第7章 佐々木彈「政策変数としての稀少確率評価―消極的予報による中庸化政策」
(書評:加藤晋)

加藤晋
東京大学社会科学研究所

 この論考では、政府がどのように情報を社会に提供すべきかということが論じられている。災害情報をどのように流すかというのは、政策担当者が日々直面している重要な問題である。この問題に対しては、人びとをパニックにさせないためにあまり極端なことをアナウンスしないほうがよいという意見もあれば、人びとに危機感を与えて準備させるために少し大げさにアナウンスしたほうがよいというような意見もある。著者は経済学の基本に忠実に従いながら、この問題に答えようとしている。

 政府は危機的状況Xが起こるかどうかについてのなんらかの情報を持つものとしよう。人びとはこの情報がない場合にはXが起きる確率を1%だと思っているものの、情報を得ることによって0.01%の確率でしか起きないことを理解できるものとしよう。人びとがいったん小さな確率でしか起きないことを知ってしまうと、Xへの備えが不十分になってしまうかもしれない。それならむしろ政府は自身が持つ情報を知らせないほうが良いのではないだろうか。

 著者はこのような政府の情報政策を「消極的」予報政策と呼んでいる。なんらかの誤った情報を用いて、政府が人びとを操作するのではなく、あえて正確な情報を知らせないという点で消極的なのである。この論考では、人びとが合理的であるとしてもこのような消極的予防政策が有効である可能性を論じている。さまざまな事例が挙げられているが、ハイライトの一つは自然独占を用いた議論だろう。危機的状況が起きる確率が0.01%しかないことを知ってしまえば、災害対策への需要が大きく減ってしまう。そうすると、その災害対策を供給する企業は、参入するための固定費用まで考慮に入れれば市場に参入するインセンティブがなくなるかもしれない。それならば、この情報を知らせずに需要を高く保つことによって参入できる状態を維持したほうがよいかもしれないのである。著者は、このような消極的予防政策の有効性を、個人の経済合理的思考と危機というイベントの希少性に注意を払いながら丁寧に議論している。

 消極的予報政策という考え方は通常の経済理論からすると不思議にも思える。それというのも、ある主体に何か新しい情報が入ってくるということは、その主体の持つ情報が増えることを意味する。利用可能なものが増えることは悪いことではないということが標準的経済学の直観が教えるところである。ところが、予報政策ではより正確な情報を知ることが社会的非効率性を深刻化させてしまう。

 ところで、この論考で論じられているところの消極的予報政策は広く近年の経済学で論じられてきたものである。最もよく知られた貢献は、ステッペン・モリスとヒュン・ソン・シンによるものである[Morris and Shin, 2002]。彼らの議論はジョン・メイナード・ケインズの「美人投票」を出発点としている。100人の女性のなかから美人を決めるものとしてみよう。その決め方が投票によるもので、見事当てた人は賞金をもらえる。ある投票者が賞金を獲得するためにすべきことは、誰が美人か考えることではない。他の投票者が誰を美人と考え、投票するかを予想することである。しかし、他の投票者も同じように、自分以外の他の投票者の予想に想像をめぐらしているのである。予想の予想、そして、それのさらなる予想が投票者間で行われるのである。この無限の予想のプロセスが実はさまざまな経済現象の背後に隠れているのである。

 美人投票のポイントは、投票者が同じ人を美人だと言い当てたいと思っていることである。これは人びとが協調するインセンティブを持っていることを意味する。経済の背景的構造に、人びとの間での協調を促すようなものがあるとすれば、美人投票にあるような無限の予想のプロセスが生まれるのである。

 ところで、政府が予報として情報を流せば、それは人びと全員が知るところの公的なものとならざるを得ない。それがゆえに、こうした公的情報は人びとの協調を強く促すのである。政府の公的情報の精度がそもそも高くないのであれば、協調は人びとが自分たちで知り得た私的情報を有効活用することを阻害してしまうことになりかねない。それがゆえに、政府が情報を流すこと自体が害悪となる可能性がある。モリスとシンはこのように、美人投票の背後にある「協調」のインセンティブを用いて消極的予報政策の意義を明らかにした。

 この論考にある予報政策の議論には、「協調」のインセンティブなどは入っていない。誰もが知るような単純な経済学のモデルを少し変更するだけで、予報政策が有益であるための条件を限定することができる。無限の予想がなくとも、予報政策の効力がある場合があるということが、この論考によって明らかになった興味深いメッセージだろう。ケネス・アロー[Arrow at el, 2016, 163頁]によれば「情報獲得のというプロセスは通常理解されているより難しい」。さらに、アローは「その結果、経済の分析は標準的経済理論のすがたと大きく異なる」(同163頁)と述べている。この論考は、消極的予報政策の分析を通じて、標準的経済理論と異なる情報獲得分析のすがたを描こうとするものと言えるのではないだろうか。

[1] Arrow, K. J. (2016). On Ethics and Economics: Conversations with Kenneth J. Arrow. New York: Routledge. Edited by Kristen Renwick Monroe and Nicholas Monroe Lampros.

[2] Morris, S., and Shin, H. S. (2002). Social value of public information. American Economic Review, 92(5), 1521-1534.

謝辞:有益なコメントをいただいた平見健太さん(東京大学社会科学研究所学振PD)に感謝します。