膨れあがる中国の大学

丸川知雄(東京大学社会科学研究所)

 

 21世紀に入ってから中国でもっとも成長している産業はおそらく大学である。大学の学生数も教員数もうなぎのぼりに増加している。国内の後進地域でも、大学は資金と土地を優先的に割り当てられて壮大なキャンパスを建てている。中国での大学の膨張には、「安価で豊富な労働力」に優位を持つ国から知識と人材に優位を持つ国に脱皮しようとする並々ならぬ決意が現れている。

 

 21世紀に入って中国でもっとも成長している産業はおそらく大学である。2000年から2005年の5年間に中国の大学・高等専科学校の数は1041校から1792校へ7割以上も増えた。同じ5年間に大学等の教員数は2倍以上に、入学者数は2.3倍に、在校生数は2.8倍にも増えている。

 ちなみに日本の大学・短大の数は1200校ほどで、2001年から2005年の間はほぼ横ばいだった。入学者数では日本はいまや中国に7倍以上の差をつけられている。

 それにしても、大学等の教員が5年間で2倍というのは尋常ではない増えかただ。日本の大学のような方法で教員の採用を決めていたら、教員は応募者の論文審査などに追われて、ほかの仕事ができなくなってしまうだろう。こんなに急に増やして果たして教員の質は保てるのかという疑問は当然ながら生じてくる。

 大学の急成長ぶりは、筆者が昨年12月下旬に訪問した江西省の省都・南昌でも印象的だった。江西省は中国の31省のなかで1人あたりGDP(国内総生産)が下から8番目という貧しい地域である。四川省と並んで、沿海部に多くの出稼ぎ労働者を出していることで知られている。

 そのような省でも大学にはたいへん力を入れている。江西省の最高学府である南昌大学(学生数6万名)では新キャンパスの広大さと設備の充実ぶりに度肝を抜かれた。新キャンパスは、敷地面積が300ヘクタールだというから、東京大学の本郷キャンパス(40ヘクタール)7個分以上ということになる。この広大な土地に、医学、体育、芸術、土木、理科・生命、材料、機械電子、情報工学などの学部が散在する。芝生のサッカー場とトラックを備えた運動場はまるでワールドカップでも開催するのかと錯覚するほど立派なものだ。まだ建設中だが、プールと体育館も国際的な競技会が開催できるぐらいの設備である。

 キャンパスがあまりに広大であるため、校内を小さなバス(有料)が巡回しており、教員などはそれに乗って建物間を移動している。大学の校門周辺は広大な公園になっていていろいろなモニュメントがあしらわれている。この校門部分の建設だけで3億円を費やしたという。

 広大なキャンパスを建設するのに要した膨大な経費はどこから出てきたのだろうか。南昌大学の副校長によれば、ほとんどが銀行からの融資だという。6万人の学生が納める学費という着実な収入が期待できる大学は、銀行にとっても確実な融資対象なのだ。中国では大学は将来性のあるビジネスだということを実感した。

 膨張しているのは南昌大学のような国家重点大学ばかりではない。南昌市の東部にはいくつもの大学が広大なキャンパスをつらねている。その一つ、南昌工程学院はもともと水利部が管理する大学で、全国の水利施設で働く水利や土木のエンジニアを育成する学校だった。それが2000年に江西省と水利部の共管になって以来、電子や経済管理などの学部を増設して膨張を開始し、学生数は2000年の2000名から現在は15000名以上にまで拡大した。教員数も100人から800人に増大した。

 2003年に移転した新キャンパスの建設経費は少なくなかったはずだが、同校の学費は年5000元(日本円で75000円)、寮費は年1000元と、わりに低く抑えられている。低い学費さえも負担することが困難な貧しい家庭の学生には、学費免除や奨学金の制度もあり、学生の45割はそうした制度の恩恵にあずかっているという。

 私が南昌の次に訪れた広州でも大学の膨張ぶりが目立った。広州では市の南部にある川の中洲をまるごと「大学城」という名の学園都市に改造している。43平方キロの面積にわたる大学城には、中山大学、華南理工大学、広州大学など10の大学のキャンパスが放射状に分布している。中心部には図書館、体育館、国際会議センターなどが建ち、これらは10の大学が共同で利用できる。土地を贅沢に使っているように見えながらも、大学の集積によって無駄な重複は避けようという工夫も見られる。文部科学省の学校設置基準によってしばられている日本の大学ではこういう発想は生まれない。

 広州大学城のなかでもとりわけ私の目を引いたのは壮麗なキャンパスと立派なコンサートホールを持つ星海音楽学院だった。とかく工業と金儲け一辺倒の土地と思われがちな広東の地に、かくも壮麗な文化の殿堂が建設された。

 GDPの規模では中国の31省のうち最大で、「経済強省」である広東省は、新たに「文化大省」になることを目指している。星海音楽学院にはその先兵になることが期待されている。江西省も「人口大省」から「人的資源大省」への転換を目指しており、大学がそうした転換の推進役になることが期待されている。

 江西省の南昌大学や南昌工程学院のキャンパスで、行き交う学生たちを見ていたら、広東省・東莞の電子製品工場の終業時間に出くわしたような錯覚を覚えた。学生たちの服装や風貌が数年前に東莞の工場で見た出稼ぎの若者たちとまったくかわらなかったからである。貧しい農民の子供たちが、広東省に出稼ぎに行く代わりに南昌大学で学んでいる。なるほどこれまで低賃金の出稼ぎ労働力に欠くことがなかった工場で、「民工荒(出稼ぎ労働力不足)」が叫ばれているのも無理もないと思った。

 農村の若者が出稼ぎに行かずに大学に向かい、中国全体も「安価で豊富な労働力」に優位を持つ国から知識と人材に優位を持つ国に脱皮しようとしている。もちろん大学が卒業生を量産しても、大学で身につけた知識や能力を社会のなかで生かす場が平行して増える必要がある。企業が必要とするのは相変わらず未熟練労働者ばかりだったら、教育に対する投資は無駄になる。大学を出てもフリーターやニートになる若者が多かった数年前までの日本はまさにそのような状況にあった。中国でも大学生の就職難が言われており、このままでは教育への過剰投資に陥る恐れもある。

 ただ、中国では大学自身が大学卒業生の就職の場を作る活動にもわりに熱心に取り組んでいる。南昌大学の場合、南昌大学国家科技園というインキュベーターを設け、学生や教員による創業活動をサポートしている。この施設には現在100社以上のベンチャー企業が入居し、ITやバイオ・医薬などの事業に取り組んでいる。

 急激に増大する大学卒業生に、社会や経済の転換が間に合わず、しばらくは大学生の就職難、人材の過剰供給の状況が見られるかもしれない。だが、中長期的には中国も単純労働の量に強みを持つ国から、知識と文化で価値を創造する国に脱皮していくに違いない。