総説 飯田高「危機対応がなぜ社会科学の問題となるのか」
(書評:藤田政博)
藤田政博
関西大学社会学部心理学専攻教授
今回、書評のお話をいただいた際に、しばらく迷いがあった。というのは、私は危機をテーマとして研究を手掛けたことがなく、真っ当な書評が書けるか心配だったからである。
しかし、飯田論文を読んでみて、その内容に社会心理学的観点が多く含まれており、その観点からならば、普段学生に社会心理学を教えている自分にも何か言えるかもしれないと感じ、お引き受けした次第である。以下は、門外漢の呟きとしてご笑覧いただければ幸いである。
まず、飯田論文全体を通覧して感じたのは、危機という観点からこれまでの研究に光を当てると全く違った様相が浮かび上がってくる様子が興味深い、ということであった。
社会心理学やそれに近い分野の危機対応の研究というと、飯田論文も言及する環境社会心理学的アプローチ、認知心理学的アプローチ(正常性バイアスなど)、そしてリスクコミュニケーションの観点からのアプローチなどがある。
しかし、それだけではなかった。飯田論文では集団に関する研究に言及がある。私は社会心理学の大学院での研究修行を集団研究から始めたこともあり、私にとって馴染み深い。そして、集団研究の代表的な知見も、危機対応という場面に置き直してみると、全く新しい可能性が見えてくることを感じた。
これらの集団の研究は、従来は民族対立や差別問題が生ずるのはなぜか、そしてそういった問題への処方箋にはどのようなものがあるかという文脈で行われたきた。
その成果を、危機の際の人間の他者認知――危機場面で危機に直面する人たちを分断する可能性という形で再提示することで、危機およびそれに直面する私たちの社会の構造について、本論文は一段深い理解をもたらしてくれた。
人は、自分と周囲の人間が異なる集団に属する者として区別された時、自分の属する集団の方が良いと考え、同時に自集団の成員を優遇し始める (Tajfel & Turner, 1986)。集団に分ける基準は、全く無意味でも、その場でとってつけたようなものでも良い。そんな集団でも自集団の方を優遇することで、自分は価値のある集団に所属しており、価値のある集団に所属している自分には価値があると思いたがるのが人の性である。
このことからすると、危機事態においてなんらかの理由で自集団と外集団に分けられたと認知する人が出れば、外集団を下に見るであろうし、その結果、危機対応をする人同士が引き裂かれるだろうことも容易に想像がつく。そして、それが社会全体として危機への対応の困難を増すならば、実に由々しき事態である。
私の馴染んだ集団に関する知見が、危機対応に関してこのような応用可能性があることを知って目が開かれる思いがした。
集団が対立した場合の対処法の一つとして「上位目標の導入」がある (Sherif et al., 1988)。国内が分裂の危機にある時に他国を国内勢力共通の敵とすることは繰り返し行われてきた。そして、国内をまとめるのに効果のある手段であることは、歴史が示している通りである。ただ、敵を作るという形での上位目標の導入は、国内での争いを棚上げする代わりに、国外との争いを生むことになる。
今回、飯田論文に接して、これまでの危機対応用と考えていた心理学の知見以外の方向からの危機へのアプローチがありうることが理解できた。
いわば、危機という山頂に向かって社会心理学というベースキャンプから出発するのに、これまでの登り方以外にも登り方がありうること、そしてそれを具体的にどうしたらよいのかのヒントが得られたと思う。
そして、社会心理学の危機に関する研究が以前よりも身近に感じるとともに、その内容について内在的な理解をもたらしてくれたように思う。
さらに、余分な感想を加えるとすると、飯田論文が提示した理論枠組みを実験や他のデータで検証していく研究がこの論文の後半以降で続いていれば、よりスリリングで面白かった気がした。
危機という、社会にとって抜き差しならない事態を扱うのに、「おもしろい」というのもやや不謹慎な気もするが。しかし、こういった「そそられる」気持ちが研究をドライブする力の一つになることは、きっと著者も同意してくれるのではないか、と勝手に想像している。
文献
Sherif, M., Harvey, O. J., White, B. J., Hood, W. R., & Sherif, C. W. (1988). The robbers cave experiment: Intergroup conflict and cooperation. Harper & Row.
Tajfel, H., & Turner, J. C. (1986). The social identity theory of intergroup behavior. In S. Worchel & W. G. Austin (Eds.), The psychology of intergroup relations (pp. 7-24). Nelson-Hall.