データで見る憲法典の緊急事態条項

2016年6月 8日
ケネス・盛・マッケルウェイン

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 1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法は、世界で最も古い未改正憲法である。その一方で、保守主義的な思想家や政治家などにより、憲法はくりかえし改正の標的とされてきた1。本エッセイでは、改正をめぐる論争のうち、新たに付加された一つの重要な論点について考えてみたい。それは現行憲法では明示的に示されていない「緊急事態」条項の導入提案に関する是非である。

 憲法9条のように、長く論争が続いてきた事項とは違って、緊急事態に政治的な注目が集まっているのは、ごく最近の現象である。2005年に起こされた自由民主党(以下、自民党)の憲法草案には、緊急事態に関する条項は含まれていない。ところが2012年の自民党による日本国憲法改正草案Q&Aでは「東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて、 緊急事態に対処するための仕組みを、憲法上明確に規定しました」と記されている2。自民党総裁特別補佐の下村博文氏は、2016年5月3日憲法記念日にBSフジのインタビューで、憲法改正の「優先順位は緊急条項、70年前にはちょっと考えられなかったような新たな環境権、財政規律」と述べている3。この発言は、党内の意見を反映したものでもある。2014年に実施された東京大学・朝日新聞共同政治家調査によれば、憲法改正優先事項の上位3項目として、衆院選自民党候補者の50%が緊急事態を挙げており、憲法9条の58%をやや下回る程度の高さである4

 だとすれば、緊急事態条項の目的とは、何なのだろうか。そしてその条項は、どの程度、世界的に共通するのだろうか。以下、自民党2012草案の提案に新たに付加された「緊急事態の宣言(第98条)」と「緊急事態の宣言の効果(第99条)」の2つの項目の検討と、世界の他の憲法との違いを実証的に比較しながら、これらの問いについて考えてみたい。

緊急事態条項の理論
 自然災害や国際紛争のような危急の事態に対し、政府が予め準備を進めることに異論を挟む人々はいないだろう。事実、危機(crises)への行政上の対応を明確化した法律は、ほとんどの国に存在する。日本でも、国と地方公共団体が、国民の生命と財産を保護するために公的資源をいかに活用するかを定めた災害対策基本法が設けられており、国の領域と国民を守るために、いつどのような場合に自衛隊が発動可能となるかのガイドラインを示した有事法制もある。危機は、その予測可能性、出現スピード、短期的・長期的影響などが多様であるため、変わりゆく状況に対する融通を極力認めるような準備や対応を通常の法律で明示する傾向がある。

  対照的に、憲法での緊急事態条項は、もっと抜本的なものである。国家緊急権としても知られているその規定は、立憲主義体制に対する「例外」を作り出すことを目的としている。最も一般的な意味において、憲法は2つの事柄を特定化する。第一に憲法は、私的な事柄に対する政府による介入や偏重を制約するものとして、公民権と自由権を定めるものである。第二に憲法は、政治代表の選択、維持、権威などを制定する統治機構、なかでも政治制度の輪郭を描くものである。各国の憲法は、その詳細さのレベルにおいて、一定の幅がある。たとえば、インド憲法は約15万単語にまで及ぶのに対し、日本国憲法は英訳で5千語にも満たない薄い文書でしかない。ところが、立憲主義のもとでは、明記されている人権と統治機構の取り決めは、正式な憲法改正の手続きを踏まない限り、廃棄することは不可能である。憲法98条に記されるとおり、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」のである。最高法規として国民の支持のもと長期的に効力を発するために、国会の過半数で変えられる「法令」と違い、日本国憲法の「改憲」は各議員の3分の2と国民投票の過半数の承認を要する。

 緊急事態条項は、特定の状況下、定められた機関(主に行政府)に対し、一時的に平常の憲法の枠組みを超える権限を与えるものである。例として、デモなどの規制(集会の自由の制限)、法律と同等の効力を持った政令(立法府の権限の奪取)、政府情報の開示の制限(報道規制)、議会の事前承認無しでの軍隊の発動(シビリアンコントロールの弱体)などを、総理大臣および大統領が宣言することは、緊急事態条項によって許される。これらの行動は、平常の秩序を取り戻し維持するために必要な非常処置として、合法化されるのである。

 そして乱用されがちとなる国家緊急権は、用心しなければならない十分な理由があることを歴史は物語る。おそらく最も有名なケースが、戦前ドイツ国のヴァイマル憲法48条である。そこでは共和国議会の事前同意なく緊急令を発し、一時的に基本権を停止する権限を、大統領に与えられた。1930年代初頭におけるヴァイマル大統領による度重なる緊急令の乱発のため、立憲民主主義に対する大衆の不満は増大していく。それが結果的に、ナチスの台頭と第二次世界大戦前のドイツにおける議会政治の崩壊につながっていくのである5。同様の問題は、1980年代を通じて南米諸国においても噴出した。軍隊をバックに付けた大統領が、権力の集中と自由権・公民権の制限を合法化する緊急権をその支配に用いたのである6

 その結果として、ほとんどの現行憲法は国家緊急権に関する条項を定めている一方で、緊急事態として取り上げられる具体的な状況とは何か、そのような状況が実際に現れたかどうかの判断を誰が決められるのか、緊急に際してどのような主体が権力を発揮できるのか、それらの権力が、どの程度、通常の人権を制限することが出来るのか等を、各国の憲法では具体的に列挙しているのである。

比較憲法典データで見る緊急事態条項
 では、緊急事態条項の内容は、各国の憲法において、どの程度、共通しているのだろうか。これまで多くの研究者が、着想を得るべく、ヴァイマル憲法などの歴史的な比較検証を行ってきた。それに対し、ここで私はより広範なアプローチを行ってみたい。具体的には、1789年から今日までの約900にのぼる憲法の内容を、800以上の変数についてコード化した"Comparative Constitutions Project(比較憲法プロジェクト)"のデータを用いる7。このデータからは、人権、統治機構、政府と軍の関係、そして緊急事態条項などの内容が、憲法上、どのような流れに沿って特定化されてきたのかを、直接比較し、計測することが可能である。

 具体的な例から始めよう。図1には、調査された各国の憲法のうち、緊急非常事態の条項を含む割合(太線)、および緊急時の人権保護規定の緩和もしくは停止を含む割合(点線)の経年変化を示したものである。ここからまず、今日では90.3%の憲法において、緊急事態条項の含まれていることが分かる。今や緊急事態条項は、憲法における最も共通した項目の一つとなっている。比較として、表現の自由は現行憲法の95.9%に明記されている。ところが一方で、緊急時の人権保護に関する規定は、かなり異なった動きをみせている。2つの線は、歴史上多くの場合、併行して動いてきたが、1960年代になって大きな断絶を見せた。その因果関係については今後さらなる検証が必要ではあるが、現行憲法のうち、緊急時における人権制限を認めているのは61.3%に限られる。言い換えれば、憲法の起草者たちは、政治的に選ばれた人々に過大な権力を委任することに対して、ますます慎重になっているのである。

図1
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 緊急事態のもっと具体的な中身を見てみよう。表1に自民党の2012年憲法草案に含まれた非常事態の宣言手続きとその効果(1列目)を、186の現行憲法典と並べてみた(2列目)。
 ここからは自民党の憲法草案が、けっして非典型なものではないことが、一目瞭然である。現行憲法の66%は、内閣総理大臣もしくは大統領などの政府の長に対し、緊急事態を宣言する権力を与えている。緊急事態の宣言できる状況は、自民党草案第98条1項に照らし合わせるならば、「我が国に対する外部からの武力攻撃」は、現行憲法の58%、「内乱等による社会秩序の混乱」が42%、「地震等による大規模な自然災害」が36%、「その他の法律で定める緊急事態」は7%で含まれる。また草案99条2項の「法律で定めるところにより、事前又は事後に国会の承認」も、現行憲法の54%に制約がある。その一方で、いくらか他と異なるのは、緊急事態の最中、「法律で定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」(草案99条1項)を含むのは、現行憲法の7%のみである。

表 1
自民党2012草案 現行186憲法(%)
誰が宣言できるか
  政府の長(総理大臣・大統領) O 66.1
  議会 4.8
誰が認可するか
  必要なし 17.7
  議会(両院もしくは下院のみ) O 53.8
  法律で定める 1.1
宣言できる状況
  戦争・侵略 O 57.5
  内部保全・治安 O 41.4
  震災 O 36.0
  法律で定める O 6.5
宣言の効果
  議会の任期延長・非解散 O 18.8
  必要な処置を取れる 7.5
  政府の長が政令を制定 O 6.5
  法律で定める 4.8

 自民党草案は、2つの点でグローバルな流れと大きく異なっている。第一は、詳細の多くが、議会多数派が通す法律に任されている点である。先に述べたように、国家緊急条項は、立憲主義体制への深刻な例外であり、それゆえ慎重な叙述と制限が求められる。ところが草案では、宣言状況、国会承認の事前・事後のタイミング、および政令の制定と承認などの重要な項目は、法令によって定めることが認められている。他の憲法の多くが緊急事態の発動と効力を明示せれた事態に限定しているのに比べて、きわめて例外的である。

 第二の特徴は、緊急時における人権の制限にある。草案99条3項には「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる処置に対して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条[法の下の平等]、第十八条[身体的自由権]、第十九条[思想・良心の自由]、第二十一条[集会・結社・表現の自由]その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。」と記されている。

 ただこの程度の尊重では、裁量の余地が心地悪いほどに広い。尊重すべきと記されている条項は自由権にかかわるものだが、一体、いつ、誰が、政府の行動がその条項に従っているかを決めるのか、明確でない。さらに内閣が制定する政令に限ると、草案99条2項は「法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない」と規定されているが、もし政府与党が議席の過半数を占めていれば、国会はどの程度内閣に対する精密なチェック機能を中立的に果たせるだろうか。草案99条4項は緊急事態では衆議院が解散されないことを求めている以上、この点はきわめて重要なのだが、1994年に小選挙区比例代表並立制が導入されて以来、与党が過半数を獲得することは今や決して難しいことではない。

 このような問題に対しては二種類の補完的な解決策がある。第一は、政令の効果をより明示的に限定することだ。第二には、最高裁判所には、独立の判断であるか、要請に基づくかにかかわらず、政令を精査できるよう、権威付けがなされるべきだ。それは「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」という、憲法81条に記された最高裁の権力に関する規定とも整合的である。

議論と結論
 緊急事態条項の問題は、しばしば行政上もしくは業務上の事柄であるとして描かれがちである。しかし、その真の目的とは、人権や統治機構に対して、超法規的な例外を与えることにある。緊急事態条項の存在は世界中の憲法の多くで共通すると同時に、行政府による権限の拡大は、いつ、どのくらいの期間、どの程度制限されるべきかが、詳細に既定される傾向もある。その意味で、自民党による憲法改正草案は、緊急事態の施行手続きと効果に関する条項において、「法律で定める」という表現が頻繁に見られるように、その曖昧さが際立っている。

 緊急事態条項には、公的な支持が十分にあるのかという疑問もある。憲法改正は、衆参両院で3分の2の賛成と、国民投票で過半数の承認を必要とする。ところが近年、憲法改正への支持は下落を続け、東日本大震災後をピークに緊急事態条項への国民の関心は後退している8。それは、ある部分、緊急事態の多くは有事法制や災害対策基本法のような既存の法律によって処理可能という改憲への反対意見によるのだろう。2016年3月17日に読売新聞が行った世論調査では、緊急事態についてたずねている。その結果「憲法は改正しないで、政府の責務や権限を明記した新たな法律を作る」は52%に達し、一方で憲法での明文化が必要と回答したのは29%にとどまった9

 憲法改正の目的は、通常の法律では対処不可能である困難な問題を解決することにある。それが政府のあらゆる部門を縛る最高法規を変更するものである以上、改正は、不測の事態と効果に目を向けつつ、慎重に考慮されなければならない。緊急事態条項に関する論争は、憲法9条や天皇制のようなイデオロギーに関するものではない。立憲主義体制の例外となる権力が認められることを念頭に、適切なチェックとバランスの識別ができるよう、歴史的な事例と比較の文脈から、多いに学んでいく必要があるのだ。

1 Winkler, Christian G. 2010. The Quest for Japan's New Constitution: An Analysis of Visions and Constitutional Reform Proposals (1980-2009): Routledge.
2 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf
3 http://digital.asahi.com/articles/ASJ537SKRJ53ULFA00P.html
4 http://www.masaki.j.u-tokyo.ac.jp/utas/utasindex.html
5 石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書、2015年)
6 Loveman, Brian. The Constitution of Tyranny: Regimes of Exception in Spanish America. (Pittsburgh: University of Pittsburgh Press). 1993
7 Elkins, Zachary, Tom Ginsburg, and James Melton. 2009. The Endurance of National Constitutions. Cambridge: Cambridge University Press.
http://comparativeconstitutionsproject.org.
8 McElwain, Kenneth Mori and Christian G. Winkler. 2015. "What's Unique about Japan's Constitution? A Comparative and Historical Analysis." Journal of Japanese Studies 41.
9 http://www.yomiuri.co.jp/feature/opinion/koumoku/20160317-OYT8T50042.html