中国はFTAに何を狙うか?

                     丸川知雄

 二〇〇五年十一月、中国はチリとの自由貿易協定(FTA)に調印した。香港、マカオとの協定を別とすれば、二〇〇二年のASEANとの自由貿易協定合意以来二番目のFTAである。中国はこの他にもすでに二〇カ国近くとFTAの交渉に入っていると伝えられる。中国はFTAに何を狙っているのだろうか。

 

 オーストラリア、ニュージーランド、湾岸協力会議(GCC)の六カ国(サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン)、南部アフリカ関税同盟(SACU)の五カ国(南アフリカ共和国、ボツワナ、レソト、ナミビア、スワジランド)、インド、パキスタン、アイスランド。

 中国が現在FTAの交渉を進めているとされる相手国である。二〇二〇年までに「モノ、投資、サービス、技術の自由な流動を徐々に実現する」とした上海協力機構(ロシア、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)も、将来FTAになるものと見られる。一見したところ、中国がFTA交渉を行っている相手国の間に何の脈絡も見えてこない。いったい何が狙いなのだろうか。

 「隣国と良い関係を持ち、隣国をパートナーとする」という、最近の中国の外交方針が影を落としていることはみてとれる。中央アジアやロシア、ASEAN、インド、パキスタンとのFTA等はそうした善隣外交の方針から説明することも可能である。しかしそうした方針からは説明できない相手も多い。

 筆者はズバリ「中国企業の投資先」ではないかと見ている。中国が真っ先にFTAを締結したASEANは、香港以外では中国にとってもっとも大きな対外直接投資先である。二〇〇四年までの累計投資額は九億五五七〇万ドルに及び、第二位の対米投資よりも三億ドル近く多い。

 ASEANへの投資は製造業が多いようである。例えば家電メーカーの海爾がマレーシアやインドネシアに工場を持っているほか、テレビメーカーのTCLはベトナムとフィリピンで現地生産をしている。また、輸送機械では、自動車メーカーの吉利がマレーシアに工場進出することを決めているほか、重慶の民営オートバイメーカーの力帆がベトナムに進出している。

 ASEAN市場は、日本の家電や自動車メーカーが一九六〇年代から開拓しているのに加えて、最近は韓国企業の進出も目覚ましい。そうしたなかにさらに中国企業が割って入るのは容易ではない。だが、中国企業は他を圧倒する低価格によってASEAN市場を攻略し始めている。例えばベトナムでは一九九八年までオートバイの新車価格はみな米ドル換算で千ドル以上だったところに、いきなり四〇〇-五〇〇ドルの中国製オートバイがどっと流入し、一時は市場を席巻した。中国企業にとってASEAN各国に現地事情と中国語の両方に通じた華僑がいることは心強いポイントである。

 中国とは一見縁遠いかに見える南アフリカにも実は中国企業にとっては重要な進出先で、家電産業では上海広電、康佳、海信、厦華といったメーカーがテレビやエアコンの現地生産を行っている。

 インドには通信機器メーカーの華為が開発センターを設置しているほか、TCLや康佳が家電製品を生産している。またパキスタンには海爾が家電工場を持っている。

 ロシアでは自動車メーカーの奇瑞が、現地の自動車メーカーに自社ブランドの自動車の組立を委託して現地で販売するという事業を今年始めたほか、テレビメーカーの長虹、エアコンメーカーの春蘭が進出している。

 オーストラリアは、投資額ではASEAN、アメリカ、韓国、EUに次ぐ重要な投資先で、鉄鉱石や石炭など資源関連の投資が多い。

 チリにはFTA締結時点では中国から特に目立った投資はなかったが、締結直後に中国五鉱集団が銅鉱開発の合弁企業(投資額五億五〇〇〇万ドル)を設立することを発表した。

 また湾岸六カ国は中国にとっては意外に重要な貿易相手で、二〇〇四年の貿易額はロシアやインドなどよりも多い二四七億ドルを記録した。石油を輸入するのはもちろん、中国から衣服や電気製品など広範な輸出が行われている。中国からの輸出は湾岸の商業拠点であるアラブ首長国連邦に集中しており、直接投資も同国のドバイとシャルジャーに向けた商業関連の投資が多い。

 以上のように、中国のFTA戦略には中国企業の海外進出への道をならすという目的があるように見える。統計的にも中国からの直接投資の累計額が大きい国ほどFTA締結ないし交渉をする傾向が強いという分析結果が得られた。

 もっとも、貿易相手としてはもちろん、投資先としても重要なアメリカ、EUとのFTAを中国が目指しているという話は聞こえてこない。WTO加盟交渉の時にさんざん絞られたばかりなので、当面欧米とのFTAは避けたいという気持ちが働いているのだろう。一方、隣国でもあり投資先としても大きい日本、韓国は、中国からすれば真っ先にFTAを結びたい相手であるはずである。

 では、FTAを締結すると中国企業の海外進出にとってどういうメリットがあるのだろうか。筆者は二年前にTCLがベトナムに作ったテレビ工場を訪ねて、同社が中国・ASEANの自由貿易の早期実現を切実に願っていることを実感した。ベトナムは高い関税をかけて自国産業を保護する政策をとっていたが、成長著しく、人口も八〇〇〇万人を数えることから、日本や韓国のテレビメーカーが現地市場の開拓を狙って現地生産を行っている。TCLも九九年にテレビの現地生産を開始し、低価格を武器に徐々にシェアを拡大し、六-七位あたりを争っている。

 TCLのテレビが安い理由は中国製の安い部品を使っているところにある。だが、その優位性はベトナムがASEANの一員として対域内の貿易自由化を進めていくと掘り崩されてしまう。なぜなら、競争相手の日本メーカーはだいたいタイ、マレーシアに大きな生産拠点と部品調達先があり、対ASEAN域内の関税だけ下がると、そこから部品を輸入している日本メーカーが有利になるからだ。二〇〇四年の時点では、ベトナムにASEANから部品を輸入するときにかかる関税は五から一五%であったのに対して、中国からの輸入には一〇から三〇%だったのが、二〇〇六年にはASEANからの輸入関税が五%以下に下げられてしまう。テレビの完成品に対する関税も五%になってしまう。そうなると、中国から部品を輸入しているTCLは日本メーカーとの競争上かなり不利になる。そのため、中国からの輸入関税も対ASEAN並みに引き下げることが求められるのである。

 中国には市場開放に抵抗する農水族のようなものは存在しないので、今後FTAを急ピッチで展開していくだろう。それは日本の焦燥感を高めることになるかもしれない。しかし、日本も中国と同じく、貿易・投資の相手として、また隣国としてどこが重要かを考えたとき、FTAを真っ先に交渉すべき相手が誰なのかは自明ではないだろうか。