書評 清川 雪彦 著 『アジアにおける近代的工業労働力の形成――経済発展と文化ならびに職務意識――』
●きよかわ・ゆきひこ 一橋大学経済研究所教授。アジア経済論専攻。
●岩波書店 2003年2月刊 A5判・500頁・9700円(税別)
丸川知雄
本書は1985年から98年にかけて著者がインドと中国で続けてきた工業従業者に対する職務意識調査の集大成である。著者が職務意識に着目する理由は、多くの発展途上国で観察される労働生産性の低さや労働規律の弛緩は、単に労働者に対する適切な刺激と監視を行えば克服できるという問題ではなく、労働者の職務意識やモティベーションの問題に起因するのではないかと考えているからである。著者はこう考えるがゆえに経済学の枠組みを飛び出していく。すなわち、人間を合理的経済人とみなし、労働を負の効用を持つものと捉える経済学の枠組みにとどまる限り、低い労働生産性の問題は適切な刺激と監視を与えれば解決可能なものということになってしまう。しかし、実際にはそれだけでは不十分であり、労働者が労働それ自体に意義や面白さを見いだし、強い労働意欲を持つことが生産性向上のために不可欠である。こうして「近代的工業労働力の形成」を分析する枠組みは、経済学よりも産業社会学や産業心理学に求められることになった。
著者はインドと中国で都合9回にわたり毎回200人前後を対象として職務調査を実施した。これらの調査では、職務に対する満足度、家庭生活と職場生活のいずれが重要か、技術革新に対する態度など、ほぼ共通した内容の質問が行われている。これらの調査のデータを分析する手法も本書の中で一貫しており、調査対象のサブグループの間における職務意識の相違を判別分析によって明らかにする方法をとっている。すなわち、インドの場合で言えば、女子と男子、ムスリムとヒンドゥー、中国の場合は、制度改革の進んだ企業の従業員と遅れた企業の従業員および合弁企業の従業員、管理職とホワイトカラーと労働者といったグループ間の職務意識が比較されている。
ここで読者は、なぜ近代的工業労働力の「形成」というダイナミックな過程を分析するのに、同時点におけるグループ間の比較が行われるのかと疑問を持つかもしれない。実際、本書では同じ調査対象を4年の間隔をおいて再調査し、その間の意識変化を見るという分析も行われているものの、それよりも同時点における比較の方が圧倒的に多いのである。評者の見るところ、本書は職務意識がより後進的だと思われているグループ(上記で言えば女子、ムスリム、改革の遅れた企業の従業員など)に焦点を当て、それらとより先進的なグループとの職務意識の差を検証することによって、後進的と思われているグループさえも実はかなり近代的工業労働力になりつつあることを主張している。
以上のような調査と分析によって本書はこれまでの通説とは異なった様々な事実を発見していく。まず、従来インドにおいては、農村出身の労働者が出身地の村との強い紐帯を持っているために、工場への定着度の低さなど労務管理上の様々な問題をもたらすと見られてきたが、本書第2章は、村との強い紐帯を残す出稼ぎ労働者が、実はかなり定着度が高いことを製糖工場での調査から見いだす。ただ、そうした定着度の高さは、労働の供給過剰状況のなかで一度獲得した仕事を手放したくないという労働者側の事情に基づくものであって、企業側が労働者の定着を促すような労務管理を行っているからではない。また、従来インドでは女子は質的に劣る労働力と見なされ、それゆえ女子の雇用も進んでいなかった。しかし、電子産業の工場での調査によれば、職務に対するコミットメント(企業への帰属感やそこで支配している価値観への共鳴)や便宜主義的態度(仕事を他で満足を得るための賃金稼得手段と見る態度)の面では、女子は男子と大差ない(第3章)。ただ、同じ工場で4年後に調査を行ってみると、むしろコミットメントが高かった労働者が離職しており、ここでも労務管理に問題があったことがわかる(第4章)。また、途上国では強い宗教が生産性にマイナスの影響を与えると見られてきたが、ムスリムとヒンドゥーの従業員を比較すると、より宗教の影響が強いと見られたムスリムといえども、コミットメントや便宜主義的態度においてヒンドゥーとの間に顕著な違いはないことがわかった(第5章)。
一方、中国における職務意識は、企業の所有制や男女の間では余り差がなく、むしろ企業改革の進展度の違う企業の間や、管理者と労働者の間で差が存在する。労働者のなかでも党員やホワイトカラーはむしろ管理者の職務意識に近く、コミットメントが高い。しかし一般には金銭的報酬への選好が強く、コミットメントは低いのが中国の従業員の特徴である(第6章、第8章、終章)。1990年代に離職やレイオフが増加し、商業ブームが発生するなかで、従業員の報酬に対する満足度は低下したが、市場志向性は高まった。また、離職者がどのような職務意識を持っていたのかを調べてみると、コミットメントの低い人々が離職している。つまり、インドの場合とは対照的に元々帰属感の薄かった従業員が自発的に離職したと見られる(第7章)。武漢市の機械産業のなかで給与遅配企業と一般の企業とを比べてもそれほど意識に差はなかったが、武漢市は全体として天津市に比べて意識が後進的である。つまり、労働条件よりも地域全体の社会環境が職務意識に影響を与えていることが示唆される(第8章)。中国とインドで職務意識を比べてみると、実はインドの方が集団主義的で、中国は個人主義的である。中国人は日本的経営の要素のうち技術革新や品質管理を重視する面は評価しているが集団主義的側面には冷淡である(第9章)。
この他にも本書には数多くの興味深い発見がちりばめられている。しかし、全体を通読しての印象は、「経済学から産業社会学・産業心理学への旅に出てそのまま帰らなかった」というものである。つまり、職務意識が生産性に影響を与えるがゆえに、経済発展の問題を考える上で職務意識を検討することは重要だとの問題提起から本書は始まるのであるが、結局、職務意識と生産性との関係は最後まで分析されずに終わってしまう。実は評者も、冒頭の問題提起に強い共感を覚えるのであるが、「インド・中国での労働意欲の向上が生産性上昇につながっている」といった実証まであれば、本書に対していっそう大きく拍手喝采したことだろう。
もう一点、本書全体に対して疑問に感じたことは、近代的工業労働力として望ましい職務意識は一種類なのか、という点である。つまり、本書ではコミットメントが高く、便宜主義的態度はとらず、企業は利益を追求する組織であるとの企業観を持ち、技術革新に積極的態度をとるような労働者をより近代的工業労働力にふさわしい意識を持った労働者と見ているが、必ずしもそうとばかりは言えないように思う。なぜなら工業化社会においては強い労働意欲をもって望むことでより高い生産性が得られるような仕事もあれば、比較的短時間で熟練がピークに達し、あとはひたすら単調な繰り返しに耐えねばならないような仕事もあり、後者の場合には便宜主義的態度をとる労働者の方がかえって適性があると思うからである。第3章ではインドの電子産業の女子労働力が高いコミットメントを有していることが示されているが、この工場での仕事に比べてコミットメントが不必要に高かったとは言えないだろうか。中国珠江デルタ地域の電子産業では工場に3年間以上定着する女子労働者は10%に満たないとも言われ、第3章で取り上げた2工場で、4年後に調査したら女子労働者の36~58%が残留していたのと比べて定着率はきわめて低い。しかし、いうまでもなくこの地域は電子産業の世界的生産基地として多数の外資を引きつけている。産業ないし仕事によってはコミットメントが低い労働者でも足りる、ないしそうした労働者の方がより望ましいということではないのだろうか。
つまり、工業化社会を構成する様々な仕事において望まれる職務意識のありようは一様ではないし、国民の職務意識も一様ではありえず、両者のマッチングが重要である。この点に関連していえば、確かに本書第9章が指摘するように日本的経営は中国人の平均的な職務意識からすると違和感が強く、日本的経営を中国に合わせて修正することは有効であるかもしれないが、他方で、日本的経営を余り修正せず、これに合った職務意識を持つ中国人を集めることで成果を上げうる可能性もないとは言えない。
以上、「無責任な読者」の立場に徹して書いてきたが、アジア研究の後輩として、本書が足かけ15年以上にわたって一貫したテーマをねばり強く追求し、先行研究を広範かつ緻密に検討し、厳格な分析手法をとっていることに対し、大変に敬服し、模範としなければならないと感じたことを最後に記しておきたい。
まるかわ・ともお 東京大学社会科学研究所助教授。中国経済専攻。