とっておきの今井さん話 1

 文集の原稿を書いた2009年3月頃はまだ余りにショックが大きくて、いろいろなことを書く余裕がありませんでしたが、文集が完成してみると、私が記憶にとどめている今井健一さんのいろいろな面白い話が書かれていないのは惜しいと感じるようになりました。そこでこれから思い出した順に書きつづっていきたいと思います。

1.「真ma蟻上樹」
 「ma蟻上樹」(アリの木登り)という料理は中華料理の定番としてよく出てきます。春雨と挽肉を醤油で煮たもので、家庭料理っぽい味でご飯がよく進みます。その変わった名前は、春雨を樹木に、挽肉をアリに見立てたものですが、今井さん曰く、彼は上海で「真ma蟻上樹」(本当のアリの木登り)を食べたことがあるとのこと。すなわち、挽肉の代わりにアリを春雨と一緒に煮込んだ料理なのだそうです。

2.ラサの思い出
 今井さんから観光旅行の話を聞くことは少なかったのですが、その彼が楽しそうに話していたのが、北京での2年間の海外派遣の最後に行ったチベット自治区のことです。平地では壮健な人達がラサでは高山病に悩むなか、平地ではさほど健康ではない今井さんは何ともなかったとか、空の色が格別であったとか。今井さんが旅行の土産に、チベット族の土産物屋で8元のものを8個買おうとしたところ、店員がおもむろに計算機を出して「8×8=」と計算したとのことで、これでは漢族にだまされてしまう、と心配になったそうです。

3.San Jose
 アジア経済研究所では研究所で公刊する本についてもレフェリー制度を設けていて、評価が低い報告書は公刊に至らないそうです。今井さんが主査を務めた今井健一・川上桃子編『東アジアのIT機器産業』(2006年)は無事公刊に至ったのですが、その審査の過程での出来事。今井さんが同書に寄稿している「中国地場系携帯電話端末デザインハウスの興隆」のなかで、中国の携帯電話設計業者の草分けとして在米中国人らによって1999年に米カリフォルニア州サンホセにセロンという会社が設立された、と書いたところ、匿名レフェリーから「サンホセは『サンノゼ』の誤りではないか?」とのコメントがついたとのことです。
 今井さんからこれを聞いて私は「くっだらなーい!」と呆れるのみでしたが、今にして思えば、「trivialなコメントにはtrivialな論拠で徹底反論すべきだ」と焚きつけていればよかったです。たしかに今どきの日本の地図帳にはシリコンバレーにあるSan Joseは「サンノゼ」と表示されています。しかし、シリコンバレーで有名になる以前、この小さな町がなんで知られていたかと言えば、それはBurt Bacharachの曲"Do You Know the Way to San Jose"でありました。で、この曲にどのような邦題がつけられていたかと言えば、「サンホセへの道」です。セルジオ・メンデス&ブラジル66などが歌うのを聞いてみると、彼らは「サン・ホゼー」と発音しており、「サンノゼ」というはアメリカでの呼称を表示するのにも余り適切な表記ではありません。元来この地名はスペイン語から来ているので、スペイン語の読み方「サンホセ」で不正解というのも変です。
 しかし、結局今井さんはレフェリーの意見に逆らわず「サンノゼ」に書き換えてしまいました。

4.「七人の侍」を見ない者は日本人ではありません
 朽木昭文さんを団長として中国のいろいろな省を巡る旅の途上、長時間の列車での移動が多くありました。暇なのでみんなでよもやま話をしていて映画の話になりました。今井さん曰く、日本映画の最高傑作は黒澤明の「七人の侍」であり、「これを見ない者は日本人ではありません!」とのこと。あいにく私はその時点でまだ見ていなかったので、日本帰国後、ビデオ屋さんで借りてきて見ました。

5.上海のゲイ事情
 今井さんがピカピカのホテルが苦手で、むしろ古ぼけたところが好きだったことは文集のなかでも触れられていますが、彼の上海でのお気に入りはワイタン近くのたしか福州路のあたりにあるS賓館でした。ここは夜に外から見上げると、ヌッと暗く、やや不気味にそびえ立っています。私達も付き合って泊まりましたが、たしかに大きな書店が近くて本を仕入れるのにはいいけれど、ちょっと浮き浮きするような感じはないなと思いました。ところで、今井さんが空港でタクシーに乗って「S賓館に行ってください」というと、運転手が「あの辺はゲイが集まるので有名だよ」という思わぬ情報を教えてくれました。そこで私達も含めてその一角を歩くと、たしかに暗がりのなかに2メートルおきぐらいに男が所在なげに座っていました。
             以上、2010年8月9日記す