遠東機械工業股份有限公司
1996年9月5日
概況・成立史
遠東機械は1949年に自転車部品(リム)の製造会社としてスタートした。創始者は台南職業大学を出ている。今創始者の長男が総経理をやっている。
1958年に機械工場を建設し自社用機械設備の製造を開始,機械の外販は30年前から,工作機械については20年以上製造している。龍門鉋xi床や旋BiZuan床からスタートした。今はCNC旋盤,boring machineが中心。日本の野村と技術提携やOEMをやっている。NC旋盤は15年ぐらい前から,Boring machineは25年前から作っている。
創業者の資金は主として自分のうちの資産を使って。特に奥さんが西螺の名家の娘でカネがあった。パートナーは特にいない。
輸出比率は50%以上。工作機械の場合は60%以上が輸出。輸出先はアメリカが中心。89年頃は欧州が3分の1,アメリカ3分の1,台湾3分の1,最近インド,マレーシア,タイ,中国が増えてきた。アジアが40%になった。大陸へはアメリカ経由で輸出されるものもあるので中国への正確な輸出比率はわからない。工作機械の輸出が始まったのは1989年ぐらいからである。
鋳造部門では月250トンの生産,うち150トンは自家用で残りは外への販売。
工作機械を昨年400台作ったが,これは多いとはいえない。その前の年よりも30~40%伸びたが,ここ3~4年の状況はよくない。当社の製品は台湾では高級だが,世界では中級である。
営業額(昨年27億元)のうち工作機械は7億元(20%)。全社従業員960人余りのうち250人が工作機械製造に従事している。売上げが最も多いのは鋼管部門。
労働・賃金
従業員は92年のピーク時には1100人いたが,その後減った。専科以上が32%,高卒が38%,残りは高校以下。平均勤続年数は10年で,半分以上が15年以上勤続者。1989~90年ぐらいまでは工作機械という技術に興味を持って入社してくる人もいたが,今は人材不足。60人の外国人労働者を使っている。工作機械部門では15人の外国人労働者がいる。フィリピン人でみな専科以上の学歴をもつ。
機械設計部門には35人おり,そこで工作機械の設計も行っている。
鋳造部門には勤続30年の人もいるが,機械加工は若い人もやっている。
企業の内部構造。(別図)
股長になるには学歴の制限はないが,学歴がよければ入社5年ぐらいで股長になれる。
組長には入社10年足らずでなれる。日本では早いと思うかも知れないが,台湾では遅いほうだ。若い高学歴者が年長者を追い越すこともある。組長,股長になるまでにいくつかの持ち場を経験させるが,そんなにいくつもやらせるほど持ち場の種類があるわけではない。また管理職になる際にはTQMの知識や外国語能力なども求める。
労働者の訓練:我が社では作業説明書をしっかり作っている。また労働者が欲しい部門は人事課に対して新人の補導人,訓練計画を策定して人事課に出さなくてはならない。訓練の仕方は,仕事の種類によるが主としてOJTである。
また設計部門の技術者も,最初は各製造部門を6カ月間回って訓練を受けなければならない。専科の人は機械の基本的操作方法は習ってくる。一部の仕事では入社してから技術を学ぶ人もいる。
工研院との関係あ多い。今後もさらに増える。
賃金:出来高制賃金はない。特殊な手当がある。古い企業なので,いろいろな問題はある。台湾経済が発展した結果,新しく入社する人に対しては高い賃金を適用しなければならなくなって,古くから長期勤続の人と余り賃金が違わないということにもなってしまう。ふつうなら毎年賃金のベースアップを行うが,景気が悪いとできない。今年は賃金を上げられない。どれだけベースアップするかは全企業レベルで決める。企業のなかでも鋼管部門は儲かって,工作機械はそうでもないが,賃金上は余り差がない。
部の間での人事異動はある。経理,技術者は動かす。工作機械部門への配属は人材育成という意味もある。股長,組長になっても余り賃金は上がらない。賃金には等級制度はなく,職務給がつくだけである。
賃金の構造:
全薪=基本賃金+手当(20%ぐらい)
手当は職務加貼と技術手当がある。後者は仕事の性質に応じて与えられる。
基本賃金は入社時の学歴,毎年の調整,昇級=在職年や業績の考課によって決まる,によって決まる。
奨励金=生産奨励金+年末奨励金
せいさんしょうれいきんは毎月全薪の5%ぐらいつく。各部門ごとに額が違う。年末奨励金は1.5カ月分ぐらいで,全社の業績,部門の業績,各個人の業績によって決まる。
退職金と残業代は労働基本法に基づく。月6日休み。
賃金ベースアップは経営側が決定するが,労働組合と相談はする。労働組合代表は労働者が自主的に決める。組合費は労働者の給料から出す。組合役員は専従ではない。
課長,部長,組長は組合に入れるが幹部にはなれない。
競争:台湾には工作機械企業が50社程度あり,当社は生産額は上位10社の内に入る。品質は1,2を争っていると思っている。
下請け 工作機械の製造コストの60%は部品・材料の購入費や加工委託費。下請け加工費は製造コストの15%。下請けは以前はとても少なかった。88~89年頃から増えた。ロットが小さいので下請けにだす必要がなかった。遠東工業のある嘉義は台中と違って周りに中小企業が少ないので下請けは出しにくい。ただ,本社と地縁関係が強いので,その点はメリットである。Millingやメッキは下請けに出している。下請け企業は110社で,かなり固定的な関係を維持している。
下請け企業は嘉義県市に60%,台中県市に残りがある。どこの会社にどのような能力があるのかだいたいわかっているので,当方から取引を持ちかける。下請け側から取引を持ちかけるケースもある。下請け企業は5~6人の小企業(小部品や研磨をやっている)から数100人の大企業まである。もともと当社の従業員でスピンアウトして作った企業も10社ほど下請けになっている。熱処理は企業内でもやっているし,外でもやっている。嘉義で下請けを展開するのは連絡が便利なこともあるし,地縁関係もある。
嘉義の下請け企業が台中から仕事を受けることもある。外注先への指導は品保中心,進料検験科,協管科などが行う。30から40人ぐらいが指導に従事している。
品質が悪く,指導しても改善の見込みがない下請け企業は切るが,毎年1から2社程度と少ない。1工程ないし1部品につき,1社に外注というのが基本である。生産量が少ないから。なるべく下請け企業に固定的な仕事量を発注するようにしている。
購入する部品はNC Controller(FANUC),Linear weigh, Ball screw, ベアリング,Cab rimなどで多くは輸入するがBall Screwは100%台湾製を使っている。
下請けを増やしたのは下請け企業の技術レベルの向上があったから。教育レベルの向上,技術の普及がその背景にある。
輸出 我が社はかつて鋼管部門を支援するために機械を作り始めたので,機械の輸出を始めたのは遅い。アメリカでは日本企業との競争が激しい。森精機やオークマなど。当社は珠海に自動車部品を作る子会社を持っている。アメリカのブランチは70年代にできた。中国大陸には代理商がある。アメリカ経由の輸出もある。
かつて日本人顧問を呼んだこともある。
鋼管を始めた理由:自転車部品と鋼管は技術的にやや似ている。また当時台湾で鋼管をやっている会社がなく,巨大な市場が見込めた。機械は鋼管支援のために作り始めた。