溝口雄三『中国の衝撃』東京大学出版会 2004

 

 本書のタイトルである、「中国の衝撃」とは、日本人が明治以来持ち続けていた中国を後進性の代表と見なす態度や、日本は脱亜入欧を果たして中国に優越するという観念が、中国の経済的台頭によってもはや破れているのに、日本人の多くはそのことに気づいていないこと、を指すと著者はいう。

 「気づいていない」という割にはマスコミでもずいぶん中国が持ち上げられて「中国脅威論」まで出てきているではないか、とか、そもそも中国の経済的台頭はむしろ歓迎すべきことととらえている日本人(特に経済界)も多いのでは、といったことも言いたくなるが、いずれにせよ、著者は「中国の衝撃」には「序」で触れているだけで、余りそれを深めていないので、我々も深入りしないことにしよう。

 次いで著者は南京大虐殺の問題を取り上げる。「死者30万人」という中国側の主張する数字に対して、根拠が曖昧と批判することで、結局は虐殺の存在自体を否定してしまおうという議論がある一方で、被害の実態を実証的に検証しようという歴史家もいる。著者は前者はもちろん後者にも批判的である。「30万人」というのは実証的な数字と言うよりも、南京の人々がどれほど深く傷ついたかを表す「感情記憶」なのだから、正確に人数を数えようという試みも相手を傷つけることになるのだ、という。

 しかし、死者30万人という数字が「日本人全体に対するいらだちの度数だ」と言うことで、日本人の側も納得していいものだろうか。「どれぐらいひどいことをしたのか」「なぜひどいことをしたのか」を探求することが、日本人としての事件に対する贖罪を示すことなんだ、と逆に中国側に言って欲しいものだ。

 大躍進、文化大革命、6・4事件など、過去に起こった事件の死者・被害者数に関して、中国ではいろんな数字が飛び交っているが、誰も真剣に真相を解明しようとしているようには思えない。みな自分のイメージした事件像を裏付ける単なる飾りとして自分の好きな数字を信じているだけのようにも思える。広島の原爆や沖縄戦での死者数を確定しようとする上での日本人の情熱に比べるとずいぶん違いがある。この辺が日中間の行き違いの原因であるかもしれない。

 本書の大部分は、中国の近代史の見方に対する著者の考えを提示することに費やされている。すなわち、中国共産党から日本の歴史教科書までだいたいはアヘン戦争によって中国の近代史が始まると見ているが、著者は16,7世紀から中国の内発的な動きのなかから近代が生まれたと見るのである。アヘン戦争に始まる「西洋の衝撃」によってではなく、16,7世紀頃からの地方分権傾向、均分相続制、宗族における相互扶助などが太平天国の乱、清朝崩壊後の軍閥割拠、孫文思想、そして毛沢東のもとでの土地公有などにつながるという歴史の「縦帯」を著者は重視する。

 よって、著者は儒教倫理に基づく社会革命を唱え、階級の存在を主張するマルクス主義者に対して農村の階層流動性を指摘して階級などはない、と主張した梁漱溟にかなりシンパシーを持っている。儒教が革命によって克服されたかのように見えながら、革命後の社会に裏口から入ってきて、毛沢東の儒教的社会主義につながった、という見方に対して、著者は認識の点では一致しているものの、儒教的社会主義をむしろプラスに評価しているのである。

 ではそうした毛沢東時代を否定しているかのように見える改革開放以降の中国はどう評価するのだろうか。この点が本書全体を通じてよくわからないところである。非常に巨視的な著者の目からすれば改革開放というのはほとんど歴史の区切りにはならず、今でも儒教的社会主義が続いていると見ているらしい。

 中国史の縦帯で現代中国を理解するという著者の仮説自体は、清朝史に疎い私にとっては興味深かった。だが、そのことを主張する著者の筆致には残念ながら不信感を持った。仮説を立証するために、自らに有利な証拠も不利な証拠も並べながら客観的に検討するというのではなく、流麗な文体によってうまく言いくるめられている印象が強い。文章がうまいというのも考えものである。思想の断片をとびとびにつないで、そこに帯を通そうとしているかのようで、論証にはMissing linkが多く、最後はloose end、つまり今後の研究に期待する、で終わる。にも関わらず、この歴史観が繰り返し提示されるうちに、だんだん断定的な言い方になるのも不信感を抱く理由である。