第3章 齋藤哲志「リスクと危機の間―フランスにおける携帯電話基地局問題を素材として」
(書評:高村学人)
高村学人
立命館大学政策科学部教授
齋藤哲志の論文は、携帯電話中継基地局設置に対して電磁波による健康被害を理由に反対運動を行う住民達の訴訟や立法による対応の変遷を扱う。紛争では、様々な主張がなされるが、法システムの特質は、ある基準から紛争を加工し、議論の土俵を作り、最終的に審判を行うことで紛争を解決する点にある。本論文が意図するのも、フランス法を素材として「危機」を分類する基準、分類毎の問題処理のあり方を提示することにある。
当初は、基地局設置をめぐる訴訟は、行政による設置許可という側面が法的に掴みだされ、行政裁判所が管轄すべき事案とされた。行政裁判所は、電磁波による健康被害は、科学的に否定できるものでないが、原告の主張は、その不安や恐れに留まるとし、設置許可の取消を不要とした。また携帯電話は、全エリアで受信可能となるべきサービスであるから、許可の判断基準が市町村により異なってはならないともした。
これにより訴訟の押さえ込みを図ったが、電磁波過敏症の診断を得た原告達は、人の命や健康への被害を防ぐことを任務とする司法裁判所にて審判を仰ぐことに成功し、損害賠償のみならず、電磁波の遮断命令を勝ち取る。これを危機とした政府は、環境法の領域で既に実施されていた円卓会議方式を採用し、基地局設置前に充実した事前協議を行うことを市町村に義務づける法律を制定し、リスクコミュニケーションを促進させる形とした。
判決文と幅広い文献の検討から以上の法過程を描きだす齋藤は、電磁波リスクに対しては、1)その不安や恐れを主張する者と、2)自らの健康被害を主張する者という二分類が可能であり、法システムは、この分類に応じて紛争を上手く仕分け、解決を図ったとする。
本論文の長所は、法システム全体を視野広く捉え、分類を掴みだす点にある。また法律学の論文としては厳しい字数制約下でフランスに特有の諸制度がわかりやすく説明されており、本論文からフランスの法システムそのものの理解を得ることもできる。フランス法プロパーの著者ならではの論文である。
他方で次の諸点につきもっと知りたいと思った。第一に著者は、不安や恐れに留まる主張と自らに害悪が生じたとする主張を分類できるとしているが、裁判官は、それを実際、どのように行っているのか。電磁波過敏症が認定された場合、その主張は、単なる不安ではないと扱われるとのことだが、この認定の正しさを司法はどのように審査するのか。第二に反対運動を行う者は、単に不安を訴えているだけとのラベルには抗するであろう。著者は、一歩退いた視点から反対運動を扱う社会学文献に依拠して論を進めるが、実際の紛争過程や当事者の内的視点は、もっと複雑で込み入ったものでなかろうか。第三に紛争を仕分け、各機関が分権的に対処する仕組みの成立を合理的に著者は描くが、この仕組みは、本当にその後の紛争に上手く対応できているのだろうか。
これらの点をさほど問わない本論文は、近年のリスク社会学や科学技術社会論と比較して科学への信頼が高いように思えた。逆にこれらの点がより明らかになれば、「よくわからないものに対して、わからないなりにどう対応するか」を考える危機対応学への法学ならではの寄与がより大きなものとなると思われた。