書評

Moriki Ohara, Interfirm Relations under Late Industrialization in China: The Supplier System in the Motorcycle Industry, (Chiba, Institute of Developing Economies, JETRO, 2006 x154pp.)

丸川知雄

 

              オートバイ産業はいろいろな意味で中国を代表する産業である。世界全体の生産台数の半分前後を一国で占め、海外にも活発に輸出していることもさることながら、150社を超える多数のメーカーがどれも似たり寄ったり製品を相争って作っているというその姿はいかにも中国的である。オートバイ産業は、中国の他の産業にも多かれ少なかれ見られる特徴を極端に強調して見せてくれる、いわば中国の産業のカリカチュアなのである。

              著者の大原氏はそうした中国オートバイ産業の重要性を初めて発見し、徹底した調査を通じて、日本の常識とは異なる中国の企業間関係を明らかにし、中国の産業に対する認識を大きく深化させた。本書は大原氏のオートバイ産業に関する研究の集大成であり、単なる一産業の研究としてだけではなく、中国産業の一つのモデルとして読まれるべきであろう。私は本書の原型となった論文以来、大原氏の研究の足跡はよく見てきたつもりだが、本書を今回改めて読んでみて、拙著(丸川(2007))が著者の研究に啓発された面が多いことを再認識した。

              本書は、まずその導入部で、中国のオートバイ産業が世界の半分もの生産規模に達しながら、量的拡大から質的向上の段階になかなか移行せず、多数のメーカーによるマイナーチェンジ競争に陥っていると指摘する。オートバイ産業のサプライヤー・システムはそうした特質と深く関係しているとして、続く第1章でサプライヤー・システムを分析する枠組を提示する。著者はサプライヤー・システムの類型として、団結型(united type)と孤立型(isolated type)の二つを提示する。日本のオートバイ産業は団結型、中国のオートバイ産業は孤立型である。団結型とは、メーカーとサプライヤーとが相互協力を通じて製品価値を高めるものである。メーカーはサプライヤーに対して技術指導やリスク吸収などの援助をし、サプライヤーはそうしたメーカーからの期待に応えて能力向上の努力をする。サプライヤーの能力が向上すればメーカーの製品も改善され、市場でより大きな価値を獲得できる。つまり、メーカーが援助のコストCをかけると、サプライヤーはそれに応えて努力し(Cm=Cm(C))、その結果、製品価値がRだけ向上する(R=RCmC)))。

              ところが、こうした関係が成り立つにはいろいろな条件が整わなくてはならない。市場の変動が激しかったり、取引ルールが確立していない場合、メーカーが援助してもサプライヤーは能力向上の努力をしない。仮にサプライヤーが努力をしても、基礎的な能力が弱ければ成果を生まないし、仮に成果が上がっても、その成果を援助してくれたメーカーに対してだけでなく、そのライバル企業に対しても発揮したら、メーカーはかえって損してしまうかもしれない。中国では団結型を成り立たたせるための諸条件が整わないため、メーカーがサプライヤーを育成しない孤立型が支配的になる。

第2章では中国オートバイ産業の現状が紹介される。戦後の日本も最初は多数のメーカーが参入したが、日本はそこから集中化へ向かったのに対し、中国ではどのメーカーも年産100万台あたりまで成長するとなぜかそこで行き詰まるので集中化が進まない。それは農村市場しかないという中国オートバイ産業が置かれている特殊な状況と関係あるかもしれない。中国の都市部ではオートバイの保有が厳しく規制されているため、市場が農村部に偏っている。農村のユーザーは個性を主張するよりも他人と同じオートバイを欲しがり、安さ、燃費の良さ、補修の便を重視する。一方、製品の安全性や知財権の侵害に対する規制は1990年代まではきわめて緩かった。こうしたことから、もともと日本で開発された数種のモデルを数多くの中国メーカーが模造し、そこにマイナーチェンジを加えていくという特異な産業構造が現出した。

第3章では、そうしたマイナーチェンジによる「製品開発」の実態を掘り下げている。中国で登録されているオートバイのモデル数は2万種近くと、一見すると非常に多い(日本は182種)が、実はそのほとんどがホンダ、ヤマハ、スズキなど日本メーカーの10数種のモデルからの派生形であり、特に3種の基本型から派生したものが市場全体の半分を占める。日本では新モデルの開発時にエンジンをはじめ多くの部品を新規に開発するため、メーカーとサプライヤーの間での協力が不可欠だが、中国では基本型の近傍で開発が行われるため、メーカーとサプライヤーはめいめい勝手に開発をしても取引相手を見つけることが可能である。

第4章では、いよいよ本書の中心テーマであるサプライヤー・システムを日本と中国で比較する。日本の場合には、オートバイ・メーカーは1種のモデルの特定部品を1社だけから買う(一社発注)ことが通例だが、中国のメーカーは複数のサプライヤーから競争的に調達する(複社発注)。複社発注は開発段階から始まっており、大量生産に至るまでの間に注文が立ち消えになったり、競争でふるい落とされたりすることが多い。サプライヤーにメーカーから部品の開発要請が10回あるうち、実際にメーカーに部品を大量納入するところまでこぎ着けるのは2回しかない。しかも、メーカーからの部品代金の支払い遅延や踏み倒しも頻発している。そうした高リスクな市場ではサプライヤーも取引先を多角化するなどの対策をとらざるを得ない。日本ではサプライヤーは特定のメーカーとの取引を中心とする「一極支持型」だが、中国ではサプライヤーは多数のメーカーと取り引きする「山脈型」になっている。

そうしたサプライヤー・システムはどのように形成されたのか。続く第5章ではその歴史的経緯に関する分析が行われる。実は、改革開放後に最初にホンダから技術導入してオートバイの大量生産を始めた嘉陵は、当初はサプライヤーと緊密な連合体を作ってリスクをシェアするという団結型のシステムを構築した。ところが、嘉陵の販売拡大が止まるところでこのシステムは解体してしまう。続いてトップメーカーとなった軽騎は部品代金をオートバイの現物で支払うという極端な機会主義に走った。その後台頭してきた新興の民営メーカー宗申は、サプライヤーの緩やかな組織を作り、そのメンバーを取引上優遇したり、品質保証契約を結んでエンジニアを訪問させるなど、サプライヤー育成に一定のコストをかけている。このように歴史的には、中国のサプライヤー・システムは団結型でスタートし、1990年代に孤立型に移行し、近年は若干団結型の特徴も見せ始めている。

2000年以降も、マイナーチェンジ型の開発が続いており(第6章)、そうしたなかで部品メーカーは取引先を増やして取引上の立場を強めている。オートバイ・メーカーはかつてほどむやみにリスク転嫁しなくなり、むしろ部品メーカーと協力していく傾向が強まっている。しかし、筆者はその変化の行き着く先が日本のような団結型のサプライヤー・システムだとは見ていない。中国のオートバイ産業はハードの技術では日本のオートバイ産業から導入しているが、サプライヤー・システムの点ではむしろ対極的な体系を作っており、その意味で日本をキャッチアップしているわけではない。中国のオートバイ産業は世界の中低所得国向けに安価なオートバイを供給することで日本と棲み分ける方向に向かっている。

以上が本書の内容であるが、中国オートバイ産業が与えられた特殊な制約、すなわち国内は農村にしか市場がないという点はやはり常に意識せざるをえない。中国の他の産業であれば、もっと広範囲の階層の需要を対象としているため、企業を高度化に向かわせる刺激があるが、中国のオートバイ市場にはそうした刺激がないのである。

さらに私は、世界のオートバイ産業自体が特殊であることにも注意を払う必要があると思う。すなわちトップメーカーが日本企業ばかりだという産業は他に余り例がないのではないか。トップメーカーが等しく採用している団結型のサプライヤー・システムとは、実は日本的な特徴のようである。太田原・椙山(2005)によれば、192020年代の欧州オートバイ産業は、専門的部品メーカーの供給する汎用部品を利用してメーカーはオートバイを組み立てていた。ところが1950年代に日本が欧州の技術を吸収する過程でセットメーカーが製品のアーキテクチャから部品技術まで総合的に吸収したため、太田原・椙山(2005)の表現では「垂直囲い込み型」、すなわち本書の「団結型」の構造が成立した。そう考えると、中国オートバイ産業はむしろ先祖帰りした面があるのかもしれない。逆に、新モデルの度にエンジンなどの部品から開発しなおすという日本の状況が果たして効率的なのかという疑問も湧いてくる。

他の産業では、モジュラー型の製品によって競争力をつけてきたアメリカ企業等に圧迫されて、日本企業も「垂直囲い込み型」を見直し、モジュールやプラットフォームといった概念を取り入れつつある。オートバイ産業でも有力な競争相手が出てくれば日本企業も従来の態勢を見直す可能性もあるが、中国オートバイ産業はまだ有力な競争相手にはなっていないようである。実際、中低所得国市場においてさえ中国企業はその優位性を証明できていないのである。例えばベトナムでは、中国オートバイが低価格によって一時的に市場を席巻したが、ホンダが低価格品を発売するや、たちまちのうちに市場を奪回してしまった。

              私が本書に多くを学んできたことは冒頭に述べたとおりだが、改めて読んでいくつかの問題点も意識せざるを得なかった。第一に、なぜサプライヤー・システムに着目するかという研究の動機の説明が不十分なことである。本書は冒頭で中国企業の技術高度化が難しいことを指摘するが、その原因がサプライヤー・システムにあるからそれを探求する、というわけではない。本書を読み終えて、中国特有のサプライヤー・システムは、産業高度化を阻害する要因ではなく、むしろ中国の企業が、製品の高度化を狙わず、マイナーチェンジ競争をすることを選択した結果である、と理解した。つまり、最初から高度化は眼中にないのである。とするならば、なぜ高度化の話から語り起こす必要があるのだろう。

              第二に、第1章で本書の分析枠組がR=R(Cm(C))と定式化されるが、この定式が本書で実際に展開されている分析とずれていることである。本書を通じて論じられているのは、メーカーがどういう水準Cでサプライヤーを援助したら最大の価値Rを引き出せるか、という問題ではなく、むしろ、そもそも援助が行われるか(団結型)、行われないか(孤立型)という問題である。つまり、実際に論じているのは、Cを規定する要因である。第1章の文章のなかでは、市場の安定度や取引ルールの成熟度、サプライヤーの基礎的能力や忠誠度といったCを規定する要因が指摘されているので、それらに例えばI,A,Fという記号をあてがうならば、本書の分析枠組はむしろC=f(I,A,F)とでも定式化する方がよかった。もしこのように定式化されていれば、各章での分析内容もより整理されたであろう。例えば、第6章では2000年以降の変化を詳しく報告しているが、なぜメーカー・サプライヤー関係がより協力的になったかという説明が十分ではない。それは論じられるべき課題を正しく定式化していなかったことと関係あるように思われる。

              第三に、事象の原因と結果の関係が時々不鮮明になることである。例えば、序章で、産業の企業間組織と発展プロセスを規定する要因として、①巨大なローエンド市場の存在、②多数の同質的な企業によるマイナーチェンジ競争、を挙げるが、②は「要因」というよりも、「発展プロセス」そのものであるように私には思われる。そしてそれは①の結果であると第2章では分析されているのである。

              第四に、本書は中国のサプライヤー・システムを孤立型と評価したが、実は単に孤立しているだけではない側面もあるようである。葛・藤本(2005)は、重慶の部品サプライヤーが、重慶のオートバイ・メーカーがベトナム向けにホンダの「スーパーカブ」の模倣品を開発することを予想して、頼まれもしないのにそれに対応した部品を開発しておき、受注に成功するという事例を紹介している。重慶の民営オートバイ関連業者の間ではインフォーマルな情報交換が行われており、そうしたなかでオートバイ・メーカーの新しい需要が察知されたようである。また、オートバイ・メーカーから発注を受ける前から重慶の部品メーカー同士でスーパーカブの模倣品向けに部品どうしの公差を調整して開発し、部品セットとしてオートバイ・メーカーに売り込む、という事例も紹介されている。このように、対オートバイ・メーカーの関係ではサプライヤーは孤立していても、部品メーカーどうしの情報交換や協力が行われているようである。このような興味深い側面を本書が分析することなく捨象してしまったのは、メーカー・サプライヤー関係にだけ気を配りすぎたからかもしれない。

              以上のような問題は未解決であるにせよ、本書は中国の産業の緻密で鮮やかな風景画であり、中国の産業を理解する上での必読書であるといえよう。

 

参考文献

太田原準・椙山泰生「アーキテクチャ論から見た産業成長と経営戦略」(藤本隆宏・新宅純二郎編『中国製造業のアーキテクチャ分析』東洋経済新報社、2005年)

葛東昇・藤本隆宏「疑似オープン・アーキテクチャと技術的ロックイン」(藤本・新宅、同上書)

丸川知雄『現代中国の産業』中央公論新社、2007年。