書評 駒形哲哉『移行期 中国の中小企業論』税務経理協会 2005

評者:丸川知雄(東京大学社会科学研究所)

 

 私は最近某社の高校地理の教科書で中国の部分の執筆を担当したが、そこで「郷鎮企業」をどう扱うかにかなり悩んだ。現在使われている教科書では郷鎮企業は必須事項として載っているものの、私が関わった教科書が使われる頃には中国ではほとんど死語に近いものになっているに違いないからだ。本書の著者も、研究の経緯からすれば最初は郷鎮企業論を目指していたのだと推察されるが、時代の流れのなかで中国特殊的な「郷鎮企業」という枠組みで論じることの限界が見え、より一般的な「中小企業論」へと軌道修正を余儀なくされたのだと思う。このように、現代中国経済を研究する者は、研究対象や議論の内容が数年後には時代遅れになってしまうリスクを抱えている。しかし、制度や主体の浮沈は移行期の常であって、そこでは万古不変の優れた制度や主体などは存在しないし、いま限界が見えつつある制度や主体が、歴史のあらゆる段階で不合理だったということにもならない。より具体的に言えば、一部の経済学者が金科玉条のように振りかざす「明確に画定された財産権」が中国の計画経済から市場経済への移行過程において常に有効な処方箋であったわけではないし、集団所有の郷鎮企業が常に不合理だったわけでもない。それどころか、集団所有の郷鎮企業、さらにはある視点からみれば国有企業さえも、市場経済への円滑な移行を促進する役割を果たした。私が本書から読みとった中心的なメッセージがこれである。

 「集団所有の郷鎮企業」がどのようなものであるかは、本書第2章「郷鎮企業が村を変えた――天津郊外村にみる村営企業の役割と地域変容」が詳しく明らかにしている。改革開放初期の中国では、農民の出稼ぎにはまだ多大な制約があり、国有企業主体の都市部では出稼ぎ労働者の受け入れ先も少なかった。かといって農民が自営業を興そうとしても、先立つ資金の蓄積がほとんどなかった。そうした条件下で、農民たちが収入を増やそうとすれば、人民公社時代の遺産として形成された郷、鎮、村という集団を基盤にして企業を興すしかなかった。こうして集団所有制の郷鎮企業が多数設立されたが、卓抜したリーダーに恵まれれば、改革開放初期の物不足の下では、成功のチャンスを見つけることはさほど困難ではなかった。郷鎮企業は、外部からみれば、国家からの援助に頼らず、市場のなかで自立的に経営活動を展開する主体であったが、それが設立された村内では、まず村民の雇用を優先し、利益も村民の年金や医療、農業への補助などに回される。つまり、郷鎮企業は対外的には市場の主体、村内では公的な役割を果たすという二重の性格を持った存在であるが、こうした存在が、市場経済への適応と農村の共同富裕とを両立させたことを本書は積極的に評価している。

 一方国有企業は、民間中小企業が勃興する過程で技術および技術者の蓄積を提供するという形で市場経済への移行を助ける役割を果たした。この論点は、天津市における自転車の産業集積の形成過程を扱った本書第4章「『王国』の再興――天津・自転車産業の事例」で強調される。天津には1980年代には中国のトップメーカーの一角を占める国有自転車メーカーがあったが、90年代に入ると天津の自転車産業は衰退へ向かい、数千人の労働者がリストラされた。ところが、技能を持ったそうした労働者たちが農村の民営自転車メーカーに再就職したり、自ら起業することによって数百社の自転車組立メーカー・部品メーカーが誕生し、中国全体の生産の3割以上を占める有力産地が形成された。衰退した国有メーカーは、中国の自転車市場が拡大するなかでも高コスト体質のために縮小し続け、いまは巨額の債務と数千人の元労働者を抱えたまま市政府の援助を飲みこみ続けるダメ国有企業の典型のような会社だ[1]が、そんな企業であってもそこに蓄積された技術(このことを著者は「技術的原始的蓄積」と呼ぶ)なくしては、民営企業による天津自転車産業の劇的な復活もなかったのである。

 中国では民営企業のメッカとして知られ、公的部門の役割の小ささが強調されがちな温州における民営企業の発展も、実は公有企業における技術的原始的蓄積とは無縁ではなかった。本書第3章「『異端』から『主役』へ――市場経済形成のリーディングエリア・温州」では、温州の産業発展が地域内の国有機械メーカーからの機械の供給や、国有企業の退職者などによる技術移転によって促進された側面があることを強調している。また、第6章「産業集積の『興亡』――瑞安・靴下加工とウールセーター産業の事例」では、改革開放以前に温州にあった公有のウールセーター・メーカーが源泉となって、改革開放期には一時3000社もの中小メーカーがひしめく産業集積ができたことを紹介している。(ただしこの集積はその後衰退した。)

 中国における地方政府など公的部門の産業に対する関与は企業の設立などの直接関与ばかりではなく、インフラの建設や信用制度の整備など、世界銀行流に言えば「マーケットフレンドリー」な支援策にも及んでいる。本書第5章「産地市場の『秘密』――紹興・合繊産業の事例」では、政府は市場のインフラを建設したことが、この地域が世界最大の市場を抱える世界有数の産地に成長する上での起爆剤になったことを示しているし、第7章「借金の保証人をつくる――信用保証制度の現状」では、中小企業が銀行融資を得やすくするために各地で地方政府主導によって信用保証機構が作られていることが紹介される。また、天津の自転車産業においては業界団体が展示会の開催や情報交換などに大きな役割を果たした(第4章)のに対して、瑞安のウールセーター産業ではそうした中間組織によるガイダンスがなく過当競争が放置されたため、ついには産業の衰退に至ってしまった(第6章)ことが対比される。

 本書が描く中国の市場経済への移行過程は、歪みのない価格メカニズムと明確な私有財産権制度が市場経済の前提であるという、近代経済学者の間で割に広く受け入れられている議論に対する反証となっている。移行期における中国の市場経済は、中央から末端まであらゆるレベルの政府がもたらす歪みと曖昧な財産権制度に満ちていたことが本書からわかる。そうした歪みは膨大な浪費をもたらしたことも確かだが、しかし計画経済にどっぷり浸かっていた人々を市場経済に適応させる上で有益な側面があった。つまり、集団所有の郷鎮企業は、企業全体としては国家の援助を受けることなく市場の荒波にもまれていたが、そこで働く一人一人の農民はなお集団の共同性の庇護のもとにあった。そうした中間段階を経たことは、農民がいきなり市場経済に放り出されるのに比べてある程度ショックを和らげる効果があっただろう。また、郷鎮企業の発展と民営化のプロセスが示していることは、明確な私有財産権制度は市場経済の必要条件ではなく、むしろ市場経済がある程度発達した段階で、市場のなかで活動する主体に「要請」されるものだということである。ただ、そうした要請を受け入れない企業は市場経済のなかで発展できないということでもない。純粋な市場経済(資本主義)はいまだかつて存在したことはなく、現実の市場経済は「不純物」や「歪み」を包み込んで存在する。

 本書が想起させるこうした市場経済観は、マルクス経済学にとっては実はそれほど真新しいものではない。マルクス経済学では、資本主義経済と伝統的生産様式の「接合」(articulation)とか、「多ウクラードの並存」といったことがかつて盛んに論じられた(デュプレ・レー[1980]、本山[1982])。これらによれば、資本主義は、伝統的社会を直ちに解体してしまうのではなく、むしろ交易関係を通じて、自らの社会では生み出すことのできない奴隷などの商品を伝統的社会から引き出し、それと交換に金銭や商品を渡すことでかえって伝統的社会を強化することもある。岩田[1964]の主張では、資本主義とは先進国の産業を基軸としながらも、先進国内や第三世界の非資本主義経済を外面的に包摂する世界的な形でしか存在しない。商品経済は非資本主義経済を外から分解する作用を持つものの、全面的に資本主義化するものではない。

 かつて先進資本主義が商品交換を通じて外面的に第三世界の伝統的社会を取り込み、それを利用(exploit)しながら、やがて植民地支配などを通じてゆっくりと解体していったのと似たプロセスが、いま中国の国内で起きている。ただし、そこで市場経済(資本主義)によって利用されつつ次第に解体されているのは伝統的社会ではなく、マルクス主義者が資本主義を廃止した後に来るものと見た社会主義の要素、すなわち集団所有の郷鎮企業(およびそれによって支えられる郷鎮コミュニティ)や国有企業である。伝統的社会はおろか、資本主義を超克して誕生したはずの社会主義の要素さえ、中国の資本主義の成長にとって養分になっている。本書末尾で、著者が「計画経済・公有制経済の成果を利用しつく(す)」(269ページ)という表現をしているのはまさにそうした認識を示している。このように資本主義を捉える時、国有企業体制を破壊して曖昧な財産権制度と価格の歪みとをきれいに取り除かなければ健全な市場経済は育たない、というロシアの市場経済化に際して支配的だった議論の誤りが改めて浮き彫りになる。

 ただ、現代の資本主義はかつてないほどのイデオロギー面での支配力を持っており、その浸透力・解体力が格段に増していることも指摘しておかねばならない。表向き社会主義を標榜する中国政府でさえ、末端の村に対しては郷鎮企業を民営化するように圧力をかけ、村がいやいやそれに応じている状況が第2章で描かれている。こうした解体力の前では集団所有の郷鎮企業などの非資本主義的要素は長続きできないかもしれない。

 ただ、天津を含む中国の北方地域ではなお非資本主義的な経営体が根強く残存する可能性がある。第2章補論1「漸進的移行の担い手――『資本』になりきれない経営体」で紹介されるように、民営化の潮流のなかでもなおコミュニティとのつながりを残す郷鎮企業は少なくない。なかでも山東省では村が丸ごとコングロマリットになっている事例がある。この会社の社長は同時に村の行政面でもトップ(党支部書記)であり、政経両方の権力を独占している。彼の率いる村営企業は改革の早い時期から「儲かると思われる分野へ、事業間相互の連関なく次々に参入して」いったが、幸運にも成功を収め、村民には住宅や老後の保障や子女の教育が提供されている。実は私も同じ山東省の別の場所でこれとよく似た村=コングロマリットを二つ見たことがある。政治権力と経済権力を一手に握る指導者の存在[2]、ゆりかごから墓場まで保障された特権階級の村民と、狭い宿舎に押し込められる大量の外来労働者たちの二重構造、脈絡のない多角化経営と、3つの村は酷似している。ここに1980年代には紛れもなく天津市の郷鎮企業のスターだった「大邱荘」を加えてもよいだろう。コミュニティというよりも「ミニ独裁国家」を思わせるこれらの村々は、より上部の政治権力にとって必ずしも心地よいものではないだろうが、政治・経済・社会が一体化しているため、市場経済の解体力だけでは容易に崩れない。

 移行期にある対象を研究した作品はどうしても今後に課題を残さざるをえない。実際、著者も末尾に多すぎるほどの課題を列挙している。私がそれにあえてつけ加えたいのは次の点である。まず、調査した対象のうち、移行期における起承転結の「転」ぐらいまで事態が進んでいる対象だけを選んで本に書くという限定があってもよかった。信用保証制度(第7章)や電動自転車(第4章補論)はまだ「起」の段階にあり、もう少し事態が熟してから取り上げても良かったのではないか。また第3章の温州の研究は、余りに抽象化しすぎており、せっかくの調査の成果が十分に伝わらないもどかしさがあった。第4章の自転車産業に関しては、企業間の取引関係、ブランドや技術の状況(OEM, ODM, OBMのいずれなのか)、生産技術(生産規模数百万台の国有メーカーが年産数万台の小メーカーたちにかなわない理由、規模の経済性が働かない生産技術上の理由は何か)といった産業研究らしい議論が私としては読みたかった。

  とはいえ、本書は、中国の資本主義が社会主義的企業やその他様々な非資本主義的要素を包摂しつつ、ゆっくり解体しながら立ち上がってくる様を活写した好著であることは疑いえない。

 

(参考文献)

岩田弘(1964)『世界資本主義』未来社。

駒形哲哉(2006)「中国・自転車産業のビジネスシステム変革――天津の事例にもとづいて――」『国民経済雑誌』第194巻第1号。

デュプレ、ジョルジュ、ピエール=フィリップ・レー(1980)「交換の歴史についての理論の妥当性」(山崎カヲル編訳『マルクス主義と経済人類学』柘植書房)

本山美彦(1982)『貿易論序説』(第4章)有斐閣。



[1] この経緯については本書よりも、駒形(2006)に詳しく紹介されている。

[2] 一つの村ではその指導者の「語録」があちこちに掲示してあった。まさに「ミニ毛沢東」である。