黄河が「黄河」でなくなる日

丸川知雄(東京大学社会科学研究所)

 

 中国の西北部には、木一つない乾いた黄色い大地と深く切れ込んだ谷が特徴的な黄土高原が広がる。雨が降ると大地はぬかるんで浸食され、川に大量の黄色い土が流れ込む。やせた傾斜地での農業は生産性が低く、農民たちは貧困にあえぐ・・。だが、そんな黄土高原にも変化の兆しが現れてきた。傾斜地での農業は行われなくなり、山肌は整地され、そこに樹木の苗木が点々と植えられるようになった。山西省では2050年に森林被覆率を30%以上まで引き上げる大植林プロジェクトが日本などの援助によって進められている。これが成功すれば黄色い大地は緑の森林に生まれ変わるだろう。

 

 山西省から陜西省北部、甘粛省中・東部にかけて、木一つない乾いた黄色い台地と、そこへ深く切り込んだ谷で特徴づけられる黄土高原が広がっている。黄河文明を生んだこの地は、古代には森林が生い茂り、土壌も肥沃だった。だが、明・清の時代以来、人口の増加と開墾によって森林が失われた。森林がなくなると、大地の保水力が失われ、雨が降るともろい黄土が流出し、川を黄色く染める。農民たちはやせた傾斜地でトウモロコシや小麦を栽培しているが、生産性は低く、収入は少ない。

 長年の乱開発と森林破壊の結果、山西省の森林被覆率は新中国が成立する頃には3%以下にまで落ちていたという。新中国になってから国を挙げた緑化運動が繰り広げられるようになり、山西省でも省の面積の3倍にも相当する植林が行われた。だが、そのほとんどが失敗に帰した。最近(19992003年)の調査でも山西省の森林被覆率は13%でしかなく、全国平均(18%)を下回っている。

 植林が失敗した原因としては、干害や虫害、高温の影響などが指摘されている。だが、林業の専門家に言わせれば年間400600㎜という山西省の降水量は森林が育つのに不十分というわけではないし、黄土が不毛の土だということもない。むしろ、問題は植林面積の実績ばかりを追求して、植えた木の保全に注意しなかった過去の植林政策のまずさ、そして生活のために木を伐採し、農地を開墾し、家畜を放牧せざるを得ない農民の貧しさにあった。

 一見不毛の大地のように見える黄土高原でも、植林の技術を工夫し、植えた後の管理をしっかりやれば森林を育てることができることを証明したのが、199195年に山西省吉県で実施された日本政府による技術協力プロジェクトだった。北京林業大学との協力で、黄土流失を防止する技術を開発して普及する目的で行われたこの事業では、黄土の流失量を調べる測定装置などを設置したほか、1000ヘクタールの植林が行われた。植えられてから約15年を経た木々はいま大きく育って森林らしくなり、木の根元では落ち葉が分解されて森林土壌が形成されている。こうなれば、雨水が土の中に染みこみ、土壌流失が起きにくくなる。

 この援助プロジェクトの成功を通じて、黄土高原に適合した植林の方法が編み出された。すなわち、まず表土を掘って脇に置いておき、深いところにある有機物を含まない土を掘り出して畦を作り、しっかり固める。畦で囲まれたところに表土を戻し、深く耕す。夏の間はこの耕した土地にしっかり雨を染みこませておいて、秋以降に苗木を植える。畦で囲まれた土は植木鉢の土のように木の根を涵養する。

 基本的にはこれだけの工夫であるが、まじめにやっていれば森林が育つということがわかったことは山西省政府に大きな希望を与えた。その後、1990年代後半にドイツの無償援助による1万6000ヘクタールの植林が大同市などで行われたものの、実施5年後の樹木の生存率が47%という失敗に終わっただけに、日本の援助プロジェクトの成功が際だった。

 2002年からは日本政府の円借款により10万ヘクタールもの植林が行われた。これは山西省の現有森林面積の5%にも相当する規模である。プロジェクトは省内の30の県で実施されている。さらに、2003年からは吉県など4つの県で、荒れた傾斜地を対象に、日本の無償援助によって3700ヘクタールの植林が行われたほか、植林の普及担当者の訓練が実施されている。この訓練を通じて、1990年代前半に日本の援助事業で開発された植林の方法が、植林普及担当者6000人以上に伝えられ、山西省全域での植林活動に展開されている。

 これら日本援助プロジェクトでの成功を受けて、2006年から山西省政府が「6大造林緑化プロジェクト」と称して、道路の両側、農村、都市周辺と都市内部、炭鉱地帯などで植林を行う事業を始めた。この事業の資金は省内の炭鉱に課税することで捻出し、毎年3億5500万元を緑化に充てる計画である。

 こうしていま山西省では猛烈な勢いで植林が進められている。実際、道路を走っていると、黄土の山肌のそこかしこに魚の鱗のような白くて短い筋やバウムクーヘンのような白くて長い筋が見える。前者は斜面に石や土などで半円の形の植木鉢のようなものを作り、その中の土を耕して苗木を植えるというものである。また後者は日本政府の技術協力プロジェクトで確立された方法に基づいて作られた畦である。そこに生えている苗木はまだ小さいが、もしこれらの木が順調に育っていけば、20年後ぐらいには黄色い大地も緑に覆われることになろう。

 黄土高原を緑化する上での技術的問題は、日本の援助の成功によってすでにクリアされたと言えるのかもしれない。だが、緑化が着実に進むには過去に森林を消滅させた原因である経済問題にもメスを入れる必要があるだろう。つまり、傾斜地を農地に開墾したり、家畜に大地の草を食べさせなければ生きていけない農民たちにどうやって生計の道を与えていくかという問題である。一つは収益の上がる植林を行うこと、すなわちりんご、杏、梨などの果樹や、木材として出荷できる木を植えることである。山西省の円借款プロジェクトでは、植林面積のうち12%は木材となる「用材林」、24%は果樹などの「経済林」が作られた。こうした収益の見込める樹木は、農民が請け負った土地に、自らリスクを負って植えることになる。樹木が維持されるかどうかは、果樹や木材生産が事業として成り立つかどうかにかかっており、経営が成り立たなければ樹木が放棄されるリスクもある。少数の果樹などに集中しすぎると、将来供給過剰に陥る危険が高まる。

 一方、きつい傾斜地では収益性のある植林は難しいので、もっぱら土壌流失と環境改善を目的とした「防護林」を政府財政の負担で作ることになる。防護林の植林事業は農民に現金収入をもたらすが、それは一時的なものである。防護林作りのために耕作地や放牧をやめざるを得なかった農民が生計をどうやって立てていくのかが問題である。さらに、政府が新規の植林にばかり力を入れ、過去に植えた木の管理をおろそかにするという政府の行動の悪弊は、現在も十分には克服されていないようである。

 いつか黄土高原が森林で覆われ、黄土の流失が止まり、黄河が黄色い川でなくなる日が来るのだろうか。決して楽観は許されないものの、森林回復への力強い歩みが始まっている。