研究活動
プロジェクトセミナー
なぜ「ガバナンス」が問題なのか?政治思想史の視点から考える
- 報告者: 宇野重規 (社会科学研究所)
- 日時:2012年5月15日 15時-17時
- 場所: センター会議室(赤門総合研究棟5F)
- 対象:教職員・院生・学生
報告要旨
現在、なぜ「ガバナンス(governance)」が問題になっているのだろうか。本報告ではやや迂回的に、この概念をめぐる政治思想史的な考察を試みたい。
「ガバナンス」が「ガバメント(government)」とあえて区別して用いられるようになったのはきわめて新しい現象であり、歴史的に見れば、二つの概念はしばしば互換的に用いられてきた。両者はともに「統治する(govern、ラテン語のgubernare)」という動詞の名詞形であり、「統治する」とは、よく知られているように、「船を操舵する」を意味する言葉であった。
国家の統治術を船に例える例はプラトン、アリストテレスなど古代ギリシャ以来数多い。とはいえ、フーコーによれば、「統治する」という言葉がもっぱら国家との関わりにおいて用いられるようになったのは、16〜17世紀以来のことである。それ以前、この言葉は他の様々な対象に用いられてきた。
その意味から言えば、近代主権国家の確立とともにもっぱら国家に収斂した「統治する」の概念が、主権国家体制の揺らぎとともに、再度国家以外の幅広い領域における作用として用いられるようになった結果が、今日における「ガバナンス」概念流行の一因であると言えるだろう。
問題は、公使を横断する多様な領域において捉えられるようになった「ガバナンス」概念をいかなるイメージにおいて捉えるかである。多元的主体によるネットワーク秩序か、はたまた新たな統治技術の出現か。現在における「ガバナンス」概念のゆれを、この言葉が本来内包していた内容の多義性から読み解きたい。