徳丸壮也『日本的経営の興亡――TQCはわれわれに何をもたらしたか』ダイヤモンド社 1999年 478p.+14

 

  私が日本科学技術連盟とデミング賞という言葉を始めて知ったのは、マサチューセッツ大学のマイケル・ベスト教授を日本に招聘したときであった。教授は日本に来るなり「日本科学技術連盟に行きたい」とおっしゃり、なんだかよくわからないまま電話帳で調べて連絡し、教授のお供をして千駄ヶ谷の連盟本部に赴いた。その時、連盟の幹部の方からうかがった話にはベスト教授も私も感銘を受けた。QCの手法を、それを実践している会社のふつうの従業員が講師になって他の会社の人に教えるのだ、といった話だったと記憶している。

 そんな経緯もあって、本書の元となった連載が1996年に週刊ダイヤモンドで始まったときには注目したが、TQCに対する余り要領を得ない悪口が書き連ねてあるな、という印象が残っただけだった。

 ところが、その連載から3年を経て、こうして2段組で500ページ近い大著にまとまってみると、内容面でも大きく化けた。

 もしTQCとデミング賞が何であり、どのような点が問題だったのかを知りたいのであれば、本書は余り要領を得ないという印象を与えるだろう。TQCとデミング賞の問題点については、本書末尾の方に紹介されているTQC経験者のアンケートに対する回答に端的に表されている。すなわち、「デミング賞を受けるために全社をあげて一夜漬け的に社内の仕組みを改善し、実情説明書、発表資料の作成などに休日も返上して忙殺され、残業も深夜まで続く。こんな状態が半年、一年も続く中で社員の不満は鬱積し、精神状態がおかしくなる人も出てくる」等々。デミング賞の問題点についてこれ以上の内容は本書のなかには余り出てこない。

 本書はむしろTQCを担った人々に焦点を当て、彼らがどのようにTQCと関わり、どのように感じたかについて実に詳細に書いている。日本科学技術連盟とデミング賞を立ち上げた小柳賢一の思想的遍歴をはじめ、脇役の人たちの経歴についても詳しい。それも一人の証言だけからだけでなく、何人もの証言を比較検討する。こうした歴史の細部から浮かび上がってくるのは、日本の製造業が競争力を引き上げるために懸命に頑張っていた姿である。昭和323年頃に松下通信工業の女子工員たちが自主的にQCサークルに取り組み、積極的に改善活動を行っているのを、アメリカから来た著名なQCコンサルタントであるジュランが見てカルチャーショックを受けるという話が出てくる(248251ページ)が、いま同じことが中国で繰り返されている[1]。QCの教祖の一人である石川馨が1950年に富士製鉄室蘭製鉄所に赴いて手探りで品質管理の指導をした経緯(204205ページ)も、日本の躍進の始まりを見るようで感動的である。

 最初は日本企業の品質向上にたしかに役に立ったはずのQCがいつのまにか形骸化し、いじめの連鎖のようなものになってしまった。なぜQCが変質していったのか本書では余り整理された説明はなく、そもそもの導入からして問題があったという考えのようである。ともあれTQCによって日本のサラリーマンはよけいな仕事を抱えて疲弊していった。まさに日本的経営の「興」から「亡」への流れを本書はよく描いている。



[1] 日経ビジネス編『気がつけば中国が「世界の工場」』日経BP社 2002年。