サッカー・アジアカップ中国大会での騒動

 サッカー・アジアカップ中国大会では決勝戦で日本代表が中国代表に3対1で勝利し、前回のレバノン大会に次ぐ2連覇を飾ったが、この大会で中国人観客が日本代表チームやそのサポーターに対して激しいヤジを浴びせ続けたことが日本で大きく報道され、波紋を呼んでいる。日本チームがなぜこれほどブーイングを受けるのかについて、日本の報道では、「格差拡大に対する不満」と「歴史問題に関する愛国主義教育」が原因と解説されているようである。だが、これらの説明は次の2つの事実を考えに入れた場合、余り正鵠を得ていないように思われる。第一に、約20年前に同じようなことが起きたこと。第二に、今回の大会では韓国チームも日本同様に激しいブーイングを浴びていたこと。

 約20年前に起きたこととは、1985年に北京で行われたサッカー・ワールドカップ1次予選の中国対香港戦(場所は今回と同じ工人体育場)で、香港が2-1で番狂わせの勝利を遂げ、これに起こった中国のサポーター約1万人が競技場周辺で騒ぎを起こした事件である。この時は競技場周辺の外国人の車に投石がなされ、群衆が外国人に罵声を浴びせたり、ツバを吐いたりした。騒ぎの影響で香港チームは会場に1時間以上足止めを食った。当局は127人を拘留しただけでなく、その後連日のように多くのマスメディアを通じてこの騒ぎは「国家の威信を傷つけた許すまじき行為だ」と強く批判した(『朝日新聞』1985520日、521日、529日)。

 1985年と言えば、今とは経済状況が全く異なり、ようやく社会主義計画経済のなかにちらほらと外国企業や外国製品が入ってきた頃。幹部と庶民の身分的格差はあったが、今日のような所得格差はなかった。それでも今回と同じような場面で同じような事件が起きたのである。

 また韓国がブーイングを浴びていたことについて言えば、例えば、準々決勝の韓国―イラン戦では中国人観衆はほとんどイランを応援していた。今回の大会では中国人観衆はいつもFIFAランキングが低い方のチームを応援していたとの証言があり、それは中国の優勝可能性をなるべく高めようという心理とも解釈できるが、韓国―イランとなると、どちらが来ても手強いことには変わりなく、なぜイランを応援するのか理解できない。韓国もブーイングを浴びていたとすれば、歴史問題や愛国主義教育が原因という解釈は当たっていないことがわかる。そもそもサッカーで他国チームにブーイングを浴びせるサポーターの顔を思い浮かべて欲しい。「教育」に素直に反応するような人たちであろうか。競技場で歴史問題や尖閣諸島に関するプラカードが掲げられたことは事実であるが、日本に対するふだんからの憎しみが表現されたと見る必要はない。スポーツの応援を経験した人なら身に覚えがあると思うが、ファンは相手チームに容姿に難癖をつけてみたり、戦い方が卑怯だと言ってみたり、何かと相手チームを攻撃する材料を見つけたがるものである。結局のところ自分が応援するチームと自分の間には本質的には何のつながりもない。代表チームが栄光を勝ち得ても自分とは何の関係もない。なのに自分がなぜ自国代表チームを応援し、相手チームを親の敵のように攻撃するのか、ファンはその理由を求める。そうして行き着くのが自国と相手国との間にある政治的な紛争事項であるというにすぎない。

 ではなぜ日本対中東のどこかの国の対戦でも、会場で日本を応援していた中国人カップルが回りの中国人につるし上げられるというほど反日本チーム一色となったのであろうか。日本、韓国、香港・・・、中国サポーターに嫌われる国・地域を思い浮かべて欲しい。いずれも中国の周辺地域である。競技場で日韓にブーイングを浴びせるサポーターの心理の奥底を探ってみると、そこには日本、韓国、香港などは「属国」であるとの意識があるように思われる。欧米や中東のチームに負けるのであればまだ受け入れられるが、同じような顔をした元属国(ないし彼らの意識の中ではそれに類する国である日本)のチームに負けることは彼らには受け入れられないことなのだ。この仮説が正しいかどうかは、例えばサッカーで中国対ベトナム、中国対北朝鮮、中国対モンゴルといった対戦があったときにどんな応援が見られるかによって検証できる。

 但し、そういう大国主義的感情をむき出しにする人たちというのは一部であるということもこの際強調しておく必要がある。彼らの感情が中国人全体を代表しているわけではない。事前には、例えば中国の大学で、中国人学生と日本からの留学生の喧嘩みたいなことが起きるかもしれないと私は心配したが、幸いにしてそういうことはなかったようであり、北京の工人体育場以外の場所は平穏であった。今回の騒動を余り心配しすぎる必要はないし、ましてこの件で中国人は日本嫌いだと思いこんでしまうべきではない。

 今回の騒動を通じて中国政府が始終冷静に騒ぎを抑える方法を模索したことは心強いが、1985年の騒動と比べると、日本サポーターや代表選手に対する投物や侮辱行為に対してマスメディアからの批判がこれまでのところ全く見られないのは気にかかる。インターネットで見る中国の報道ではもっぱら決勝戦でのハンド疑惑に関心が集中しており、北京市副市長までがハンド疑惑についてアジアサッカー連盟の幹部と会合に望んだとのこと。対外開放を始めてまだ間もなく、香港返還も控えて外部への配慮にピリピリしていた頃に比べて、今はメディア(ないし共産党中央宣伝部)もずいぶん外交的配慮がなくなったというか、質が下がったと言えるかもしれない。