速評! 中国の「自動車産業発展政策」(20046月1日公布)

 

 2003年以来、もう出るもう出ると言われながらなかなか出なかった「自動車産業発展政策」がついに出た。この政策が作成されていることが自動車関係者に知られるようになったのは2003年6月頃。国家発展改革委員会が自動車メーカーにドラフトを送ってきて意見を求めてきたのである。日本の自動車メーカーの北京事務所にも送られてきたようで、私は某社の北京事務所が訳したと思われる日本語訳を知人から入手した。それを読んでの私の感想を日本自動車工業会の「JAMagazine」の本年6月号に寄稿した文章のなかで以下のように書いた。(但し、刊行が産業政策公布後になったので下記の文章は刊行されたものでは修正した。)

 「自動車産業発展政策」は、そのドラフトを見る限りかなり時代錯誤的であるし、外資系企業への制約を強めようとするものである。おそらく中国政府のなかにも市場化と外資導入を重視する立場からこの政策の公布に反対する意見もあるはずであり、それゆえに公布が遅れているのかもしれない。実はこの種の産業政策が流産した事例は過去にも数多い。うがった見方をすれば、国家発展改革委員会は政策が流産することは覚悟の上でそのドラフトをリークすることで外国自動車メーカーを牽制しようとしたのかもしれない。実際、「中国を世界の自動車生産大国にする」ことが政策の究極目的だが、産業政策の公布が遅れている間に(遅れたがゆえに?)、この目的は達成されてしまった感もあり、政策を公布する意義が小さくなったようにも思える。

 この文章にははっきりとは書いていないが、私は最近の研究会での報告や取材の際には「ひょっとするとこの政策はこのまま出ないんじゃないか」とも発言してきた。だが、予想外に早く政策は出てきて、私の憶測は外れた。また、出るとしてもかなりの修正が必要とされ、骨抜きになるのでは、とも思われたが、出てきた政策を見ると、予想以上に原型をとどめているという印象である。以下、主なポイントを指摘する。

 

1 公布の主体

 1994年の「自動車工業産業政策」は国家計画委員会名の文書ではあるが、国務院が「印発」し、国務院から各地方政府や省庁にこの通り実施するよう求めているのに対して、今回の「自動車産業発展政策」は「国務院の批准を得て」国家発展改革委員会令として出されている。本来、国家発展改革委員会は1994年の政策と同じようにこの政策も国務院から公布しようとしていたはずなので、国家発展改革委員会令として出たと言うことは、本来のもくろみが半ば挫折したということではないかと思われる。今回は国家発展改革委員会の管轄範囲以外の政策への影響力という点では前回に劣ると見られる。

 

2 1994年の「自動車工業産業政策」の執行停止

 「自動車産業発展政策」の前書きには1994年の「自動車工業産業政策」は即日執行停止されると書いてある。ここで私は意外に思ったのは、1994年の「自動車工業産業政策」が5月31日まで有効だったとは思わなかったからだ。「自動車工業産業政策」における乗用車と小型トラック生産の規模に関する制限(年産10万台以上でなければならない)は1999年頃からほとんど無視されているようだし、国産化率規制などはWTO加盟によって実施できなくなったはずである。「自動車工業産業政策」が有効であった頃に聞いた説明では、この政策は「90年代国家産業政策綱要」の一環という位置づけであったので、有効期間は90年代の間、というものであった。実際、99年頃を以て「自動車工業産業政策」の多くの項目が無効になったと見るのが妥当であろう。にも関わらず、今回わざわざ「執行停止」とうたっているのは、産業政策が法律のようにいったん施行されれば廃止されるまで有効であるとの位置づけを改めて与えることで、今回の政策がいつの間に省みられることがなくなるのを回避しようという狙いであろう。

 

3 政策の目標

 第2条では、「2010年までにわが国を世界の主要な自動車製造国とし、自動車製品が国内市場の大部分を需要を満たすとともにまとまった量が国際市場に入るようにする」ことを目標としている。だが、2001年以来の急成長により、中国はすでに世界の自動車生産大国の仲間入りをしたと言ってよく、政府のやるべきことは産業の拡大より別のところにあるように思われる。その点、元のドラフトにはなかった次の文章が、上記の文の前に挿入されたことは、政府のやるべきことが、供給増大をプッシュするよりも、自動車使用を巡る環境整備にあるということが認識されたことを示している。「自動車産業と関連産業、およびとし交通インフラと環境保護の協調的な発展を促進する。良好な自動車の使用環境を作り、健康な自動車消費市場を育成し、消費者の権利を守り、自動車の個人消費を推進する。」

 

4 政策の範囲

 第1条で、「政府の職能部門は行政法規と技術基準の強制により、自動車、農用輸送車(低速のトラックと三輪車)、オートバイ、部品生産企業およびその製品を管理し、自動車産業の領域における各種の経済主体の市場行為を秩序だったものとする」として、自動車政策の範囲が「農用車」にも及ぶことを明記している。そして第46条では、2006年1月1日までは農用車メーカーの新設は停止する、とある。農用車は自動車と代替性があるので、両者は一つの政策で管理されるべきではある。ただ、この条項は交通部や農業部の管轄に及ぶものであり、果たしてこれらの部門が素直に従うかどうかは楽観できない。

 

5 民族系メーカーの奨励

 第3条で、「自動車メーカーが研究開発能力と技術革新能力を向上させることを奨励し、自主的知的財産権を持つ製品を積極的に開発し、ブランド経営戦略を実施する。2010年には自動車メーカーは自動車、オートバイ、部品製品の若干の有名ブランドを形成する」と書かれている。自主的知的財産権については、政策の末尾で「企業が知的財産権を持っていること」という説明も付されているが、例えば中国にある外資系企業が中国向けに開発したモデルなどは含まれるのかどうか不明確である。文脈からすると、「サンタナ」や「アコード」等、外国自動車メーカーが開発した車ではなく、奇瑞の「チェリー」や一汽の「紅旗」など民族系ブランドを発展させよう、ということかもしれない。ただ、例えばエンジンなど主要ユニットが国産化されているばかりでなく、上海の開発センターで中国向けに改造的な開発を施した上海GMの「Sail」と、ブランドは民族系だが、部品は外資系メーカーから買い集め、エンジンまでもブラジルから輸入している「チェリー」のどちらがより「自主的」といえるのかは議論の余地がある。

 

6 発展の「規画」

 第5条では「国家は自動車産業発展政策に基づき、産業発展規画[1]の作成を指導する。発展規画は産業の中長期発展規画と大型自動車企業グループの発展規画を含む。産業の中長期発展規画は国家発展改革委員会が関連部門とともに、各方面の意見を聴取して制定し、国務院の認可を求めて施行する。大型自動車企業グループは産業の中長期規画に基づいて自らの発展規画を作る」としている。さらに第6条によればこの発展規画は国家発展改革委員会に上げて、FSを受けた後実施する、と書かれている。だが、例えば複数のグループが同じグレードの車種で生産能力を増強しようと計画していて、その総量が国内需要と輸出可能数量を大きく上回ると目されるとき、発展改革委員会はどちらかに計画を中止させる、ということまで意味しているのであろうか。もしそんなことをし始めれば、中国の自動車産業のここ数年の発展の勢いはそがれることになる。

 

7 業界集約化

 1994年の「自動車工業産業政策」の主たるテーマは企業グループの形成促進による業界集約化であり、それはほとんど成果がなかった。しかし、「自動車産業発展政策」にも業界集約化の推進がいろいろな条項で謳われている。ただ、何らかの優遇政策や数値目標が示されているわけではないので、これらの条項は無益だが無害ともいえる。前述の「JAMagazine」の原稿でも論じたが、中国企業間の合併等を通じた集約化は、中心となる企業の吸引力が弱いため、大手メーカーが倒産寸前の中小メーカーを救済的に合併する、という以外には余り進展しないだろう。むしろ外資導入を期待して、その外資と組んでいる中国企業の傘下に入るということはあり得る。なぜかと言えば、第48条で、「外国企業は、中国国内で同類(乗用車類、商用車類、オートバイ類)の完成車を生産する合弁企業を2社までしか持つことができない。もし中国側パートナーと連合して国内の他の自動車メーカーを合併する場合はこの制限を受けない」とある。外国企業が中国国内に3つめの拠点を持とうと思った時には、投資先の中国企業に、自分がすでに合弁を組んでいる相手の子会社になってもらうしかない。そういうことであれば、投資先企業も喜んで子会社になるだろう。トヨタが一汽と全面的提携をしようとしたとき、すでにトヨタと合弁していた天津汽車、四川旅行車が一汽の子会社になったのが典型例である。外資と組むために、あるいは現在の関係を維持するため、中国企業が他の中国企業の傘下に入ることを受け入れるということは今後もおきるだろう。結局、この場合、求心力の主体は外国側であって中国側ではない。

 

8 ブランドの明記

 第26条で「2005年からすべての国産自動車とユニット部品には生産企業の登録商標をつける。国内市場で販売する完成車については、ボディーの外部の目立つ位置に生産企業の商標と自社の名称あるいは商品の産地を表示する。もし商標のなかに生産企業の地理表示がある場合は、産地は書かなくても良い。すべてのブランド販売店はその販売・サービス拠点の目立つ場所に生産企業のサービス商標を表示しなければならない」とある。一見すると何のためにあるのかよくわからないこの条項は、おそらく合弁企業の中国側パートナーのバーゲニングパワーを強める意図があるのではないか。つまり、外国自動車メーカーとしては、中国の合弁企業も自社の一生産拠点として、例えばトヨタだったらカローラは中国合弁企業で作ったものを売り、プリウスは日本から輸出し、レクサスはアメリカから輸出する、といったように中国生産車と輸入車を組み合わせたフルライン政策を採りたいだろうと思う。ところが、この条項によれば、中国で作ったものは単に「トヨタ・カローラ」ではなく必ず「天津」ないし「天津トヨタ」をどこかに入れなければならないことになり、これは外国企業にとっては一つの足かせであろう。

 

9 政策の意義

 私の見るところ、この自動車産業発展政策のなかで実質的に意味がある部分は、「第10章 投資管理」と「第11章 輸入管理」だけである。投資と輸入については、従来から政府が管理をしているが、今回こうして政策文書として公表されることによって、政府がどいった基準で管理するか、ということが明確化された。例えば、投資管理については、政府に報告するだけでよいものと、認可を得なければならないものとが明らかにされ、認可が必要なものについては、最小規模が数字で示されている。また外資が同一車種で合弁2社以内という制限も従来からあったが、これが明文化されたことは意義がある。また、輸入管理については、どういった要件を満たせば完成車と見なすかということが書いてある。

 他方、業界集約化や自主開発の奨励などは、具体性のある政策は盛り込まれていないといってよく、ほとんど国家発展改革委員会の期待を述べるにとどまっている。

 

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[1] 「規画」という言葉は日本語になく、「計画」と訳す以外にないと思われるが、中国語の「計画」と「規画」は区別して使われており、前者は具体的な投資プロジェクトや資金計画などの裏付けがある計画、後者はむしろビジョンに近いもの、と私は考えている。ここでは原語をそのまま使う。