第6章 田中亘「危機と資本―金融危機の予防策としての自己資本規制の意義と問題点の検討」
(書評:池尾和人)

池尾和人
立正大学経済学部教授

 本章は、金融危機への制度的対応を自己資本比率規制の強化に絞って検討したものである。その範囲では、まことに手堅い考察になっていると評価できる。自己資本比率規制に分析を限定しているのは、紙幅が限られている中で「制度的対応のすべてを検討することは不可能」だからである。それは全くその通りなので、以下の記述は無いものねだりの典型である。

 しかし、金融危機への対応は、防火対策(事前)的なものと初期消火対策(事後)的なものの二段構えからなるはずのものである。ここでいう防火対策は、個別的な銀行の破綻を防止することを意図した対応のことであり、初期消火対策は、個別的な銀行の破綻が生じても、それが波及してシステム全体の混乱につながらないように収拾するための対応のことである。

 防火対策と初期消火対策は関連しており、補完的なものである一方で、初期消火対策が手薄なものにならざるを得ないのであれば、防火対策に求められる役割は高まらざるを得ないというトレード・オフの面もある。少なくとも防火対策だけで完結的に考えられるものではない。すなわち、防火対策だけで金融危機の発生確率が決まるわけではない。

 現在において自己資本比率規制は、金融危機に対する防火対策(予防策)の中軸をなしている。そして、アドマティとヘルビッヒに代表される自己資本比率規制の大幅強化論は、防火対策だけで問題解決を図ろうとするバイヤスを持った議論となっている。これは、私見では、初期消火対策の面での重要な論点に関するアプリオリな判断が前提になっているからである。

 その重要な論点とは、銀行破綻の処理に公的資金を活用することの是非である。銀行危機の経験において、わが国は公的資金の導入を決めるまでに長い時間を要した。これに対して先般の金融危機に際して、米欧においては速やかに公的資金の投入が行われた。しかしその反面、わが国では危機的状況において公的資金を活用することに対する(消極的な)社会的承認が醸成されたとみられるのに対して、米欧では危機後に激しい国民的反発が生じ、政治的には二度と公的資金の使用は許されないという風潮となった。

 アドマティとヘルビッヒの議論は、こうした風潮を是とするものである。また、米欧の当局に主導された国際金融規制の見直し論議も、公的資金は活用してはならないという前提の下に進められ、その分だけ自己資本比率規制に多くを求めるものになったといえる。自己資本比率規制の重要性を否定するものではないが、それに過度に頼った制度的対応は本当に望ましいものなのか。金融危機のような「想定内の危機」の場合には、リスク分担装置としての政府(財政制度)を活用するのがむしろ当然ではないか。

 こうした論点がもっと問われてもよかったのではないか、というのが評者の率直な感想である。換言すると、考察対象を絞り込んだことで、本書のはしがきで述べられている第1の軸の「事前と事後」という視座が十分に生かされなくなってしまったのではないか、ということである。