

 最後に,古代からの経済成長の計測をおこなっている評者の個人的な関心に引きつけたコメントを加えておきたい。荘園農民の生産目的は貢納と自給が中心であったので,中世初頭の社会は生産意欲を刺激する経済インセンティヴに乏しい,きわめて不活発な経済社会であった。この状況が変わるのは市場が勃興する13-14世紀ごろからであるが,そこには従来の年貢と自給という目的に加えて,生産性の向上による余剰の利潤獲得という目的が加わり,生産量拡大・生産効率の向上といった行動,すなわち経済性を重視した行動をとるようになり,やがて16-17世紀に経済社会が成立し,市場経済の拡大へとつながった。そして,この市場の発展の時間の流れは,本論文でしめされた国家による危機対応能力の獲得過程とシンクロするものである。となれば,危機対応の能力とは経済成長の進展にともなう果実の管理と言い替えることも可能ではないだろうか。この評者の関心の妥当性も含めて,今後,著者と議論を重ねていければと思う。