「深圳の秋葉原」で考える中国の脅威
丸川知雄
しばらく前から、中国が低賃金を武器とするだけでなく、技術力においても日本を激しく追い上げており、近い将来日本の脅威になるだろうとする見方が流行したが、中国企業の実態が知られるにつれ、脅威論はしぼんだ。だが、日本の産業にとらわれた視角からは、中国の産業がはらむ脅威の姿は見えてこない。
中国深圳市の中心部に「華強北」と呼ばれる電気屋街がある。電気屋街といえば、日本人も中国人も真っ先に「秋葉原」を連想するが、「華強北」はある面では秋葉原を凌駕している。すなわち、電子部品店の数と売られている部品の種類においては、華強北は秋葉原を遙かにしのぐ。ガード下の狭いところに部品店がひしめく秋葉原と違って、華強北には3~5フロアにわたって部品屋がぎっしり詰まった電子部品のデパートが少なくとも5カ所はある。
秋葉原との大きな違いは、ここがプロ向けの電子部品市場だということである。例えば、ここではチップ部品がリールに巻かれた状態で売られている。ハンダごてを握って趣味や実験のために電子機器を組み立てる人を対象にしている秋葉原にはまずこんなものは売っていない。チップ部品というのは1㎜角程度の砂粒のような部品であり、これを組み立てるには1台数千万円もするチップ・マウンターという機械が必要である。華強北はそうした機械を持っているか、あるいはそうした機械を借りるに足るだけの数の製品を作ろうとする企業も来るところなのである。
秋葉原とは異なる華強北のもう一つの特徴は、携帯電話部品に特化したビルがあることである。その中には携帯電話の部品店が数百店入っている。日本にはそうしたビルはおろか、携帯電話の部品を専門に売る店さえおそらく存在しないだろう。ところが華強北の携帯電話部品ビルでは、携帯電話で中心的な機能を果たすIC、画面となる液晶ディスプレイ、プリント基板、電池、ケース、さらには主要な携帯電話の設計図まで売られている。注文に応じて部品を組み立てます、という看板を掲げている店もある。ここで部品を買いそろえて、組立業者に委託すれば素人にも携帯電話が作れそうだ。
華強北で行われているような企業対企業(最近はやりの言い方で言えばB2B)の取引は、日本ではこんな秋葉原みたいな市場(いちば)では行われてはおらず、企業間で直接に、あるいは専門商社を介して行われる。日本では外からは見えにくいそうした企業間の商取引が中国では表に現れており、各地に巨大な市場を出現させている。浙江省義烏の雑貨市場、温州の革靴市場や弱電機器市場、紹興の織物市場、成都の衣類市場などが著名である。ただ、一般に、そうした市場が成立するのは軽工業品の場合が多い。商品の品質や機能などの情報が現物を手に取れば伝わるもの、またそうでなければ伝わりにくいもの、多品種だが少量しか売れないもの、そうしたものは市場(いちば)を介した流通がふさわしいように見受けられる。そこで取り引きされるのは概してローテク製品であり、特に農村や低所得層向けの製品が多い。
ところが、紛れもなくハイテク製品である携帯電話の部品が、中国では雑貨や衣類と同じように市場で取り引きされているのである。中国では携帯電話部品のようなハイテク製品でさえ、ローテク製品と同じように扱われてしまうこと、そこに中国の脅威の源がある。
少し説明が必要なようである。ひと頃流行した中国経済脅威論によれば、中国メーカーは急速に技術面でも日本企業にキャッチアップしており、いずれ日本のライバルになるという。だが、中国メーカーの事業や研究開発の内容をよく見ると、トップメーカーでさえも基幹部品や核心技術を日本など他国企業に依存しているケースがほとんどであり、韓国の三星電子や現代自動車のように核心技術の面でも日本を追いかけてきている中国メーカーは皆無と言ってよい。そう解説すると多くの日本人は「中国は大したことない」と安心してしまうが、中国の脅威は別のところにある。
中国メーカーは基幹部品を他から購入して製品を組み立てるというビジネスモデルを採るが、ある企業が成功すると、次から次へと同じことを始めるメーカーが登場する。携帯電話は中国政府が限られた企業にしか生産許可を出さないことで参入を規制してきたが、そうした規制をかいくぐって許可なしに携帯電話を作る「ヤミ携帯電話メーカー」が次から次へと登場し、年数千万台もの生産規模に達している。
深圳にはそうしたヤミ携帯電話のメッカで、ヤミメーカーが100社以上あると言われる。華強北の携帯電話部品市場は、実はヤミメーカーが部品を仕入れる場所なのである。
日本では、携帯電話は名だたる電機メーカーが1機種に数十億円もの開発費をかけて開発するものであるが、深圳のヤミメーカーは、中国で流行している機種の外観をそっくりコピーし、内部の回路は市場で手に入る一般的な部品を活用して手早く作ってしまう。それでも携帯電話として機能するし、カメラや音楽・ビデオプレーヤー機能も内蔵してたった1万3000円なのである。(日本の携帯電話より高いと思う読者がいるかもしれないが、日本では通信業者が販売奨励金を出しているために表向きの値段は安いのであって、どんなに簡単な携帯電話でも本当の価格は3万円以上である。)
ヤミ携帯電話メーカーは、政府が規制しているから「ヤミ」とされているだけで、超過利潤があれば企業が参入するという市場経済の至極健全な姿を体現しているだけという見方もできる。部品が何でも手に入る華強北の市場があればこそ、活発な新規参入が可能になった。しかし、正規メーカーだけで約50社あるところに加えて、ヤミメーカーも100社以上参入した結果、日本では極度に差別化された高価な製品である携帯電話は、中国では中味は似たり寄ったりで、あとは価格が勝負という一般的な製品に変わってしまった。中国ではテレビやオートバイといった製品も過去に同じような経過をたどっており、ハイテク製品の携帯電話も例外ではなかった。
ただ、そのことは消費者にとっては不幸なことではない。製品が安くなることで消費者がメリットを受けるのはもちろんのこと、品質や機能においても、試しに深圳でヤミ携帯電話を入手して使ってみたが、並のユーザーの目からみれば、日本の携帯電話より優っている側面もある。少なくとも4倍の価格差を納得させるほど日本の携帯電話の方が優れているとは思えない。
華強北市場とその周辺のヤミメーカーたちは、日本では研究開発能力を持つ限られた企業しか手を出せないハイテク製品だと思われている携帯電話を、誰でも作れるローテク製品に変えてしまい、企業のブランドによって差別化されていた製品をブランドが無関係な一般製品に変えてしまった。だが、消費者が一般製品と化した携帯電話を「それほど悪くないじゃん」と思うならば、それは大手ブランドメーカーにとって脅威になるだろう。そして脅威が中国国内にとどまるはずはないのである。