上山邦雄・日本多国籍企業研究グループ編『巨大化する中国経済と日系ハイブリッド工場』(実業之日本社、20054月)

丸川知雄(東京大学社会科学研究所)

 

 本書は、これまで「適用―適応」枠組を武器に世界各地の日系企業を調査し、数多くの業績を挙げてきた執筆者らが、中国と初めてがっぷり四つに組んだ成果である。中国には普遍的な中国的生産システムというものが確立されていないので、本書では日本的生産システムの実現度合を尺度として「適用度」を測る手法をとる。その結果をみると、総合的に見て中国での適用度は北米とほぼ同じである。北米と違って現地側に確固たるシステムが存在していないにもかかわらず、日本式をそのまま持ち込めないのはなぜなのか。

 一つは、かつて中国の国有企業において確立していた生産システムが影響を与えているからである。第7章によれば、国有企業では工場で作業をする人々と、メンテナンスや品質管理を行う人々が分離されていたし、賃金は職種別に決められていたが、そうした制度が国有企業と合弁した日系企業に残っているケースがある。しかし、調査対象の24社を総合した評価を見ると、職務区分や賃金体系に関してはわりと日本式を適用できており、旧国有企業においてさえも、国有企業のシステムは比較的容易に転換されうる。ましてそれは旧国有以外の企業に浸透するほどの影響力はない。

 むしろ、未経験の労働者ばかりで、これまでの生産システムの影響を受けにくいはずの華南の工場において、かえって日本式の労使関係が余り適用されていない。それはこの地方の労働力の大半を構成する出稼ぎ労働者たちが、短期間で最大限稼ごうという「物質主義」(第6章)を持っていることに日本企業が適応したと解釈できよう。いやむしろ華南にやってくる日本企業自身も最初から日本式を適用するつもりはないのではないか。実際、華南に集まっている非熟練労働を大量動員する工場では、日本的な長期雇用、多能工化を適用するとかえって賃金コストがかさんだり、生産性が低下するため、日本企業側も一部の幹部以外には余り適用していない。そもそも、日本企業の欧米工場は、日本国内の工場とはいわば代替関係にあるので、なるべく日本と同じように運営しようとするだろうが、日本と補完関係にある中国の工場ではむしろ積極的に中国の特徴(=労働力の豊富さ)を生かそうとするのではないか、あるいはそうすべきではないか。となると、生産システムの側面によっては、日本と違っている方がかえって「望ましい」面もあるのではないか。

 とはいえ、華南以外の地域も含めて全体を眺めてみると、日本企業は中国においても日本的生産システムをなるべく生かそうとしていると言ってよいだろう。ではその経営業績はどうだろうか。本書は、適用度と業績との関連を論じようとするものではないので、調査対象企業の業績にはふれられていないが、松下電器の中国事業を取り上げた第10章を見ると必ずしも楽観視できない現状があることがわかる。すなわち2001年には松下の中国における生産会社の7割が赤字に陥り、ようやくそこからはいあがってきたというのが現状である。問題は、「中国市場に適合した製品を供給できなかったこと、およびそれと関連するがコスト競争力の欠如であった。」(247ページ)前者は製品開発の問題であり、コスト競争力が弱いのも、中国の安い部品を活用するような製品開発ができていないことが主因であろう。開発が問題なのだとすると、いくら工場で日本的生産システムの適用・適応が成功しても、業績向上には限界がある。

 このように、外国企業が中国市場に進出して成功するためには、単に工場運営をしっかりするだけでなくて、開発や販売といった企業のトータルな力が問われている。日本企業は工場生産システムの移転については一生懸命取り組んできたが、開発力の移転に関しては米系企業などに比べて遅れをとっている感じが否めない。本書が開発の問題まで扱っていないのは、それが本書の課題ではないからだと言ってしまえばそれまでだが、日本企業が中国市場で成功するためにどうしたらよいかを考えるためには、工場のなかだけの議論では不足ではないだろうか。

 実は、中国市場に合った製品開発が必要だとの問題意識は、松下を扱った第10章の他、宗申を扱った第8章、終章など本書のそこかしこに現れている。今後、工場内の「適用・適応」枠組から、開発や販売なども含んだ拡大版「適用・適応」枠組に進化していくのか、それともまったく新たな枠組の構築に向かうのかはわからないが、日本企業の多国籍化における新たな課題に対応する枠組が必要ではないだろうか。